自分の願う人と結婚する自由があります。ただ主にあってのみ、そうなのです。
新約聖書:コリント人への手紙 Ⅰ 7章6節(新改訳)
今日、母と買い物に行った帰りコンビニに寄ろうとして右折する時、前方不注意で、対向車が来るのに右折してしまった。幸い、すんでのところでブレーキをかけられたので、事故からは守られ、謝罪してコンビニに入った。母に買い物を頼んで、今日運転する前に読まなかった霊想書「台所の祈り」を読んだら、この聖書箇所でした。ちょっと全部引用させて下さい。
3月20日 クリスチャンの結婚
自分の願う人と結婚する自由があります。ただ主にあってのみ、そうなのです。
新約聖書:コリント人への手紙 Ⅰ 7章6節
フィリップ・ヘンリーは、結婚について子を戒めて言いました。
「まず、神様を喜ばせなさい。そののち自分自身を喜ばせなさい。そうするならばおまえの天の父は、それを見て喜びます」
また、こうも言いました。
「他の人々はおまえたちの結婚の時、幸福を願うだろうけれども、私は、おまえたちの聖潔を求めます。なぜなら、おまえたちが聖潔を保つならば、おのずから、幸福になれるからです。」
このページを引用しました。この本もかなりくたびれて来ましたが、まだまだ読むつもりです。
先週の前半はわりと体調が良くて毎日動いていたが、仙台に行った木曜日以後(もし「仙台ダイアリー」書けたら書きます。是非読んでください。)から体調を崩した。礼拝も行けなかった。私の通っている山形南部教会は、4月一杯で今の美畑(みはた)チャペルから新しい白山(はくさん)チャペルに引っ越すので、懐かしい美畑チャペルにできるだけ行きたいと思うのだが、なかなか叶わない。どうぞお祈り下さい。
休んでいる間、皇室の雅子妃の事を書いてある本を読んだ。どうしようもない環境に置かれた雅子様を本当にお気の毒に思った。
またこんな本を今読んでいる。
「愛子さまが将来の天皇陛下ではいけませんか~女性皇太子の誕生」 田中卓(たなか たけし)著 幻冬舎新書
これがなかなか難しく、また興味深い。
私は今の皇太子様と雅子様が結婚なさった前年に、前の夫との結婚をした。そして皇太子様、雅子様のご成婚は、姑にあたる人と一緒にテレビで見た世代である。
正直、次代の皇太子妃に雅子様が決まった時、私はたまげた。「皇室もとうとうここまで来たか」と感無量だった。ご存知の通り、今までの皇太子妃で結婚までに、社会に出て勤務経験がある女性は一人も居ない。オックスフォード出身で外務省勤務の才色兼備の小和田雅子さんが皇太子妃に決まった時私は「これから日本は今までに無い素晴らしい皇后を戴くだろう」と、驚嘆の面持ちで見ていた。と、同時に、正直「もったいない」と思ったのも事実である。ここまで優秀なキャリアウーマンが皇室に入って、皇室はどんな風に変わっていくのだろう、と驚きながらも、とても楽しみだった。
しかし、たった一点「男子が授からない」と言うだけで、雅子様は心身を壊された。まことにお気の毒である。
私は自分も同じ道を辿って、私の場合は離婚となったので、今皇太子様が婚約の時、「僕が雅子さんを全力でお守りします」と言った言葉を誠実に守って、どんな困難やバッシングからも雅子様をお守りし、また授かった一粒種の愛子様を育てておられる皇太子様のお姿を見ると、涙が出そうになり、ますます応援して行くぞと思っている。ネットを見ていると酷い人間が世の中にいるもので、皇太子様、雅子様、愛子様に対する一種のバッシングは物凄い。酷いものになると「離婚せよ」とか「皇族であることをやめよ」と言う人間までいる。
私は昭和生まれで、ずっと皇室を見てきて感じるのは「皇室と言うのは人間らしさが奪われる場所なんだなあ」と言う事である。今の天皇皇后が皇太子、皇太子妃であった時代私は、「この方々が『皇室は大変なので皇族であることを辞める』と言ったら、日本の外交の為には皇族で居て頂きたいけれども、普通の人間になりたいのなら、私は受け容れるなあ」と思ったことがあった。今でもそのスタンスは変わらない。正直外交の為には、イギリスには王室、日本には皇室があってくれた方が良いのだろうと思う。その反面、その人間性を否定される故に、一人の人間としての人格を損なわれるとしたら、私は皇室など無くても良いと思っている。そんな感じだ。
だから、正直、雅子様にお子が授からず、長い間お悩みになられて流産を体験し、今の愛子様が授かった時、本当に嬉しかった。現行法では、男の子でなければ、皇太子にはなれないのでそれだけが残念だったが、日本の社会が変わり、世の中が「女性天皇」の動きになった時も「愛子さまが天皇になれたら、雅子様のお悩みも無くなる」と思い、とても期待をした一人だ。だが結果は依然として、日本は天皇は男子継承のみしか許されず、歯がゆい思いをしている。
そんな時「愛子さまが将来の天皇陛下ではいけませんか~女性皇太子の誕生」を読んで、久しぶりにほっとした、と言うか、当たり前の人間味のあるこの著書の文に触れた時「そうだよ、そうだよ、そうなんだよなあ」と息をつけたような気がした。引用する。
男子を生まない女性は、皇太子妃の資格なしと言うのか
