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夏目漱石を読むという虚栄 6320

2022-06-13 11:39:10 | 評論

   夏目漱石を読むという虚栄

6000 『それから』から『道草』まで

6300 僻み過ぎたまでの『彼岸過迄』

6320 長すぎる春

6321 須永市蔵の物語

 

『彼岸過迄』は、「風呂(ふろ)の後」「停留所」「報告」「雨の降る日」「須永の話」「松本の話」そして「結末」から成る。

 

<大学出の田川敬太郎は、就職の必要から、友人須永市蔵の叔父の実業家田口要作を知り、さまざまな奇妙な経験を重ね、須永、田口、もう一人の叔父の資産家松本恒三ら、その親族関係を知る。田川の冒険と探偵とを通じて、友人須永市蔵と許婚者田口千代子との関係に近づき、その実相を明らかにすることで、本編の主題に入っていく。須永は真実千代子を愛しながら、自我に忠実に生きようとするかぎり、諸種の事情に妨げられ、精神的孤独と寂寞に陥り、手足を出すこともできぬ。「恐れる男」と「恐れない女」との奇妙な関係、須永の孤独な内面の悲劇を理解できるものはいない。実は須永には出生の秘密があり、煩悶のすえ、苦悩を癒やしに関西に旅立つ。そして自意識過剰な彼も、自然を「考へずに観る」ことのできる調和的な心境に達したと思う。しかし人間の心の深淵に深く探りを入れることで、作者はいよいよ暗い眼をして迫っていかなければならぬ。

(『日本近代文学大事典』「夏目漱石」瀬沼茂樹)>

 

意味不明。面倒だから、細かく検討しない。

「本篇」とは〈市蔵の物語〉だろうが、これは「須永の話」と「松本の話」から成る。全体のほぼ三分の一。

「須永は真実千代子を愛しながら」は、完全な誤読。「達したと思う」は正しい。つまり、達してはいないのだ。この点を誤読する人は少なくない。

 

<辰野隆は東京帝大法科の学生として、毎日この小説を読んだ経験を反省して、次のように云っている。

僕は毎朝この小説を読むのが無上の楽しみだった。……僕は異常な親しみをもって青年須永市蔵を愛し始めたのであった。明治末期インテリゲンチャの消極的個人主義は須永の裡(うち)にその代表的存在を牢固(ろうこ)として基(ママ)きあげている。須永が法科の卒業受験生でありながら、すでに夙(はや)く、社会生活の夢や青雲の志や富への憧憬(しょうけい)をまったく放下して、狭いながら、自我の奥に人世探求の耿々(こうこう)たるひとみを据えたところは、当年の法科の秀才よりむしろ文科の人材に往々に見受けた貴い型であった。

このように、自我しかもたぬ須永の性格の設定は、近代文学の特色を大きくうち出したことになり、作品としての出来、不出来は別として、漱石の思想的な深さを証明する一要因であろう。

(吉田精一「過渡期に位置する作品群」*)>

 

「この小説」は『彼岸過迄』だ。

「異常な親しみ」について反省すべきだ。「往々」と「貴い」は合わない。

「自我しか持たぬ」なんて、もう、突っ込んであげない。

 

*「夏目漱石全集6」(ちくま文庫)所収。

 

 

6000 『それから』から『道草』まで

6300 僻み過ぎたまでの『彼岸過迄』

6320 長すぎる春

6322 「必死の緊張の下に」

 

叔父の松本は須永のことを心配している。お芝居だが、作者の虚構と区別できない。

 

<僕は誰にでも明言して憚(はば)からない通り、一切の秘密はそれを開放した時始(ママ)めて自然に復(かえ)る落(らく)着(ちゃく)を見る事が出来るという主義を抱(いだ)いているので、穏便とか現状維持とかいう言葉には一般の人ほど重きを置いていない。従って今日(こんにち)までに自分から進んで、市蔵の運命を生れた当時に遡(さかのぼ)って、逆に照らしてやらなかったのは僕としては寧(むし)ろ不思議な手落と云っても可い位である。今考えて見(ママ)ると、僕が市蔵に呪われる間際(まぎわ)まで、何故この事件を秘密にしていたものか、その意味が殆ん(ママ)ど分らない。僕はこの秘密に風を入れた所で、彼等母子(おやこ)の間柄が悪くなろうとは夢にも想像し得なかったからである。

市蔵の太陽は彼の生れた日から既に曇っていたという僕の言葉の裏に、どんな事実が含まれているかは、彼と交りの深い君の耳で聞いたら、既に具体的な響となって解(わか)っているかも知(ママ)れない。一口でいうと、彼等は本当の母子(おやこ)ではないのである。猶(なお)誤解のないように一言(いちげん)付け加えると、本当の母子よりも遥(はる)かに仲の好い継母(ままはは)と継子(ままこ)なのである。彼等は血を分けて始(ママ)めて成立する通俗な親子関係を軽蔑しても差支(さしつかえ)ない位、情愛の糸で離れられないように、自然から確(しっ)かり括(くく)り付けられている。どんな魔の振る斧(おの)の刃でもこの糸を絶ち切る訳には行かないのだから、どんな秘密を打ち明けても怖がる必要は更にないのである。それだのに姉は非常に恐れていた。市蔵も非常に恐れていた。姉は秘密を手に握ったまま、市蔵は秘密を手に握らせられるだろうと待ち受けたまま、二人して非常に恐れていた。僕はとうとう彼の恐れるものの正体を取り出して、彼の前に他意なく並べて遣(や)ったのである。

