
あなたを慕い求める人がみな、あなたにあって楽しみ、喜びますように。
旧約聖書:詩篇70篇4節(新改訳)
今ブログを書こうとしてパソコンを開けたが、ヤフーニュース記事に素敵なニュースがあったので、それをお伝えしたくてこのタイトルにしました。ニュースソースも貼っておきますが、いつか消えてしまうので、ニュース自体を引用して、貼らせて頂きます。どうぞご覧になって下さい。
<ローマ法王>中東和平を祈願 両首脳がバチカンで祈り
毎日新聞 6月9日(月)10時46分配信
【ローマ福島良典】フランシスコ・ローマ法王は8日、イスラエルのペレス大統領、パレスチナ自治政府のアッバス議長をバチカンに迎え、中東和平を訴える合同祈願の集いを開いた。対立するイスラエルとパレスチナの首脳がバチカンで共に祈りをささげたのは初めて。法王は和平のための「勇気」を双方に要請、キリスト教カトリックのトップとしての国際的な影響力を生かし、和平交渉の停滞打開を目指す仲介を本格化させた。
イスラエルとパレスチナ自治政府の和平交渉はオバマ米政権が妥結期限に設定した4月末が過ぎ、決裂状態が続いている。イスラエルのネタニヤフ首相は4月以降、閣僚らにパレスチナ側との接触を制限しており、公の場でのペレス、アッバス両氏の対面は異例。
集いはバチカンの庭園で開かれ、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖典である旧約聖書、新約聖書、コーランから平和祈願の一節が唱えられた。法王は「平和の構築には戦争をするよりも勇気が要る」と述べ、双方に「憎悪と暴力の連鎖」を断ち切るよう促した。ペレス氏は「平和の追求をやめない」と表明、アッバス氏は「包括的で公正な平和」の実現を求めた。両氏は「平和の印」に握手を交わし、オリーブの木を植樹した後、法王を交えて会談した。
法王は5月下旬の中東歴訪中にペレス、アッバス両氏をバチカンに招待し、受諾を取り付けていた。キリスト教の正統性を巡って11世紀にカトリックとたもとを分かった東方正教会の精神的支柱であるコンスタンチノープル総主教バルトロメオ1世も参加。イスラエル、パレスチナの聖職者・高官に加え、中東歴訪に同行した旧知のユダヤ教、イスラム教の指導者も出席した。
バチカンの報道官によると、2000年の「大聖年」などの機会に他宗教の指導者がバチカンで祈りの会合を持ったことはあるが、対立する紛争当事者の政治指導者がバチカンで共に祈りをささげた前例はないという。
【ベツレヘムを訪問した法王】やはり用意していたサプライズ 「分離壁」の前で祈り
フランシスコ・ローマ法王が5月25日、イエス・キリスト生誕の地とされるヨルダン川西岸パレスチナ自治区・ベツレヘムを訪ねた。
この日のために世界各地から記者が集まり、パレスチナ自治政府は事前の記者説明会を開催した。記者から「現在のローマ法王は予定外の行動をとることで有名だけれど、準備は大丈夫?」と冗談交じりに聞かれると「そうなんです。想定外の行動はあるかもしれないけれど、どんな事態にも対応できる準備を進めています」と緊張気味に話していた。
そして、当日。やはり法王は「サプライズ」を用意していた。本来であれば、そのすぐそばを「通過するだけ」(パレスチナ自治政府報道官)だった予定の「分離壁」の前で、急きょ車を止め、祈りをささげたのだ。
この分離壁がなぜできたのかはコラム「発信箱」(6月3日朝刊掲載)で説明したのでご一読いただきたいが、法王の「祈り」は、さまざまな臆測を呼んだ。
「言外にイスラエルの占領を批判するためだ」とか、「パレスチナに共感を示すのが目的だ」とか。私は25日当日、聖カテリーナ教会前の広場で法王のミサを取材した後、近くのプレスセンターに移った。そこにバチカンの報道官がいたので、壁の前でなぜ止まり、祈りをささげたのか、その「真意」を直接確認してみた。
報道官は、こう答えた。「法王は壁について、スピーチでは明確に言及しませんでしたが、この(壁に祈りをささげるという)ジェスチャーにより、ここに壁があること、そしてこれが紛争の、そしてこの地域の分断の象徴となっていることを認識している、と示唆したのです。そして彼は、この分断により生じている苦しみを共有しました。多くの言葉は語らず、壁に額を当てて静かに祈りましたが、人々は、壁がいずれ消え去り、共に通じ合える日を願う、その希望を、法王が(この祈りで)表現したのだと理解しました」
この数日前、私はベツレヘムにあるデヘイシェ・パレスチナ難民キャンプを訪ねた。イスラエルによる占領で家を失ったパレスチナ人約1万2000人が暮らす。ここで中学校教諭を務めるイスラム教徒のヤハヤ・ヤハヤさん(50)は、「訪問は歓迎するが、イスラエルの姿勢が変わらない限り和平は進まないし、法王にイスラエルを動かす力があるとは思えない」と話していた。
