2012・3・14 水曜日
田舎都会通信
函館山 寒川3
函館山の裏手にあった寒川
明治の時代 ここには12戸約60人が生活していたという
明治2年5月15日 箱館戦争の政府軍上陸は寒川と立待岬から上陸し 背後から弁天台場を奇襲したという
分教場もあり 活気のあった寒川
背面の高台には 畑の跡のような段々が見える
干潮になると 海の田んぼが広がる
潮がひけると
海草や魚介類宝庫の光景が広がる
ふのりを放した味噌汁は 格別の味
来る日も来る日も 至福の味を楽しんだのでしょう
海藻類のへばり付いた岩場の色彩は
芸術的にも映る