僕はその時の問答を一々繰り返して今君に告げる勇気に乏しい。僕には固(もと)よりそれ程の大事件とも始から見えず、又成る可く平気を装う必要から、詰り何でもない事の様に話したのだが、市蔵はそれを命懸(いのちがけ)の報知として、必死の緊張の下に受けたからである。唯前の続きとして、事実だけを一口に約(つづ)めて云うと、彼は姉の子ではなくって、小間使いの腹から生れたのである。

(夏目漱石『彼岸過迄』「松本の話」五)>

 

「僕」は松本で、「君」は敬太郎。松本は、なぜか、敬太郎に、須永市蔵の「秘密」を探らせた。敬太郎があらかたのことを知った後、松本はこんな話を始める。

「響」は怪しい。

須永は、自分が継子であることを知ったのに、そのことを継母に知らさない。しかも、母の口から真実が告げられるのを恐れる。松本が語るとおり、須永の恐れはわかりにくい。自分の実母が「小間使い」だったことを恥じるわけではない。父を恨むのでもない。

「本当の母子よりも遥(はる)かに仲の好い継母(ままはは)と継子(ままこ)」という松本の評価に根拠はない。「軽蔑しても差支(さしつかえ)ない」は〈「軽蔑」されても「差支(さしつかえ)ない」〉を裏返したものか。

松本は、須永を騙してきたが、騙しきれなくなり、敬太郎を巻き込んだ。そんなふうに誤読できる。実際に騙されるのは読者だろう。

 

 

6000 『それから』から『道草』まで

6300 僻み過ぎたまでの『彼岸過迄』

6320 長すぎる春

6323 「自分らしいもの」

 

Nの小説の世界はNの〈自分の物語〉だろうが、それに最も近いのが『道草』だ。『彼岸過迄』の長すぎる春は、『門』の終わらない冬で、『道草』の日々。

 

『それから』 『彼岸過迄』  『こころ』 『道草』   『明暗』

立役  代助     須永      S     健三     津田

探偵  ―      敬太郎     P     ―      延子

宿敵  平岡     高木      K     ―      小林

愛人  三千代    千代子     静     妻      清子

保母  ―      須永の義母   静の母   健三の養母  吉川夫人

 

津田を袖にした清子は、『坊っちゃん』の清に通い、N夫人の鏡子にも通う。『彼岸過迄』の「千代子」と『それから』の「三千代」はわかりやすい。名前の類似性は、二人の原型が同一であることの露呈だ。二人の性格などは違うように思えるが、役割か何かが同じなのだ。その何かがわかるまで、Nの小説は読解できない。〈キヨ≒チヨ〉であるような何かが隠蔽されている。その何かは非文芸的象徴だろう。

 

<三重吉の小説によると、文鳥は千代(ちよ)々々(ちよ)と鳴くそうである。その鳴き声が大分(だいぶん)気に入ったと見えて。三重吉は千代々々を何度となく使っている。或(あるい)は千代と云う女に惚(ほ)れていた事があるのかも知(ママ)れない。

(夏目漱石『文鳥』)>

 

『こころ』の場合、二人の語り手がどちらも「私(わたくし)」という人称を用いるので、〈S≒P〉だ。P文書の静と「遺書」の静の母はともに「奥さん」と呼ばれているので、同類だろう。

 

<自分は凡(すべ)て文壇に濫用(らんよう)される空疎な流行語を藉(かり)て自分の商標としたくない。ただ自分らしいものが書きたいだけである。手腕が足りなくて自分以下のものができたり、衒(げん)気(き)があって自分以上を装う様なものが出来たりして、読者に済まない結果を齎(もたら)すのを恐れるだけである。

(夏目漱石『彼岸過迄(まで)に就て(ママ)』)>

 

「凡(すべ)て」は宙に浮いている。「濫用(らんよう)」や「空疎」や「商標」は無視。

「自分らしいもの」とは〈自分の物語〉を世界とする異本のことだ。松本は「その学者は現代の日本の開化を解剖して」(「松本の話」五)云々と語るが、「学者」はN自身で、原典は『現代日本の開化』だ。Nは自分の小説の内部に生きていたわけだ。マンネリ。「開化の影響」のせいで「母子(おやこ)の間柄」(「松本の話」五)が危うくなるのなら、「通俗な親子関係」(「松本の話」五)に設定すべきだ。男女関係も同様。

「自分以下」も「自分以上」も意味不明。ウルトラジブン!「読者」の像が不明。

(6320終)


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