*石黒麻衣作演出 公式サイトはこちら 渋谷ルデコ5F 27日まで
ちょうど2年前、劇団普通企画公演の『クノセカイ』(屋代秀樹作 石黒演出)を観劇したが、石黒が作演出をつとめる本公演に足を運ぶのは、今回の『害虫』が初めてである。当日リーフレット掲載の石黒による挨拶文を読むと、本作の内容や作者の思いなど、多くのことが読み取れる。
第2回『悪霊』、第5回『帰郷』に続いて「いつの間にか私の中でシリーズものになっている作品」であり、「社会の片隅の埋もれそうな一軒家で暮らす、誰からも顧みられることのない、名前も無く、あるのに見えない、『家族のような、友だちのような、ひとびと』」の話であるという。登場するのは母親(石黒)と5人の子どもたちだが、彼らは皆父親が異なる。もしかすると劇中にそれとわかる台詞があったかもしれないが、母と夫たちとは、死別か離婚かは明かされない。奔放な母のようである。是枝裕和監督、柳楽優弥主演の映画『誰も知らない』を想起させ、また塩田朋彦監督、宮﨑あおい主演で、同じ「害虫」というタイトルの映画もあり、観劇前さまざまな想像が頭をよぎったが、むろん劇団普通の『害虫』は、まったく別の世界である。
改装されたルデコは見違えるほどきれいで洒落た建物になった。5Fは室内の柱が取り除かれ、壁や床も白っぽい色調である。久しぶりに訪れたこともあって、これまでの記憶も消え去りそうなほどだ。黒い壁の圧迫感は、そこで繰り広げられる物語に知らず知らず奥行きと謎や闇をもたらしていたが、無機的な白い室内での家庭劇は、前述のような家族構成も相まって、いっそう静かに淡々と進行する。子どもたちは主に、今日何を食べるかという話をする。母親はほとんど留守にしており、買い物から料理、家事すべてを子どもたちでこなさなければならない。年齢の幅はそれなりにあるようだが、皆成人に達した子どもたちであるから、生活能力、家事経験などが直接問題になるわけではない。しかし、常に家族のことを考える人が不在であるのは、どういう状況を生むかということが、静かな会話のなかから次第に湧き出てくる。
たとえば冷蔵庫にはバナナとパンと納豆しかない。それで何を作るかといったことで、かなり長いやりとりが交わされたりなど。
時おり激する場面もあるが、彼らはほとんど感情を排したかのように話す。90分の上演時間がやや長く感じられることもあり、この会話をどこへ持っていこうとしているのかが全く読めないことに、少なからず困惑した。子どもたちのなかで、長男だけが母親の2番目の夫の連れ子である。つまり母によってかろうじて血がつながっている子供たちのなかで、たった一人、まったく血のつながりがないことになる。単純に捉えれば、彼がこの物語を展開させる(あるいは壊す)キーパーソンであると思われた。姉たちから無条件に可愛がられる末の弟に比べると、何かと外に置かれているようでもあり、タイトルの「害虫」とは彼のことかと思われる。しかしまるでその場にいないかのように押し黙ったままの末弟(もしかすると彼はこの世の人ではない設定かとさえ)も、見方を変えれば害虫的な要素を持っているし、姉たちもそれぞれ癖があって、心の奥底に害虫が巣食っていそうであるし、何よりこのあまりに変則的な家族構成の大元である母親が害虫ではないか…と思いつつ、安易な解釈は観劇の妨げになると思い直したり。
後半、長姉(菊地奈緒)が、自分は疲れているので、三女に食事作りを手伝ってほしいと言う。しかし三女は弟とのおしゃべりが楽しいのか、一向に腰を上げない。長姉がキレるかと思ったが、ついに彼女は、疲れたので水を飲んで寝るといって去る。揺れ動く感情を露にできない性格設定がされており、俳優にとっては非常に辛抱の必要な、消耗する役柄かと想像する。現実にもこういった場面はあるかもしれず、いささか極端な家族設定のなかで、リアルな日常への肉薄があり、同時に俳優の力量が控えめに発揮されている。
窓際のスペースも演技エリアとして使っており、明治通りを見下ろす夜の渋谷を見事に借景としたところにも、作り手の才気が感じられた。しかし俳優の台詞が聞き取れず、劇場の特質を活かしきれていないことが残念であった。
石黒は「私にしか理解できない、私にしかわからないことをどう伝えていくか、ということが大きなテーマになっていましたが、一歩踏み出す『演出の言葉』を得た手ごたえがそこにありました」と記している。心の内にあるものを他者に理解してもらうこと。これは演劇のみならず、何かをゼロから作り上げ、相手に手渡すときに必須の事柄であろう。残念ながら、石黒が得た手ごたえを、客席の自分は確と受けとめることができなかった。『害虫』はシリーズものの第3作であるというから、前2作、あるいは1作でも観劇していればと悔やまれるが、今夜をスタートとして、作者の思いに近づいてゆきたい。
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