わたしは心に苦痛を抱きながら
すべての年月をあえぎ行かねばならないのか。
主が近くにいてくだされば、人々は生き続けます。
わたしの霊も絶えず生かしてください。
わたしを健やかにし、わたしを生かしてください。
見よ、わたしの受けた苦痛は
平和のためにほかならない。
あなたはわたしの魂に思いを寄せ
滅びの穴に陥らないようにしてくださった。
あなたはわたしの罪をすべて
あなたの後ろに、投げ捨ててくださった。
旧約聖書:イザヤ書38章15~17節(新共同訳)
主よ、わたしを救ってくださった。
わたしたちは命のあるかぎり主の神殿で
わたしの音楽を共に奏でるでしょう。
イザヤが、「干しいちじくを持ってくるように」と言うので、人々がそれを患部につけると王は回復した。ヒゼキヤは言った。「わたしが主の神殿に上れることを示すしるしは何でしょうか。」
旧約聖書:イザヤ書38章20~21節(新共同訳)
砂利をかませてわたしの歯を砕き
塵の中に、わたしを打ち倒す。
わたしの魂は平和を失い。
幸福を忘れた。
わたしは言う
「わたしの生きる力は絶えた
ただ主を待ち望もう」と。
苦渋と欠乏の中で
貧しくさすらったときのことを
決して忘れず、覚えているからこそ
わたしの魂は沈み込んでいても
再び心を励まし、なお待ち望む。
主の慈しみは決して絶えない。
主の憐れみは決して絶えない。
それは朝ごとに新たになる。
「あなたの真実はそれほど深い
旧約聖書:哀歌3章16~23節(新共同訳)
ぜひお祈り下さい。
先々週の土曜日から、タイトルの状態が続き、昨日ある事でさらに悪化し、今日は祈祷会に行ったのですが、祈りの声、讃美歌を歌う声すら私には耐えられず、耳栓をして、また歯を噛み砕いたり、舌を噛み切ったりしないように、額関節症(がくかんせつしょう)の為、就寝時のみ装着している、テンプレート(歯に装着し、正しい顎のかみ合わせに直す器具)をずっとつけていないと、正気で居られない状態でした。
私自身、この私の状態は、異常だと思います。
この状態が続けば、私は壊れてしまうと思います。
それが主の御意志なら、「ハドソン・テーラーさんのように従いたい」と思いますが・・・・。
私は「自分が壊れてしまうこと」が「主のご意志」だとは思われないのです。
聖句にあるとおり、「滅びの穴に陥らないようにして」くださると信じます。
そして、過度に神経過敏、被害妄想になっています。
私は米沢興譲教会のトータルカウンセリングセミナーを受講することから、キリストへ導かれたのですが、その時講師として教えてくださった先生の一人に、渡辺裕子(わたなべ・ゆうこ)先生がいらっしゃいます。渡辺裕子先生は、強迫神経症という病気から回復され、そのお辛い体験を糧にして、今カウンセラー、講師として活躍しておられますが、私は渡辺先生のご著書「『自分』を愛するために」の中で(ここからは今、手元に本が無いのでうろ覚えです。正確な文章は本でご確認下さい。)「靴下を持って二時間ぼっとしていた」とか「包丁を握ったまま何もできず、ずっと立っていた」と言う状態になったことを書いておられます。
私は今、その状態がとてもよくわかります。
私自身も、過度の神経過敏、被害妄想のため、言葉が出なくなったり、ある瞬間、特に銀行のATMやレジでの支払いの時「後ろの人からバッグをひったくられるのではないか?」「暗証番号を見られていないか?」と、そっと後ろを窺ったり、またレジで手が震えて、お財布を出せない時はまだ良いほうで、財布ごと忘れてしまい
全部品物を返したり、またそのため、何回も何回も財布がバッグに入っているか確認し、一つ一つの行動に物凄く時間がかかっている状態です。
もっと端的に言えば、24時間ずっと緊張がとけない
状態です。
私は固まってしまっています。
そのため、もう予定が三日もずれ込んでいるのですが、今日、このブログで吐き出して、皆さんにも祈って頂きたくて、ブログアップしました。
自宅ではずっと、小さい時の少ないスキンシップを埋めるため、ここ数年ずっと母と一緒の部屋で寝ていたのですが、昨日、自分の部屋に急遽引っ越しました。
「自分一人でこもる空間を作らないと、私はおかしくなってしまう」
真面目にそう感じたからです。今もそれは変わりません。
もうひとつ。これは新陳代謝が良くなった事もあると思いますが、私は先々週から、ほぼ毎日、ノースリーブの下着を着ています。それでも、朝起きて朝食までは汗びっしょりになってしまいます。
山形は今日は格別冷え込むので、多分明日は雪ではないかと思います。
明日の降雪予報も出ていました。
私もそう思うし、今は暖房をつけて暖かくしてこのブログを書いているのですが、自分の部屋は暖房をつけていません。
暖房費が自分で稼げないからです。
できるだけ暖房は遅く点け、早めに寝ます。
けれど、何がなんだか、よくわからなくなってきました。
そんな今日、主が私に与えて下さったのが、今日の三つの聖句です。
どうぞ皆さま、私が壊れないように祈ってください。
問題も「しなければならない事」も山積みです。
カメさん
になりたいんだけど、なっていられないのです。
けれど、今こうして、暖かくして、ブログで吐き出さないと
私はカメどころか、暴力を振るう、自傷行為に及ぶ、または、それを我慢して憤死してしまうと思います。
自死に至ることだけは避けたいと思います。
今、自宅でも、病院でも、教会でも、寛ぐことが出来ません。
泣けません。
今日やっと、祈祷会の献金の時、泣けました。
自分の部屋の寝る頃、電気を消して、枕もとの蛍光灯を点け、ヒーターを点け、温かくして、自分の好きな本を読んでいる時、少しだけほっとします。
私がこんな状態になったのが何故か理由は書けません。
書いたら、また自分で自分の首を絞めて、苦しまなければならないからです。
23年前、初めて講師として働き始めた頃、良くして下さった女性の先生の「唇寒し」という言葉が、ここ一週間私の中にあります。
主が私に安心して、怒りや憤り(いきどおり)を出せる場所、時間を与え、深い傷を癒して下さいますように。
どうぞお祈り下さい。
神さまが世界中の方々を、そして特にこのブログを読んで下さって、私のために祈ってくださった方々を祝福し、癒し、慰め、励まし、必要ことごと叶えてくださいますように。
お祈りしてブログアップします。インマヌエル・アーメン。(=「主が私と共におられます」の意味)
居て下さいますように・・・・。
画像は、全てEテレ(=いーてれ、NHK教育テレビ)からです。