教え子の女子中学生たちも、法王訪問への「期待」は低く、観光客が増えれば経済が良くなり、失業率が下がるかもしれない、と極めて現実的な言葉を淡々と語っていた。
イスラエルとパレスチナは昨年7月、米国の仲介で和平交渉を再開したが、今年4月に決裂。交渉再開のめどは立っていない。
法王は6月8日、バチカンの自宅にイスラエルのペレス大統領とパレスチナ自治政府のアッバス議長を招待し、中東和平の前進を願って「共に祈りをささげる」予定だ。イスラエルでは、大統領は象徴的な存在で、実際の和平交渉には関与していない。こうした「法王外交」が実際の和平交渉に大きな影響を与えることはないだろうが、しかし和平の前進を世界的なリーダーの一人が強く願っていることを明確に態度で示すことは、「和平交渉などやってもどうせ無理」という後ろ向きなムードに包まれた現地の雰囲気を若干でも変える可能性はある。法王は、世界約12億人のキリスト教カトリック系信徒を率いる世界的なリーダーとして、できる限りのことをしているのだと感じた。
ここまで書いたので、ちょっと昨日のコメントと私の返事に対して書かせて頂く。
和解は他人のものとして見れば本当に美しく、楽だ。
けれど、私は昨日のコメントに対しては怒りが抑えきれなかった。
誰が書いたかわからないけれど、タイトルも名前もunknownと言うのが卑怯だと思った。今でも思っている。
決してこの手の投稿が初めてではない。
ああいう対応も、前に一回している。
けれど、昨日は私はあの対応しかできなかった。
そうしないと、私の中に怒りがたまって、おかしくなりそうだった。
実際おかしくなってパニックを起こしてしまったが・・・。
あのコメントと私の対応のコメントはこれから削除する可能性もあることをご承知おき頂きたい。
明日は9時からプレイズタイムに行って、お祈りしてから10時からやっとタイヤ交換に行く。
タイヤ交換の間、待っているのが実は怖い。
これを読んでくださった方。私がパニックにならないように祈って下さい。
そして!
大至急 RHマイナスO(オ-)型 の血液の人 30人 を探して下さい!
まだ達成できません。お祈り下さい!


皆さんの夜が平安でありますように。
この花は冬の画像ですが、初めて我が家で咲いた、ジャスミンの花です。
綺麗だなと思いました。初めての外国に行った中国で飲んだのもジャスミン茶でした。
あの時はそんなに美味しいと思わなかったのですが、今、某ファミレスのドリンクバーにジャスミン茶があって、あたたかいジャスミン茶を飲むと、ちょっとひなびたような香りが、とても私を癒してくれます。
毎日が戦いです。
オヤスミナサイ。

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<ローマ法王>中東和平を祈願 両首脳がバチカンで祈り
毎日新聞 6月9日(月)10時46分配信
【ローマ福島良典】フランシスコ・ローマ法王は8日、イスラエルのペレス大統領、パレスチナ自治政府のアッバス議長をバチカンに迎え、中東和平を訴える合同祈願の集いを開いた。対立するイスラエルとパレスチナの首脳がバチカンで共に祈りをささげたのは初めて。法王は和平のための「勇気」を双方に要請、キリスト教カトリックのトップとしての国際的な影響力を生かし、和平交渉の停滞打開を目指す仲介を本格化させた。
イスラエルとパレスチナ自治政府の和平交渉はオバマ米政権が妥結期限に設定した4月末が過ぎ、決裂状態が続いている。イスラエルのネタニヤフ首相は4月以降、閣僚らにパレスチナ側との接触を制限しており、公の場でのペレス、アッバス両氏の対面は異例。
集いはバチカンの庭園で開かれ、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖典である旧約聖書、新約聖書、コーランから平和祈願の一節が唱えられた。法王は「平和の構築には戦争をするよりも勇気が要る」と述べ、双方に「憎悪と暴力の連鎖」を断ち切るよう促した。ペレス氏は「平和の追求をやめない」と表明、アッバス氏は「包括的で公正な平和」の実現を求めた。両氏は「平和の印」に握手を交わし、オリーブの木を植樹した後、法王を交えて会談した。
法王は5月下旬の中東歴訪中にペレス、アッバス両氏をバチカンに招待し、受諾を取り付けていた。キリスト教の正統性を巡って11世紀にカトリックとたもとを分かった東方正教会の精神的支柱であるコンスタンチノープル総主教バルトロメオ1世も参加。イスラエル、パレスチナの聖職者・高官に加え、中東歴訪に同行した旧知のユダヤ教、イスラム教の指導者も出席した。
