「朝野君、黒田君、高山君、坂本君の4人で、体育教官室にクレームをつけにいったらしいぞ」
と、大久保君が笑いながら小生に言った。
「えっ!どうしたの?」と、小生。
(写真は錦織選手の、フォアハンドエアー)
前回、大学2年の時はほとんど学校に行かなかったことを書いた。
「今日も、100円損した」と一日が終わる夜の飲み屋でよく言ったものだ。
昭和50年入学の国立大学の授業料は、年間36000円で、日割りで、ほぼ100円。
その気になれば一年分の授業料を5日ほどのアルバイトで稼げた。
国民の税金を無駄にする罰当たり者だった。
いや、正確にいうと、少しは学校に行った。
2学年次の教養科目に必修科目があったのだ。
外国語や専門の概論、体育などだ。
出欠が単位に響く先生の場合は代返(代理返事)で友達に頑張ってもらった。
見返りは、パチンコ屋の景品のセブンスターやチョコレートだった。
しかし代返は、しばしばトラブルになった。
卒業後30年以上経った今でも親友の江藤君は、当時かなり代返を引き受けてくれたが、途中で「もう、お前の代返はしたくない・・」と弱音をはいた。
2年次の必修の概論で、江藤君が代返してくれたとき、先生が出席簿を見て私に質問をした。もちろん私はいないので、江藤君が答える。
しばらくして、今後は江藤君が当てられた。江藤君は困ったが、しょうがないので自分で答えた。
しかし、先生が私の代わりに答えたことを覚えていて、江藤君の代返がばれた。もちろん先生は江藤君も小生も顔と名前をちゃんと認識していない。
そのあげく、あろうことか江藤君が欠席していて、私が出席し代返したと判断したようだ。
「江藤君は代返で欠席、10点マイナス」と言われたらしい。
「名前のイメージだけで、俺が欠席扱いされちゃったよ・・・」と江藤君はぼやいた。
小生の苗字はある有名な学者と同じだ。おかげで勝手によいイメージを持ってもらえることが、この後の人生でも多かった。感謝したい。
体育も必修だ。2年次はテニスを選択した。
しかし、4月から6月くらいまでは、クラブの運営で忙しかった。
4月当初は学内の合宿所に缶詰だったので、体育があるテニスコートまでは200メートルの距離にもかかわらず、行くのが面倒だった。
合宿所に、のちにダブルスを組むことになる農学部の水沼君がいた。小生が体育のテニスをサボることを知ると、水沼君が替わりに行ってくれると言う。
小生は感謝して「水沼、わるいな。大久保君に付いてって」と代返をたのむ。
大久保君は小生と同じクラスだ。
4月早々の体育は2回連続で、水沼君が代理出席してくれた。
しかし、その後も立て続けに春のリーグ戦、東京都国公立戦、三大学戦が幹事校と、学校なんか行ってられない。
体育は出席だけが単位につながる、と分かっていながら、5月末まで欠席し、6月に入り初めて出席した。
テニスコートで体育の先生が出欠を取り始めた。出席番号の関係で小生は最後に呼ばれる。「○○君」
・・・「はい!」と小生。
体育講師は、すかさず意外なことを言った。
「君、代返!」
「私は本人です」と主張したが、聞き入れてもらえなかった。
テニスは一応やった。
高校時代、軟式テニスでインターハイにいった親友と時々ラリーして遊んでいて、少し腕に覚えがある小生は軟式ラケットを器用に操った。
「代返君は割りとやるね・・」と先生。しゃれは分かっているようだ。
体育が終わり、大久保君に「なんで、代返って言われたんだろう?」と聞くと、「あったり前じゃん」
大久保君の説明によると、4月に水沼君が2回出席したが、その際、水沼君はマイラケットを持参し、大いに目だっていたとのこと。あろうことか、水沼君のマイラケットというのは硬式ラケットで、それを振り回して、軟式ボールを豪打していたらしい。さらに、先生とも親しく会話していたという。
「あんなに目立ったんだから、さすがに先生も覚えてるよ」
「ガーン!・・・・水沼のヤロウ」と思ったが、あとの祭りだった。
もし体育の単位が取れなかったら、最悪の事態だ。
翌年、後輩と一緒に授業に1年間出なくてはいけなくなる。
「実に困ったことになった」が、いいアイディアは浮かばなかった。
しょうがない。とりあえず、体育だけは出席しようと努力した。6月からは8割方出席したと記憶している。
もっとも楽しくテニスをするだけなので、授業自体はまったく苦ではない。
テニスは屋外のコートでやる。
だが、雨が降ると、皆で体育館に移動し卓球台をだして、卓球のクロス打ちだ。(人数分の卓球台がないので、一台に付き4人でクロスにラリーする)
東京教育大出の体育の講師の専門はなんだったのだろう。
恐らく球技ではなかったように思う。
ところが、テニスの時はほとんど腕を組んでいるだけなのに、雨で卓球になると、自分もラケットを持ってやりたがる。
素人なのにスマッシュが打てた。
関東学連の4部と5部を行ききするチームの一員であったが、高校から卓球を本格的にやった小生は素人のスマッシュくらいは軽く返す。
素人相手のスマッシュならばスマッシュでも返せるが、そんな大人げないことはしない。
体育講師は授業時間中ずっと小生とラリーを楽しんだ。
スマッシュを相手がまたスマッシュしやすいコースに適度なスピードで返し、先生がミスするまで、ラリーが続く。
確かに、素人には楽しい遊びだった。
「何とか単位だけはもらえそうだ」
その年は雨が多かったのか、5回ほど、体育館で体育講師と卓球をしたことを覚えている。
3月になり、大学本部の教務室に成績表をもらいにいった。
前にも書いたが、2年から3年次の進級は無条件でできる。が、予測はついたが、散々の成績だった。
「ほとんど大学行かないとここまでひどいか!」と後悔した。
全部で12単位しか取れていない。
しかしながら、必修の英語、問題の概論そして体育はなんとか単位がついていた。
そして驚くべきことに、体育はA(優)だった。
最低限の成績であったが、2学年次を社会勉強にまわす計画は成功したと、自分に言い聞かせた。(いつの間にか社会勉強にすり替わっているが・・笑)
話をもどす。
冒頭のクレームだ。
体育教官室にクレームを言いに行った同級生4名は全員、体育の授業は皆勤だったとのこと。
もっとも小生を除くほとんどの人が皆勤なのだが・・・
小生には、同級生4名の主張は良く理解できた。
つまり、4月の最初から代返者を立て、その代返者が、軟式テニスにもかかわらず、公式ラケットを振り回し皆に迷惑をかけ、なお且つ本人は6月くらいにのこのこ出席する始末。
そして、体育講師はその代返(不正)をはっきりと認識していた。
ところが、そのような輩(やから)の成績がAだと聞いた。
客観的に小生もこれはありえないと思った。文句も言いたくなるだろう。
気の毒なことに、4名は単位は取れたものの、2名がBであとの2名はCだったとのこと。
大久保君は笑いながら教えてくれた。ちなみに大久保君はAだったそうだ。
「それで、教官室では、どんなことになっちゃったの?」小生は心配になり聞いた。
「世の中って、そんなもんだ!」って、言われたらしいよ、と大久保君。
4名は体育講師に大きな声で
「世の中って、そんなもんだ!」
と一括され、さらに
「そんなことも分からないから、君たちはBとかCなんだ」
と追い討ちされ、教官室からすごすごと出てきたらしい。
4人には申し訳なく思ったが、この事件により、小生は19歳にして、世の中は「ごますり」が大事だと、学んだ。
おしまい
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