「南無や大聖不動尊 (だいしょうふどうそん) 諸尊 (しょそん) の誓願 (せいがん) 多き中 殊 (こと) に此 (こ) の大明王 (だいみょうおう) は 三世 (さんぜ) の契約 (けいやく) 為 (なさ) しめて 過去と現在未来まで 衆生 (しゅじょう) を導きおわします
そもそも母の胎内 (たいない) に 五體 (ごたい) の具足 (ぐそく) し給うも
大慈大悲 (だいじだいひ) と憐 (あわ) れみて 精心 (せいしん) あたえ給 (たま) うもの
この明王の御本誓 (ごほんせい) かかる證據 (しょこ) は御経にも
是 (この) 大明王所居 (だいみょうおうしょきょ) なし 衆生 (しゅじょう) の心に住 (すむ) とかや
三世 (さんぜ) の諸仏も悉 (ことごと) く 四十二地 (しじゅうにじ) の諸菩薩 (しょぼさつ) も 不動の威力 (いりき) に依 (よらざ) れば 正覚 (しょうがく) とれずとの給 (たまい) し
斯 (かか) れば此 (この) 尊 (そん) 礼拝 (らいはい) し 一度 (ひとたび) 神呪 (じんじゅ) を唱 (とな) うれば 餘尊 (よそん) にきかぬ御誓 (おんちかい) 生々世々 (しょうじょうせせ) に護念 (ごねん) して
五逆 (ごぎゃく) の罪も消滅し 福寿圓満如意成就 (ふくじゅえんまんにょいじょうじゅ)
盗難 (とうなん) 火難 (かなん) は猶更 (なおさら) に 諸難即滅 (しょなんそくめつ) 守らしむ
真言 (しんごん) 功徳 (くどく) の広大は 一字に千理 (せんり) の徳含 (とくふくむ)
中にも不動のカンマン字 因果 (いんが) 本来 (ほんらい) 不二 (ふに) の門
頓生菩提 (とんしょうぼだい) の至極 (しごく) にて 一切 (いっさい) 平等(びょうどう) 利益 (りやく) せん
人の臨終 (りんじゅう) に及んでは 断末魔 (だんまつま) の苦患 (くげん) とて
耳も聞 (きこ) えず目も見えず 舌根 (したね) 云 (すぐ) れで物 (もの) 云 (い) へ (え) ず
かかる悩みをのがるるに この尊拝 (そんはい) する外 (ほか) はなし
不動明王御本地 (ごほんじ) は 大日如来あみだ仏
今日 (いまひ) の本 (もと) の富士浅間 (ふじせんげん) 金毘羅 (こんぴら) 秋葉 (あきば) の御社 (みやしろ) も
其外 (そのほか) 霊尊 (れいそん) あらたなる 諸国 (しょこく) の霊場 (れいじょう) 奥の院
不動 (ふどう) の御本地 (ごほんじ) 多 (おおか) りき
衆生 (しゅじょう) の意 (こころ) に随 (したが) いて
大黒天と現れて 荼枳尼 (たきに) の障化 (しょうげ) を止給 (やめたまう)
女人 (にょにん) の安産 (あんざん) 守りつつ 火頭烏素慧魔明王 (かとううすしまみょうおう) も
苦厄病難 (くやくやくびょうなん) あるときは さらに行者を護念 (ごねん) せん
三十六童子倶利伽龍 (さんじゅうろくどうじくりかりょう) 四大八大 (しだいはちだい) 諸眷属 (しょけんぞく)
各々 (おのおの) 不動の御垂迹 (おすいじゃく) 大日 (だいにち) 弥陀 (みだ) の化現 (けげん) なり
頼母 (たのも) しきかなこの尊の 怒僕 (ぬぼく) の相 (そう) を現 (あらわ) して
行者に仕 (つか) え給う (たまう) こと 影の形のごとくにて
飛業 (ひごう) の者 (もの) は蘇生 (よみがえ) し 長寿延命守りつつ
定業盡 (じょうごうつ) きしものはただ 浄土に導き給う也
九品 (くほん) の中で修行者 (しゅぎょうじゃ) の 好む蓮華に居 (すえ) 給い
十地 (じゅうじ) の願行 (がんぎょう) 成就(じょうじゅ) せん あな尊 (とうと) やな信ずべし
げにやこの尊拝 (そんはい) すれば 無上 (むじょう) 菩提 (ぼだい) に疾い (とくい) たる
不動明王と聞きてさえ 惑い (まどい) を断ちて善 (ぜん) を修す (しゅす)
ましてやこの説聞く者は 智慧を得 (うる) こと量 (はか) りなし
恐らく (おそらく) 御心 (みごころ )知るならば 即身成仏 (そくしんじょうぶつ) 疑 (うたが) いなし
帰命大聖摩訶威怒王 (きみょうだいしょうまかいぬおう) 四大八大 (しだいはちだい) 忿怒尊 (ふんぬそん) 」
・・・お不動さんで親しまれる不動明王は、結構、コアな信徒さんが多いのも特長です。
「ガツガツ」と現世利益を求める参拝者が結構多い印象ですが、
私見では、
お不動さん御自身は、そういう「ガツガツ」タイプの信徒よりも、地味で堅実に信仰し、御祈祷だけでなく、先祖供養なども行い、お寺への寄進なども地道にする信徒の方がお好きな感じを受けます。
「コアな」信徒さんが、28日の御縁日に「ぎっしり」と堂内に集まっていたら・・・
「むわあぁぁん・・・」とした、欲望の気が集積している感じを受けたりします。
別に、御縁日の日でなくても、お不動さんの御利益には全く変化はないので、
人が少ない日にお参りしても、功徳は変わりません。
うちの菩提寺の住職が言ってました。
「本尊さんは、ちゃんと見ておられますから」
お不動さんでも観音さんでも、マナーよく、地道に堅実に信仰している信徒さんは、必ずご守護くださることと、私は思います。
ではまた。
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