因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

東京バビロン 若手演出家支援プログラムより 7度『あこがれ』

2017-01-19 | 舞台

*テネシー・ウィリアムズの一幕劇集から『しらみとり夫人』、『バイロン卿の恋文』ほか 伊藤全記構成・演出 劇団サイトはこちら1シアターバビロンの流れのほとりにて 22日まで 
 この長い名を持つ劇場に、ようやく足を運ぶことができた。賑やかな王子からたった一駅お隣の王子神谷の庚申通り商店街を十数分、ただひたすら歩いたところに、瀟洒な外観の劇場が現れた。入口は、受付のテーブルを置くとほぼいっぱいになってしまうが、右壁のチラシラックは特製なのか、チラシが木枠にきちんと収められて見やすく、しかも取りやすい作りだ。劇場のなかは意外に広々としており、天井の高さもじゅうぶん、客席の設置もゆったりして圧迫感がない。

 さてテネシー・ウィリアムズの一幕劇は、2011年12月、文学座アトリエの会公演『MEMORIES』を観劇して以来である。このときの印象がいまひとつだったこと(汗)、また伊藤全記による7度の舞台にもまだなじんでいないこともあり、少々身構えながらの観劇となった。

 今回の上演はつぎのような流れで行われた。まず『「しらみとり夫人」より』、幕間に「『ロング・グッドバイ』『カミノ・レアル』より」、そして「『バイロン卿の恋文』より」で終わる。いずれもタイトルが「○○より」となっており、主に「しらみとり夫人」と「バイロン卿の恋文」を軸に、そのほかの作品も反映した構成だ。「ロング・グッドバイ」に登場する作家の男性とその母のやりとりが複数の作品を緩やかにつなぎながら、あたかもこの作家が執筆中の物語が彼の幻想の中に立ち現れているかのような印象を持った。
 複数役を兼ねる俳優もあるせいだろうか。これまで『欲望という名の電車』や『灼けたトタン屋根の上の猫』などの長編を見るときのように、ひとつの物語、ひとりの人物に対して集中する見方はできなかった。
 舞台からは作り手が模索している手つきが感じられ、それが案外と心地よい。テネシー・ウィリアムズの作品に対してこのような手法(といってよいのかはわからない)で舞台を作ることは予想もつかず、それだけに観客として7度の舞台にどう向き合い、受け止めるか、観客として、どうあればよいかを模索する体験となった。

 前述のように、「シアターバビロンの流れのほとりにて」は居心地がよく、今回の『あこがれ』はその雰囲気を活かし、劇場ぜんたいをとてもよい空間に構成している。なので、舞台については作り手の意図をまだじゅうぶんに受け止められないところは多々あるものの、その空気の中で心身リラックスして、いまの自分の状態で楽しむことができたのだ。それを喜び、つぎの7度に備えたい。

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