若い世代を中心に、「、、、とか」の濫用が目立ちますが、それ以外にも、語尾に付ける「かもしれない」がコミュニケーションの潤滑油として作用しているとのこと。(^-^)
ダイバーシティ、多様性が叫ばれる中、いろいろな意見や考え方を尊重する言い回しが好まれる、、、要は、言い切らない、押し付けない、断定しない、という話し方が良いのだそうです。(^_^)
「おまえはアホか」→「あなたは馬鹿かもしれないですね」
後者の方が腹が立つ感じがしないこともないですが、、、ま、いっか!!(◎_◎;)
さて、「笈の小文」より今日の一句。
「何の木の花とは知らず匂ひ哉」 芭蕉
何の花か知らず、、、この表現の効果は大きいですね。花を断定しないことから、「匂ひ」の方が際立って来ます。(^。^)
「匂ひ」を飾ることなく前面に出すためには、花の具体性を消せばよい、、、物凄いテクニック、文学的技巧だと思います。(^-^)
(解説)
伊勢の外宮に山田の俳人たち(勝延、益光、嵐朝等)と参拝した時の発句である。
西行の「何事のおはしますかは知らねども忝なさに涙こぼるる」をふまえて、神域の名状しがたいほど神々しい気配を、目に見えぬ木の花の匂いで象徴的に捉えている。
伊勢外宮の神域は鬱蒼たる杉の古樹に囲まれて余情が深い。
(句意)
何という木の花の匂いか分らないが、この神域には霊妙な花の香が漂って、言うにいわれぬ神秘の感がある。
こりゃスゴい、かもしれにゃい!🐈⬛
伊勢神宮での一句だったのですね!
しかし、芭蕉翁の俳句には、私淑する西行法師の歌をベースとした句が多いですね。(^。^)
それでは、忝(かたじけな)き返句をば。
「酒肴冴え忝きや盆の月」 祖谷馬関