明日の山形はきっとこんな感じで雪が降るような気が致します。

赤いチューリップの花束。大学時代は定期演奏会が12月だったので、このお花の高い時、演奏会が終了後、花束を頂けるのがとても嬉しかったです。
高校時代から大学時代は、大好きな深紅の薔薇の花を頂くのが格別嬉しかったのですが
・・・今は、ちょっと優しく、柔らかな花が好きになったようです。
・・・ある定期演奏会で知った、名前も知らない男性の方に憧れて、薔薇の花をそっと一輪だけ、コンサートで差し上げた・・・。
そんなこともあったかな・・・・?

明日は私たちの南部教会の岡摂也(おか・せつや)先生のお誕生日です。
今、被災地岩沼のヴォランティアセンターにおられます。今週の日曜日から役員のKさんや青年会の他、関西、北海道、静岡などからいらした23名の方々と共に、EM散布のヴォランティアをなさっておられます。明日は岩沼でお誕生日を迎えられます。
どうぞ岡摂也先生の信仰と健康とご用が守られますように。
ヴォランティアの方々の健康が守られますように。
そして何より、被災地の方々の心、体、経済、土地、家屋、お仕事、心と体の傷が全ての癒し、そして復興が一瞬でも早くなりますように。
亡くなった方々の魂を主が優しく抱きしめて下さいますように。
特に、小さなお子さん、お年寄りの方で一瞬のうちに天に召されてしまった方々を
主が優しく抱きしめ、平安な永遠の眠りにつかせて下さいますように。
まだ消息すらわからない方が、一日も早く見つかりますように。願わくばお元気でご家族のもとにお帰りになられますように。
仮に亡くなられていたとしても、そのご遺体が見つかり
大切なご家族のもとに帰れますように。
もし帰れない時は、イエス様
あなたが探して見つけ、家族の方の変わりに、泣いて、悲しんで下さいますように。
そして、そのようなご家族の方々の張り裂けてしまった魂を、神さま
あなたが抱きしめ、慰め、十分に御腕に抱いて、泣かせて下さいますように。
主よ、泣けないのは辛いです。
この祈りに
どうぞご加祷下さい。
追記:Kさんが、前回のヴォランティアから帰ってこられた時「岩沼の農家の方から、EM散布のお礼にと、立派な白菜を頂きました。おすそ分けです」と、合同祈祷会に持って来てくださいました。我が家にまでその白菜を分けて頂きました。
岩沼の農家の皆さん、本当にありがとうございました。
心よりお礼申し上げます。
復興を祈らせて頂く事しかわたしには出来ませんが、なお祈らせて頂きます。
渡辺裕子先生の本から、EM散布の関連サイトを全て、今日のコメント欄に貼らせていただきます。
ご覧頂ければ幸いです。
二時間かけて、十分吐き出させて頂きました。
後は、明日ぶっ倒れないようにだけして、休みたいです。
休めますように。イエス様の御名によって祈ります。アーメン。主の平和。








