因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

『アイスクリームマン』

2005-05-30 | 舞台
  *岩松了作・演出 下北沢 ザ・スズナリ
 初演版か再演版かまでははっきり覚えていないが、以前本作の上演がテレビ放送されたものをみたことがある。のつぼ役の戸田昌宏の印象が強烈で、ラストシーンに衝撃というより後味の悪さが強く残った。だから今回新しいキャストによる上演を知っても、再演を心待ちにしていた舞台を喜び勇んでみにいく気分には程遠かった。むしろまたあのイヤーな気分を味わうのだなーと足取りも少々重かったのである。舞台が始まると、そうそうこんな感じだった、こんな場面もあったと徐々に記憶が蘇ってきた。そして次第にこの話を身を乗り出してみている自分に気づくのだった。
 俳優で印象に残ったのは次のお二方である。
 まず君原役の遠藤雅。三年前だったかNHK・FMシアター『アンチノイズ』で深く味わいのある声に驚いたことがある。彼の舞台をみるのは今回が初めてだが、自然にその場にいる感じがとてもよかった。君原は穏やかで割と頭もよくて、場の空気を読んで気配りのできる人。でも話ぜんたいの流れからはちょっとはずれていて、見終わったあと「ん?いたっけ、そんな人」と思われる。でもこういう敢えて印象に残らない存在のしかたができることも時には大切だと思う。
 パンフレットに出演俳優が岩松了に一言ずつメッセージを寄せていて、遠藤くんは「舞台頑張ります。一生懸命頑張りますが・・・・。僕には好きな女性がおります。ごめんなさい・・・。」と記しており、ちょっとぞくぞくした。彼自身の恋はどうなったのでしょうか?
 次は水野役の高橋一生。これまで数本みたテレビドラマでは少しオタクっぽかったり、心優しい青年、いやまだ少年というイメージだったが、今回は登場する女性たちの中の三人を翻弄する超もてもての役である。この水野は愛されるとか思いを寄せられるという男性とはちょっと違う。女がどうしようもなく引かれてしまうのだ。一緒にいて楽しいのはほんの一時だけで、すぐに彼は冷めてしまうし別の女に言い寄るし、でもどうにも執着してしまう男なのでしょう。
 上機嫌の表情や優しいときのあれこれよりも、古くて飽きてしまったおもちゃを投げ捨てるように、女を邪見に扱い、口汚く罵り乱暴な振る舞いをするときのほうが魅力的である。
 で、結局どういう話かというと、山奥にある自動車運転免許取得のための合宿所のロビーに集まる男女のこもごもである。ひとつ屋根の下で年頃の男女が一緒に過ごすのだから恋模様のあれこれがあって不思議はないが、彼らは数日半端に濃密な時間を共有して、試験に合格すればそれぞれの場所へ戻っていく。
 一方で合宿所の職員である早苗(平岩紙)は当然ながらずっとここにいる。さらにいつまでたっても試験に通らず半年もここにいる向山(通称のつぼ 今回はチョウソンハが演じる)という青年もいる。またふらりとやってくる早苗の姉(小島聖)のような人物もいて、流れていくもの、ずっといるもの、半端にいるものの複数の思惑が絡まり合う。
 さらにこの『アイスクリームマン』に登場する人物は、何と言うか実に勝手気ままなのである。
 群集、群像というかたまりにならず、自分の好きにしゃべって行動しているから、人物の心の中がわからず、話の流れが読めない。多くの劇では登場人物一人ひとりに話を運んでいく役割があるが、本作には責任、義務、意味を持たないと感じた。俳優はその役としてただその場にいることを要求される、いやそれすらないのだろうか?
 このあたりの印象が今回本作を意外におもしろくみた理由かもしれない。
 さてわたしが観劇した日、不思議なことがあった。劇の終盤、「雨だね、外」という台詞があり、遠い雷鳴とトタン屋根に当たるような大きな雨音が聞こえた。客席の天井あたりから聞こえてきたし、この合宿所はまさかトタン屋根ではないだろうに妙にリアルな音だなと思った。が、終演後おもてに出てみたら道路が濡れている。傘をさした人もちらほら。上演中に台詞と同じタイミングで激しいにわか雨が(ところによっては雹が降るほどの)あったらしいのだ。あの派手な雨音は効果音ではなかったのである。(5月15日観劇)
                                                                             

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