因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

『メディア』

2005-06-06 | 舞台
    *エウリピデス作 山形治江訳 蜷川幸雄演出 
      シアターコクーン5月6日~28日
 親きょうだいを裏切り駆け落ちまでして尽くしに尽くしてきた夫が若い女性に走り、自分と二人の子どもを捨てようとしている。愛しさ余って憎さ百倍。夫につながりのあるものは皆殺しにしてしまえ。そうは思っても本当にそこまでやれる女性はなかなかいないだろうが、ギリシャ悲劇のメディアはそれをしてしまう女である。凄まじい愛憎のぶつかり合いが展開する。大竹しのぶの独壇場のような舞台だが、わたしには夫イアソン役の生瀬勝久が大変魅力的だった。生瀬というとどうしても関西系のこてこてイメージが強かったが、それが今回はぶっとんでしまった。ぎらぎらと征服欲を漲らせた雄。色っぽくてぞくぞくする。メディアならずとも彼にぞっこん惚れ込み、「わたしの手でこの人を男にしてやりたい」と尽くすのも無理はないと思わせる。
 しかし演出面ではいささか疑問点が多かった。舞台前面に本水が張ってあり、美しい蓮の花が咲いている。役者はその水のなかに足を踏み入れ、音をさせて出入りする。最初の頃こそ「おお、水だ」と思ったが、劇が進むにつれ役者の立てる水音が単調に思え、効果的とは感じられなくなった。女性ばかりのコロスの使い方はおととしの『エレクトラ』に同じ。群読に聞き取りにくいところもあったし、単純な比較は慎みたいが、デヴィッド・ルヴォー演出の『エレクトラ』でのぎりぎりまでそぎ落としたような演出を思い出す。コロスは三人のみ。それも無言の女二人を従えた江波杏子だけがエレクトラと言葉をかわすのである。
 ラストシーンで舞台奥の扉を開けて、現実のおもての風景を見せる方法も既視感あり。
 大竹しのぶは確かに熱演ではあったが、やはり声の出し方に疑問を感じる。
 この作品では無理でも、もっと静かに淡々と語り、つぶやく演技が見てみたい。 (5月22日観劇)
  
 

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