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すべての年月をあえぎ行かねばならないのか。
主が近くにいてくだされば、人々は生き続けます。
わたしの霊も絶えず生かしてください。
わたしを健やかにし、わたしを生かしてください。
見よ、わたしの受けた苦痛は
平和のためにほかならない。
あなたはわたしの魂に思いを寄せ
滅びの穴に陥らないようにしてくださった。
あなたはわたしの罪をすべて
あなたの後ろに、投げ捨ててくださった。
旧約聖書:イザヤ書38章15~17節(新共同訳)
主よ、わたしを救ってくださった。
わたしたちは命のあるかぎり主の神殿で
わたしの音楽を共に奏でるでしょう。
イザヤが、「干しいちじくを持ってくるように」と言うので、人々がそれを患部につけると王は回復した。ヒゼキヤは言った。「わたしが主の神殿に上れることを示すしるしは何でしょうか。」
旧約聖書:イザヤ書38章20~21節(新共同訳)
砂利をかませてわたしの歯を砕き
塵の中に、わたしを打ち倒す。
わたしの魂は平和を失い。
幸福を忘れた。
わたしは言う
「わたしの生きる力は絶えた
ただ主を待ち望もう」と。
苦渋と欠乏の中で
貧しくさすらったときのことを
決して忘れず、覚えているからこそ
わたしの魂は沈み込んでいても
再び心を励まし、なお待ち望む。
主の慈しみは決して絶えない。
主の憐れみは決して絶えない。
それは朝ごとに新たになる。
「あなたの真実はそれほど深い
旧約聖書:哀歌3章16~23節(新共同訳)
ぜひお祈り下さい。

先々週の土曜日から、タイトルの状態が続き、昨日ある事でさらに悪化し、今日は祈祷会に行ったのですが、祈りの声、讃美歌を歌う声すら私には耐えられず、耳栓をして、また歯を噛み砕いたり、舌を噛み切ったりしないように、額関節症(がくかんせつしょう)の為、就寝時のみ装着している、テンプレート(歯に装着し、正しい顎のかみ合わせに直す器具)をずっとつけていないと、正気で居られない状態でした。
私自身、この私の状態は、異常だと思います。

この状態が続けば、私は壊れてしまうと思います。
それが主の御意志なら、「ハドソン・テーラーさんのように従いたい」と思いますが・・・・。

私は「自分が壊れてしまうこと」が「主のご意志」だとは思われないのです。
聖句にあるとおり、「滅びの穴に陥らないようにして」くださると信じます。
そして、過度に神経過敏、被害妄想になっています。
私は米沢興譲教会のトータルカウンセリングセミナーを受講することから、キリストへ導かれたのですが、その時講師として教えてくださった先生の一人に、渡辺裕子(わたなべ・ゆうこ)先生がいらっしゃいます。渡辺裕子先生は、強迫神経症という病気から回復され、そのお辛い体験を糧にして、今カウンセラー、講師として活躍しておられますが、私は渡辺先生のご著書「『自分』を愛するために」の中で(ここからは今、手元に本が無いのでうろ覚えです。正確な文章は本でご確認下さい。)「靴下を持って二時間ぼっとしていた」とか「包丁を握ったまま何もできず、ずっと立っていた」と言う状態になったことを書いておられます。
私は今、その状態がとてもよくわかります。
私自身も、過度の神経過敏、被害妄想のため、言葉が出なくなったり、ある瞬間、特に銀行のATMやレジでの支払いの時「後ろの人からバッグをひったくられるのではないか?」「暗証番号を見られていないか?」と、そっと後ろを窺ったり、またレジで手が震えて、お財布を出せない時はまだ良いほうで、財布ごと忘れてしまい

もっと端的に言えば、24時間ずっと緊張がとけない

私は固まってしまっています。

そのため、もう予定が三日もずれ込んでいるのですが、今日、このブログで吐き出して、皆さんにも祈って頂きたくて、ブログアップしました。
自宅ではずっと、小さい時の少ないスキンシップを埋めるため、ここ数年ずっと母と一緒の部屋で寝ていたのですが、昨日、自分の部屋に急遽引っ越しました。

「自分一人でこもる空間を作らないと、私はおかしくなってしまう」
真面目にそう感じたからです。今もそれは変わりません。
もうひとつ。これは新陳代謝が良くなった事もあると思いますが、私は先々週から、ほぼ毎日、ノースリーブの下着を着ています。それでも、朝起きて朝食までは汗びっしょりになってしまいます。
山形は今日は格別冷え込むので、多分明日は雪ではないかと思います。

