書評
『江戸小咄散歩』(旺文社文庫)
著者 興津要
「社会の分断」なんて言葉をジャーナリストらが頻用する。まるで先日までは社会が一つにまとまっていたみたいだ。本気かよ? 本気だとすれば世間知らずだね。
社会が一つにまとまっているように偽装するのは論理だ。非論理的な、意味ありげな語句を用いるのは「分断」の拡大だ。しかも、チョンチョン(“ ”)なんか付けてさ。騙す方が悪いに決まっているけど、でも、騙される方も共犯者みたいなもんだぜ。
*
榎
下女、桜の馬場へゆき、榎へのぼる処を、番人が見付け、
「こりゃ、首をくくらせる事はならぬ」
といえば、下女、榎より飛び下り、
「どうぞ慈悲じゃから、くくらせてくんなさい」
と、番人に、ぴったり抱きつく。番人、ぐにゃりとなり、
「そんなら、早くくくって帰りや」
(「桜の馬場」)
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誰とも話が通じないんなら、もう諦めて、笑うしかない。
(終)