腐った林檎の匂いのする異星人と一緒
32 『椅子から変わるあなたの人生』
何ですって?
あれが欲しいって。
あれって、もしかして、あのあれ。
ええ。
あんな物、どうすんの。
「置き場所に困るけど」とは仰ってました。
場所じゃなくて、使い道。
卵だって。
え?
卵を産むんだとか。
あれが?
ええ。
あれが?
ええ。
あれが?
ええ。
どうして。
椅子だから。
何が?
あれが。
あれが椅子?
はい。
あれって椅子なの?
あの方はそう言ってますね。
あれは椅子だったの?
後から来た男の人は頷いてましたよ。
笑わずに?
笑ったかな。
あなた、笑った?
さあ。
あなたもそう思ってたの。
さあ。
思ってて黙ってたの?
「椅子なら、他にもありますよ」とは言ったんですけどね。
また余計なことを。
ちぇっ。やっちゃった。
うちの椅子は売り物じゃないわよ。
ねえ。
ねえったって。
ねえ。
椅子が卵を産むの?
産みませんよね。
茹で卵なら産むかも。
ねえ。
ねえじゃないでしょ。
ねえ。
産むわけないっしょ。
鳥じゃないから。
鳥だって産まないよ。
え? そうなんですか?
そうだよ。
じゃあ、誰が産むんです?
茹で卵だよ!
理科、苦手。
私も。
料理なら得意。
料理も苦手。
美味しい半熟卵の作り方、覚えてます?
『椅子から変わるあなたの人生』って本でも売れてるのかしらね。
聞いたことあるような。
あるの?
ないような。
まず、何もない部屋を想像しましょう。
牢屋?
でもないの。
かもしれない。
広さも、はっきりしていません。
それって部屋?
壁の色も、窓の大きさも、天井の高さも、ぼんやりとしています。
それって部屋?
そこに椅子を置きます。
置き場所がないそうですよ。
床は何でできていますか。
「椅子に似合う床を想像しろ」ってことですね。
壁との距離はどれくらいにしますか。
なるほど。
窓の近くに置きますか?
そうするかな。
窓から離して置きますか?
そうしない理由はない。
椅子に合う天井を想像しましょう。
しました。勿忘草色です。
窓の広さはどのくらいですか。
両手を広げても足りないくらい。
カーテンを掛けましょう。
掛けた。春風が吹きこんで揺れてますよ。
カーテンの色は椅子に触れた部分から椅子の色を吸い込むように変わっていきます。
ううん。何色かな。ううん。
色紙を見て選んでください。
あら。色紙が散った。
カーテンは、以前からあなたが欲しいと思っていた生地です。
何? 何が欲しかったっけ。
椅子の影の色よりは淡く、床が塗られていきます。
後で絨毯、敷こう。
床は先の方で立ち上がり、壁になります。
色は床と違ってていいんだよね。
壁紙の模様を想像してください。
花模様。細かいの。でね、茎がくねくねしてて。
それをどこかで見ましたか。
どこだっけ。
壁には絵が飾られています。
風景。
建物はありますか。
お祖母さんの家みたい。
絵の横に姿見が立っています。
あった。
あなたの姿を映しましょう。
どれどれ。あっ。思い出した。あの壁紙、お祖母さんちの寝室。
なんてことが『椅子から変わるあなたの人生』って本に書いてあるのかしら。
そうそう。きっとそうよ。
その本を読んでやってきたのね、あの人。
でも、最後までは読んでないのかも。
(終)
(写真)