毎年のように「線状降水帯」による集中的な降雨があり、瞬くうちに街が浸水していきます。m(__)m
古来、我が国は、大規模地震や火山噴火、台風に風水害といった自然災害との闘いを繰り返して来ましたが、現代の「線状降水帯」による集中豪雨は、新たなタイプの災害と言えるのではないでしょうか?!(◎_◎;)
このたび、被災された地域の皆様に心よりお見舞いを申し上げます。m(__)m
さて、「笈の小文」より今日の一句。
「御子良子(おこらご)の一本(ひともと)ゆかし梅の花」 芭蕉
御子良子(おこらご)や、一本(ひともと)など、独特な言い回しですね。
さっそく調べてみましょう( ; _ ; )/~~~
(解説)かつ(句意)
「御子良子」とは、伊勢神宮で神に供える飲食物を調える童女のこと。
神宮の垣根の内側に梅の木が一本もないことに気が付いた芭蕉は、神宮の職員に「これには何か訳でもあるのですか。」と尋ねた。
職員は「別に訳などない、たまたま、そうなのだ」と答え、「子良の館の後ろに一本だけ梅の木がある。」と教えてくれた。
神に仕える清らかな童女。彼女が居る建物の後ろに、この神宮内では一本だけの梅の木があるという。
芭蕉は、その梅の花を見たいのだが、「子良の館」へは近づけない。
見ることができないと思うと、よけいに、その梅の花の清らかさに心が惹かれてしまう。というイメージ。
伊勢神宮には、梅の木が一本しか無いという事を予備知識として読者が知らなければ、それを「ゆかし」と思う芭蕉の「憧憬」には近づけない。
神宮の垣根の内側に梅の木が一本もないことに気が付いた芭蕉は、神宮の職員に「これには何か訳でもあるのですか。」と尋ねた。
職員は「別に訳などない、たまたま、そうなのだ」と答え、「子良の館の後ろに一本だけ梅の木がある。」と教えてくれた。
神に仕える清らかな童女。彼女が居る建物の後ろに、この神宮内では一本だけの梅の木があるという。
芭蕉は、その梅の花を見たいのだが、「子良の館」へは近づけない。
見ることができないと思うと、よけいに、その梅の花の清らかさに心が惹かれてしまう。というイメージ。
伊勢神宮には、梅の木が一本しか無いという事を予備知識として読者が知らなければ、それを「ゆかし」と思う芭蕉の「憧憬」には近づけない。
こりゃ難解だー、なんまいだー!、チーン!!(◎_◎;)
まず、御子良子(おこらご)なんて言葉を知らなかったし、良い勉強になりました。( ; _ ; )/~~~
芭蕉翁の美学には、「見えないものを見る」、「想像力にこそ価値がある」といった流儀を感じますね。( ^_^)/~~~
それでは、お粗末ながら、馬関より返句献上。
「参道に蝉捕りの子や夏木立」 祖谷馬関