哲夫だったのかもしれない。しかし小生の記憶では鉄男だ。
東京に出てきて、学校の寮に住んだ。
400人弱住む寮は主に4人部屋であったが、余裕のある作りで一人分が約6畳ほど。さすが国立大学の寮で、家賃は180円/月と信じられない安さであったが、その家賃を滞納するつわものもいた。
2年に進学して、寮の部屋替えがあった。
引越しが落ち着いたころ、同じクラスの大久保君の部屋に遊びに行った。
「ちょうどいいところに来た」と大久保君。
いきなり「こいつ、空手日本一なんだ」という指の先に、‘がたい’が立派な兄ちゃんがニヤリとしている。身長は170cmくらいだが、がっちりしている。
なんでも、昨年の高校空手のチャンピオンだという。
「鉄男っていうんだ」と新入生を紹介してくれた。
大久保君は鉄男君を可愛がった。遊びに行くときは必ず鉄男がいた。
当時は第1次ディスコブームの初期。吉祥寺のインデ(インディペンデントハウス)が盛況で、夜ひまだと、踊りにいった。
やはり同じクラスの浜本君がプレスリーの大ファンで、派手なことが好きだった。浜本君は一人でいくのは面白くないようで、わざわざアパートを引き払って寮に入り、暇な友達を連れては、インデに通った。
ある日、小生が誘われて浜本君の部屋に夕方いくと、本日のインデ
ご一行様が流行りのディスコミュージックに合わせて踊っている。
そのころのディスコはゴーゴーバーのなごりもあった時期で、ツイスト音楽も残っていたのだが、ツイストに合わない曲はいくつかのステップを各自が適当に踏んでいた。(サタデーナイトフィーバーはこの2年後だ)
ところが浜本君の振り付け指導のもと、5~6人がへんてこな同じ踊りをしている。思わず噴出す小生。(この中に、大久保君も鉄男もいた)
「お前もやれよ」と浜本君。
「恥ずかしくないのか?」と小生。
とにかく、全員がそろって、いざインデへ出発。
鉄男の話なのに、話がずれてしまった。
脱線ついでに、浜本君の話をもう少しする。
インデで、ホールの先頭に陣取る浜本グループ(小生を除く5~6人)
曲によって違うらしいが、先頭集団が同じステップと同じ振り付け。
「あ~ぁ、はじめちゃったよ」と後方で、他人の振りをして、適当なステップを踏む小生。
ところが、曲が進むにつれ、周りで踊っている人たちが浜本グループの真似をし始めるではないか。
休憩挟んで、2クール目に入ると半分以上の人たちが、浜本グループと一緒にステップして、振り付けも同じだ。
深夜1時5分の最終電車の中で、浜本君は皆に次回からの振り付けの改善点を熱く語っていた。
それから、インデが浜本振り付けになるのに、1ヶ月もかからなかった。
その後、近所のおばちゃんがオーナーやっているビルに入っている歌舞伎町のMugenに行くと、浜本振り付けだ。念のため、ほかのディスコを覗いても歌舞伎町も六本木も浜本振り付けだった。
この天才的振付師の浜本君は残念ながら、大手流通業で偉くなっている。
さて、鉄男の話だ。
大久保君や浜本君に鉄男はよくついていった。
我々は吉祥寺によく行った。
吉祥寺で飲むのは北口だった。インデもベルモも伽藍堂も映画館もデパートも怪しい飲み屋もだいたい北口だった。
南口はマルイがあるが、その南側は井の頭公園で、あまり魅力は感じなかった。
その日はなんで南口だったのだろう。
メンバーは大久保君と私と鉄男の3人だった。
かなり酔っ払っていた。少し離れた焼き鳥屋で飲んだかえりで、南口から中央線に乗るつもりだった。
前方から、若者の集団がやってきた。大久保君は千鳥足でふらつき集団の一人と軽くぶつかった。「なんだ!」とすごむ相手。どうも先方も酒を飲んでいるようだ。
「ごめんな~」と小生が謝った。ところが、ひとりが小生の胸ぐらをつかんだ。
相手は10人ほどだが、なぜか一人として、仲裁しそうにない。
これはまずいことになったと思った。服装などから、その筋の人ではないことは直感したが、人数をたよりに粋がって喧嘩を吹っかけてきたのだろう。
大久保君も小生も足には自信があったので、酔ってなければ逃げるケースなのだが、大久保君はすでに羽交い絞めされて、3人くらいに押さえられている。
小生の胸ぐらを掴んでいる相手を柔道初段の払い腰で決めたが、大久保君を置いて逃げるわけにはいかない。
その時、鉄男の「やぁー!」という気合が聞えた。大久保君を押さえているひとりが、地面に転がった。回し蹴りだった。
「このやろー」と3人が鉄男に挑みかかる。正面の男のアゴに鉄男の前蹴りが炸裂するのをスローモーションのように、小生は見た。相手は2メートルほど後方にあお向けに飛んだ。
大久保君を羽交い絞めにしていた男は慌てて、逃げようとした。しかし、鉄男の低い回し蹴りに太ももを強打され、うずくまった。
鉄男は本物だった。このあと、後ろから挑んだ男に裏拳を飛ばし仁王立ちした。
あっという間に4人が転がったのだ。
残りの男たちは戦意喪失だった。
「おうー!やめよう」という小生の声で、集団は救われた。
つまり、小生は集団に言ったのだが、鉄男は自分が言われたものと思い、大久保君を抱き上げた。
大久保君も少し見ていたようで、帰りの中央線は鉄男を褒め称えた。
「鉄男、あいつら大丈夫かな?救急車呼ばなくてよかったかな?」という私の問いに、「本気でにゃーずら、大丈夫ずらよ」と静岡弁でしゃーしゃーと答えた。
その後、下北沢や歌舞伎町や池袋に飲みに行くときには、必ず鉄男に声をかけたのは言うまでもないが、幸い、その後、鉄男が活躍することはなかった。
おしまい