『tokotoko』

Fortune comes in at the merry gate.

『ツリーハウス/角田光代』

2012-06-15 | 
いろんなひとがいると思うけど、
私は、幼い頃から、

私はどこから来たの?
この家はいつからあったの?

お父さんはどんな子供だったの?
お母さんはどんな学生時代を過ごしたの? と、ルーツ好きな子供でした。

そのため、中学1年の時には、先祖探しというのを夏休みの課題にし、

父も母も祖父も知らない、
思わぬ・・・なんとやら・・・を見つけ、

その後も、母方の曽祖母の先祖に行きあたってみたら・・・
ビックリする事実が出て・・と

でも・・・そんなことが好きでした。

ところが、その・・・直近のルーツ、父や母、祖父や祖母は、
ドラマ以上にドラマな人生を送ってきた人たちで、

私はそれを知ることで、いろんな思いを知りました。

そのことはいずれ、言葉にしようと思っていますが・・・。

私自身に降りかかった様々なできごとに、
私がどうにか負けきらず立ち上がれたのは、
(正確にはまだ治っていないので、途中だけれど・・・)

『それでも、笑っていられる』のは、
そうした父母の強さがお守りになってきたからだと思うから・・・

ということで、
この本、角田光代さんの『ツリーハウス』は、
特別な思いで、読みました。



おはなしは、

東京のとある場所で中華料理店<翡翠飯店>を営む一家三代の、
戦時中から現在までを描いた長編小説です。

翡翠飯店は、戦後良嗣(孫)の祖父母が始めた飲食店。

ある日、祖父が亡くなったことがきっかけで祖母が変わり始めます。
うちにいるのに『うちに帰りたい』と言うようになってしまったのです。

若い頃満州で暮らしていたという祖母。
その話を聞いた良嗣は祖母の『うち』を探しに、
祖母とうちに同居している伯父の大二郎と一緒に旧満州へ。

旧満州に来ても何も話さない祖母。
動かない祖母が、やっと動き出し、わかっていく『過去』。

<人生にもしなんてない。あるのは無だけだ。>

満州での祖父母の生活。
満州からの引き揚げの描写は、キツイ。

  生きるとは、本当に大変なことだと思います。

  いろいろな意味で、昔と今は大きく違うけれど、
  自分で自分を生きるのは、どの時代も大変なことだと、

  あらためて、言葉にしてみました。

<謎の多い祖父の戸籍>

祖母のヤエさんの『生きる』が、子育てを通して見えてきます。

<逃げることしか教えることができなかった>

  後悔ともとれるその言葉は、
  私の祖父の『生きる』と重なります。



小説の中の人物に、特別な人が出ているわけではありません。

その時代には、ヤエさんのように、
時代の濁流の中でもがき或いは流されて生きたひとが、たくさんいたことでしょう。

そして<逃げて>生きたひとたちも家族を作り子どもを産む。

家(ハウス)は、家族が家族を作り、
枝分かれして、大きな大きな木に成長していくのです。

祖母は、祖父を亡くしたことで、
その大きな木(うち)に、幹(こころ)に触れたのでしょうか。

『うちにかえりたい』

家族は、そこにあるもので、あるものじゃない。

<血>という絆があったとしても、
それは絶対であり、絶対ではないのです。

心を、手を、つなぎ<続け>ていく、
バトンを渡していくことは、当たり前にできることではないのです。

ヤエさんが、振り返った苦い苦しい過去は、
旧満州の<うち>に戻ることで見えたものは、

彼女の孫である良嗣の目や心を通して、

祖父母が建てたツリーハウスを・・・育てていくのだと感じました。

<ルーツ>を探ると、心の根っこが見える気がします。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