バチカンの報道官によると、2000年の「大聖年」などの機会に他宗教の指導者がバチカンで祈りの会合を持ったことはあるが、対立する紛争当事者の政治指導者がバチカンで共に祈りをささげた前例はないという。
【ベツレヘムを訪問した法王】やはり用意していたサプライズ 「分離壁」の前で祈り
フランシスコ・ローマ法王が5月25日、イエス・キリスト生誕の地とされるヨルダン川西岸パレスチナ自治区・ベツレヘムを訪ねた。
この日のために世界各地から記者が集まり、パレスチナ自治政府は事前の記者説明会を開催した。記者から「現在のローマ法王は予定外の行動をとることで有名だけれど、準備は大丈夫?」と冗談交じりに聞かれると「そうなんです。想定外の行動はあるかもしれないけれど、どんな事態にも対応できる準備を進めています」と緊張気味に話していた。
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この分離壁がなぜできたのかはコラム「発信箱」(6月3日朝刊掲載)で説明したのでご一読いただきたいが、法王の「祈り」は、さまざまな臆測を呼んだ。
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報道官は、こう答えた。「法王は壁について、スピーチでは明確に言及しませんでしたが、この(壁に祈りをささげるという)ジェスチャーにより、ここに壁があること、そしてこれが紛争の、そしてこの地域の分断の象徴となっていることを認識している、と示唆したのです。そして彼は、この分断により生じている苦しみを共有しました。多くの言葉は語らず、壁に額を当てて静かに祈りましたが、人々は、壁がいずれ消え去り、共に通じ合える日を願う、その希望を、法王が(この祈りで)表現したのだと理解しました」
この数日前、私はベツレヘムにあるデヘイシェ・パレスチナ難民キャンプを訪ねた。イスラエルによる占領で家を失ったパレスチナ人約1万2000人が暮らす。ここで中学校教諭を務めるイスラム教徒のヤハヤ・ヤハヤさん(50)は、「訪問は歓迎するが、イスラエルの姿勢が変わらない限り和平は進まないし、法王にイスラエルを動かす力があるとは思えない」と話していた。
教え子の女子中学生たちも、法王訪問への「期待」は低く、観光客が増えれば経済が良くなり、失業率が下がるかもしれない、と極めて現実的な言葉を淡々と語っていた。
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法王は6月8日、バチカンの自宅にイスラエルのペレス大統領とパレスチナ自治政府のアッバス議長を招待し、中東和平の前進を願って「共に祈りをささげる」予定だ。イスラエルでは、大統領は象徴的な存在で、実際の和平交渉には関与していない。こうした「法王外交」が実際の和平交渉に大きな影響を与えることはないだろうが、しかし和平の前進を世界的なリーダーの一人が強く願っていることを明確に態度で示すことは、「和平交渉などやってもどうせ無理」という後ろ向きなムードに包まれた現地の雰囲気を若干でも変える可能性はある。法王は、世界約12億人のキリスト教カトリック系信徒を率いる世界的なリーダーとして、できる限りのことをしているのだと感じた。
ここまで書いたので、ちょっと昨日のコメントと私の返事に対して書かせて頂く。
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タイヤ交換の間、待っているのが実は怖い。
これを読んでくださった方。私がパニックにならないように祈って下さい。
そして!
大至急 RHマイナスO(オ-)型 の血液の人 30人 を探して下さい!
まだ達成できません。お祈り下さい!



皆さんの夜が平安でありますように。
この花は冬の画像ですが、初めて我が家で咲いた、ジャスミンの花です。
綺麗だなと思いました。初めての外国に行った中国で飲んだのもジャスミン茶でした。
あの時はそんなに美味しいと思わなかったのですが、今、某ファミレスのドリンクバーにジャスミン茶があって、あたたかいジャスミン茶を飲むと、ちょっとひなびたような香りが、とても私を癒してくれます。
毎日が戦いです。
オヤスミナサイ。






②→http://mainichi.jp/feature/news/20140601mog00m030004000c.html
こちらには画像がありますので、どうぞご覧下さい。