第二十番「摩尼山寶塔院 光林寺」・・・なんとなく覚えています (^_^;)
ウィキより、伽藍の画像もウィキより、
「光林寺(こうりんじ)は、愛媛県今治市玉川町畑寺にある寺院。山号は摩尼山。宗派は高野山真言宗。本尊は不動明王。新四国曼荼羅霊場の第四十一番札所・四国三十六不動尊霊場第二十番札所である。
御詠歌:聞こえ来る 丹生玉川の 摩尼山の 恵みとおとし 大聖の寺
大宝元年(701年)に文武天皇の勅を受けた徳蔵上人は白山権現(明治以降は白山神社と称する)を開基するとともに法相宗と三論宗の寺として当寺を開山した。大同元年(806年)円識上人代に真言宗になったと伝えられている。天禄3年(972年)回禄の変により全山焼失するが、長久3年(1042年)後孔雀天皇の勅願で伊予守源頼義の奉行をえて堂塔が再建。元中二年(1385年)9月南朝長慶天皇が当寺に御潜幸されたと云われている。元禄14年(1701年)今治城主が開山一千年を記念して本堂を再建。
別説として、秦氏が当地に訪れ開基し、秦氏の信仰していた白山権現は寺上に、愛宕権現は山上(標高275mで現在は小祠がある)に祀ったという。この辺りの地区名が畑寺と呼ばれるのは、秦氏の寺ということからであるという。
1638年に賢明によって書かれた『空性法親王四国礼場御巡行記』の中に、「・・奈良原新旧両権現、南方君宮御旗寺、高野玉川光林寺、伊予中の神古・・」と当寺の記述がある。
大三島にある東円坊は、万治年間(1658年~61年)当寺の末寺となり現在も当寺の管理である。なお、東円坊はかつて大山祇神社の筆頭塔頭であり、同神社の本地大通智勝如来が明治初年の神仏分離により東円坊へ移され現在は本堂中央に鎮座している。明治期以前、大山祇神社は四国八十八ヶ所霊場の本札所であり、寺社が分離している現在は、同霊場を参拝する者は東円坊に参拝するのが本式であると云えよう」
童子名 因陀羅童子 (いんだらどうじ) 童子真言:おん いんだらや そわか
・・・本日は、やや大きめの「蛾」・・・きれいなベージュ色の子が、うちの玄関先に来ていました。
羽をプルプルさせて嬉しそうにしていましたが、後に見ると、亡くなっていました。
よく、昆虫は私のところに何故か、終活に来ます。
簡易回向しました・・・・・。
ではまた。
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