「罪悪という意味は朦朧(もうろう)として」
~夏目漱石『こころ』批判(1/7)
いずれにしても先生のいう罪悪という意味は朦朧(もうろう)としてよく解らなかった。
(夏目漱石『こころ』)
「いや、ひとつのものも、人によって呼び方がちがうものですよ」とポアロはなぐさめた。
(アガサ・クリスティー『死者のあやまち』)
けれども、このブラウン家の隣人(りんじん)は、いとも巧妙(こうみょう)にものごとをねじまげるくせがあって、この人にかかると、相手(あいて)は自分がはたして何をいったのか、確信(かくしん)がもてないようにさせられてしまうのでした。
(マイケル・ボンド『パディントンとテレビ』)
「ぼくがことばを使うときは、だよ」ハンプティ・ダンプティはいかにもひとをばかにした口調で、「そのことばは、ぴったりぼくのいいたかったことを意味することになるんだよ。それ以上でもそれ以下でもない」
「ただ、問題は、そんなふうにことばにやたらいろんな意味をもたせていいものかどうか」
「問題はだね。どっちが主導権をにぎるかってこと――それだけさ」
(ルイス・キャロル『鏡の国のアリス』)
「わたしには、イーヨーのおっしゃるいみがわかる。」とフクロがいいました。わたしの意見(いけん)はと問(と)われるなら――」
「わしゃ、だれの意見(いけん)もきいちゃおらない」と、イーヨーがいいました。
(A.A.ミルン『クマのプーさん』)
その言葉はぞっとするほどいやらしく響(ひび)きましたが、その響きよりも意味のほうがもっとおぞましいのでした。
(ジョージ・マクドナルド『かるいお姫さま』)
みんな、オウムという鳥は、人間のことばを話しますが、たいてい、じぶんがなにをいっているのか知らないのです。でも、オウムたちが、すぐに人間のことばをしゃべるのは、――つまりそれが、なんとなくしゃれたことのように思われるからです。それに、人間のことばをしゃべるというと、ビスケットをもらえるのをみんな知っていますからね。
(ヒュー・ロフティング『ドリトル先生航海記』)
「人間の話すことがわからなければ、人間なんてどこがいいんだ?」
(ラドヤード・キプリング『ジャングル・ブック』)
「ああ、言葉足りないですね」
「…………。ううん……」
「…………?」
「充分だよ。充分」そう言うと、南は頭から布団をかぶった。
(北川悦吏子『ロング バケーション』)
*go to
ミットソン:『いろはきいろ』#051~088。http://park20.wakwak.com/~iroha/mittoson/index.html
志村太郎『『こころ』の読めない部分』(文芸社)。
志村太郎『『こころ』の意味は朦朧として』(文芸社)2020年11月刊。
(終)