明日の降雪予報も出ていました。
私もそう思うし、今は暖房をつけて暖かくしてこのブログを書いているのですが、自分の部屋は暖房をつけていません。
暖房費が自分で稼げないからです。
できるだけ暖房は遅く点け、早めに寝ます。
けれど、何がなんだか、よくわからなくなってきました。
そんな今日、主が私に与えて下さったのが、今日の三つの聖句です。
どうぞ皆さま、私が壊れないように祈ってください。

問題も「しなければならない事」も山積みです。
カメさん


けれど、今こうして、暖かくして、ブログで吐き出さないと
私はカメどころか、暴力を振るう、自傷行為に及ぶ、または、それを我慢して憤死してしまうと思います。

自死に至ることだけは避けたいと思います。
今、自宅でも、病院でも、教会でも、寛ぐことが出来ません。
泣けません。
今日やっと、祈祷会の献金の時、泣けました。

自分の部屋の寝る頃、電気を消して、枕もとの蛍光灯を点け、ヒーターを点け、温かくして、自分の好きな本を読んでいる時、少しだけほっとします。

私がこんな状態になったのが何故か理由は書けません。
書いたら、また自分で自分の首を絞めて、苦しまなければならないからです。
23年前、初めて講師として働き始めた頃、良くして下さった女性の先生の「唇寒し」という言葉が、ここ一週間私の中にあります。
主が私に安心して、怒りや憤り(いきどおり)を出せる場所、時間を与え、深い傷を癒して下さいますように。
どうぞお祈り下さい。
神さまが世界中の方々を、そして特にこのブログを読んで下さって、私のために祈ってくださった方々を祝福し、癒し、慰め、励まし、必要ことごと叶えてくださいますように。

お祈りしてブログアップします。インマヌエル・アーメン。(=「主が私と共におられます」の意味)
居て下さいますように・・・・。
画像は、全てEテレ(=いーてれ、NHK教育テレビ)からです。

明日の山形はきっとこんな感じで雪が降るような気が致します。

赤いチューリップの花束。大学時代は定期演奏会が12月だったので、このお花の高い時、演奏会が終了後、花束を頂けるのがとても嬉しかったです。

高校時代から大学時代は、大好きな深紅の薔薇の花を頂くのが格別嬉しかったのですが
・・・今は、ちょっと優しく、柔らかな花が好きになったようです。

・・・ある定期演奏会で知った、名前も知らない男性の方に憧れて、薔薇の花をそっと一輪だけ、コンサートで差し上げた・・・。
そんなこともあったかな・・・・?


明日は私たちの南部教会の岡摂也(おか・せつや)先生のお誕生日です。
今、被災地岩沼のヴォランティアセンターにおられます。今週の日曜日から役員のKさんや青年会の他、関西、北海道、静岡などからいらした23名の方々と共に、EM散布のヴォランティアをなさっておられます。明日は岩沼でお誕生日を迎えられます。
どうぞ岡摂也先生の信仰と健康とご用が守られますように。
ヴォランティアの方々の健康が守られますように。
そして何より、被災地の方々の心、体、経済、土地、家屋、お仕事、心と体の傷が全ての癒し、そして復興が一瞬でも早くなりますように。
亡くなった方々の魂を主が優しく抱きしめて下さいますように。
特に、小さなお子さん、お年寄りの方で一瞬のうちに天に召されてしまった方々を
主が優しく抱きしめ、平安な永遠の眠りにつかせて下さいますように。
まだ消息すらわからない方が、一日も早く見つかりますように。願わくばお元気でご家族のもとにお帰りになられますように。
仮に亡くなられていたとしても、そのご遺体が見つかり
大切なご家族のもとに帰れますように。
もし帰れない時は、イエス様
あなたが探して見つけ、家族の方の変わりに、泣いて、悲しんで下さいますように。
そして、そのようなご家族の方々の張り裂けてしまった魂を、神さま
あなたが抱きしめ、慰め、十分に御腕に抱いて、泣かせて下さいますように。
主よ、泣けないのは辛いです。
この祈りに
どうぞご加祷下さい。

追記:Kさんが、前回のヴォランティアから帰ってこられた時「岩沼の農家の方から、EM散布のお礼にと、立派な白菜を頂きました。おすそ分けです」と、合同祈祷会に持って来てくださいました。我が家にまでその白菜を分けて頂きました。
岩沼の農家の皆さん、本当にありがとうございました。
心よりお礼申し上げます。
復興を祈らせて頂く事しかわたしには出来ませんが、なお祈らせて頂きます。
渡辺裕子先生の本から、EM散布の関連サイトを全て、今日のコメント欄に貼らせていただきます。
ご覧頂ければ幸いです。
二時間かけて、十分吐き出させて頂きました。
後は、明日ぶっ倒れないようにだけして、休みたいです。
休めますように。イエス様の御名によって祈ります。アーメン。主の平和。











