因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

早稲田大学エクステンションセンターオープンカレッジ「新劇の歴史と現在」/第一回劇団民藝・丹野郁弓

2014-04-10 | 舞台番外編

 公式サイトはこちら。早稲田大学エクステンションセンターと演劇博物館による連携講座で、民藝、文学座、俳優座の演出家や俳優のお話を聞きながら、「新劇」の歴史と現在、そしておそらく未来を展望しようという講座である。4月はじめの大学には、まだ新入生を迎えた賑々しさが残っており、散りはじめた桜並木のなか、教室に向かった。予想していたより少人数の講座で、これなら講師も受講生同士も顔がよく見える。

 第1回めの今日は、劇団民藝の演出家・丹野郁弓が登場した。今日と来週の2回、木下順二の戯曲について語る。丹野さんの演出した舞台はいくつかみていたが(1,2,3,4)、実際に声を聴くのははじめてだ。いやこれがもうものすごい迫力の濃ゆい方で(苦笑)びっくり。これくらいおなかの底から声を出してばしばしとものを言わないと、稽古場で俳優と闘い制作と闘い、さまざまな困難を乗り越えて1本の舞台を世に出すことはできないのだろうな。

 

 冒頭語られたエピソードにまず笑った。若い人が丹野さんに、「最近『しんげきのきょじん』にはまってるんですよ」と言ったそうだ。若い人が夢中になる新劇の人とはいったい誰のことかと思ったら、人気TVアニメ『進撃の巨人』のことだったとか。自分にとって、「しんげき」と聞けば迷うことなく「新劇」なのだが、なるほどなあ、仕方ないか。

 明治時代に歌舞伎や新派などのいわゆる旧劇に対する演劇として位置づけられたのが新劇である。反体制であり、新劇=アカ(共産主義)とされた時期もあり、戦時中は弾圧され、朝鮮戦争が勃発してからはレッドパージに遭う。しかし60年代にアングラ演劇が登場してからは逆に体制的とされ、いまや小劇場の人たちからは新劇の存在すら知られていないのでは?というのが丹野さんの分析である。

 新劇の位置づけということを改めて考えてみた。演劇史的な面の規定はひとまずできる。しかしある程度長い年月演劇に接してきた者にとって、自分の演劇歴のなかで、「新劇」とは何なのかを考える必要があると思われる。その答を探るためであり、もしかしたら答はすでにあるのだが、はっきりとことばにするための今回のオープンカレッジ参加であると、自分は考えている。

 とくに印象に残ったのは、久保栄の『火山灰地』にまつわる話である。この作品は100人以上の人物が登場し、上演も8~9時間かかるという超大作である。2005年の再演に演出部の一員として関わった丹野さんは、「これは劇団が総力を挙げないと上演できない。プロデュース公演では無理。意気に感ずるところがないとできない」と実感し、ご自分が民藝にいる意味をはっきりと認識されたのだそうだ。

 この話の前にも、そして今回の締めくくりにも、丹野さんは「劇団が継承するのは、演技のスタイルや形、演目ではなく、劇団のもつ思想である」と話された。「それを一生懸命やっていれば、道は拓けてくる」という力強いことばに、思わず背筋が伸びた。劇団民藝はわたしの人生そのもの。そう語っておられるようであった。

  宇野重吉、滝沢修、北林谷栄はじめ、おととし亡くなった大滝秀治まで、それこそ新劇の巨人とも言うべき方々のエピソードは大変おもしろい。なかには「ここでの話、活字になりませんよね?」と主宰者に確認して披露されるお話もあって、印刷物ではないがこのブログにも記さないことにする。

 自分は宇野重吉の舞台を遂にみることがなかった。滝沢修は『炎の人』だけである。いくら悔やんでも悔やみきれない。いったい何をしていたのかと思う。しかしいまの劇団民藝の舞台をみることで、俳優として演出家としての宇野や滝沢の息づかいや体温を感じとることは不可能ではないはず。6月に控える『白い夜の宴』がますます楽しみになった。

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