もし、今後も「男系男子」に固執すれば、やがて皇后となられる皇太子妃は、どれほど優れたお方でも、その家系永続のためには、お子さまが女子では駄目、必ず男子を生まないと失格となるわけだから、___________男女にかかわらず、まったくお子さまが生まれなければ、皇室典範に定められた継承順位に従い、次のお方に譲られるのは当然だが、__________そのような、人格と生理とを無視した、非情ともいうべきリスクの大きいポストに、進んで自ら就任される覚悟のお妃選びは、おそらく至難となり、昔のように、親の権威で娘に結婚を強いることも許されない現今、むしろこの点から、”皇統断絶”の危機が生ずるであろう。
女帝反対論者の一部には、男子を生めない皇妃は退下してもらい。______つまり離婚_________代わりの方を選べばよいと放言する者もいるらしいが、事実としては、それこそ不遜極まる暴言であろう。また万一にも、そのような事態が起これば、聡明で責任感のお強い皇太子殿下はどうされるか、申すまでもあるまい。
私は昨日、皇太子様、小和田雅子さんの婚約の会見をネットでずっと見ていた。リアルタイムでも見たが、正直なところ、今まで颯爽としたキャリアウーマンのスタイルを貫かれた雅子さんが、突然「皇族」らしい黄色の帽子、スーツで会見に臨んだ時、その窮屈そうな感じと、失礼を承知で申し上げるが、「馬鹿」がつくほど、まっ正直な言葉、そして始終嬉しそうで、絶対にこの女性を守る、と言う気概が見えた皇太子様共々、「このお二人は真面目だ」と感じた。リアルタイムで見た時も、昨日見た時も変わらない。皇室と言う異質な世界に入ろうと決断した、小和田雅子と言う女性を絶対に守っていくと言う気持ちが、皇太子様からありありと感じたからだ。そしてその言葉を誠実に守っている皇太子様を本当に尊敬する。そして、この皇太子様という夫を持ったからこそ、皇室と言う籠の中で、才気煥発な雅子様と言う皇太子妃が生き残れたのだろうと思う。適応障害と言う心の病にかかり、またその事を「怠け病」「さぼり」などと言う言葉で傷付けられ、妻をかばうべくしてかばった皇太子様は「いつまでマイホームなんだ。いつも雅子、雅子とばかり言って国民の事を考えているのか。」と責められている事実に、怒りがこみ上げる。私自身は正直、「妻でさえ守れない皇太子、天皇が、国民など守れるものか」と思っているので、上記の田中卓さんの本の言葉に、うんうん、と、うなづけるのである。
仮に、愛子さまが生まれた時点で、皇室典範が「女性天皇も可」となっていたら、皇太子様、雅子様はどれだけ安心なさったかと思うし、雅子様の病気からのご回復も早かったと思う。もっと早く、宮内庁が皇太子様雅子様のご成婚の時にそうなっていて、かつ、外務省で雅子様が生かされたキャリアを生かして、皇室に入られた後でも、外国への公務が多かったら、籠の中に幽閉された鳥のように、ストレスをためられた雅子様には、もっと多くの懐妊の機会を却って与えたのかもしれない。
また田中卓さんは、同著で、次のようなことも書いている。
いや、実をいえば、現在、世間ではあまり気づかれていないが、秋篠宮家におかれても、悠仁殿下が皇統に移られる日がくると、残るお子様は女王殿下お二人であるから、現状のままであれば、秋篠宮家そのものが、早晩なくなってしまうことになる。
つまり、悠仁天皇の御世には、皇族の宮家はすべてなくなり、天皇のご家族だけが孤立し、その後一過に、もし「男子」がお生まれにならなければ、これで日本の皇統は、完全に断絶することになるわけである。
この事実には私は気がつかなかったが、なるほど!目からウロコだった。確かに愛子様ご誕生以降、秋篠宮家に親王が生まれ、皇統は皇太子様、秋篠宮、親王と言う風に男子が続き、安心したように見えるが、実は上記は全くの事実だ。こう考えると、もう復活しないのかもしれないが、皇太子様、雅子様の血を引き継ぐ愛子様が女性天皇になった方が、ずっと良かったのではないかと思われる。
また、休んでいる間偶然、皇太子様が7歳の時、お付の浜尾実さんと共に二泊三日の旅行に行かれたニュースを見た。正直、皇太子様の立ち居振る舞いに感嘆した。生まれながら天皇になる方は、やはり幼少時の教育からして違うのだと今更ながら思われた。
私は正直、秋篠宮家に皇統が移るのは賛成しない。秋篠宮自体が皇太子様の弟宮として成長しているため、天皇としての素質が培われているように思えないからだ。秋篠宮の息子も同然。天皇になるための教育と言うのは、やはりしかるべきときに受けている方がなるべきだと思う。そしていい加減、皇室も宮内庁も、あれだけ生き生きとして優秀である雅子様と言う女性を、こんなに重い病に追いやってしまった「皇統は男子のみ」と言う考えを改める時期に来ていると思う。愛子様は唯一の内親王と言う事で、しかるべき教育を受けているお子であると思う。私個人は今でも、愛子様の女性天皇になれば、皇室も日本も、どんなに開放され楽だろうかと思う。悠仁と言う男児が次代の皇統を受け継ぐものとして的確なのか、情報が無さ過ぎる。もし、秋篠宮、その息子に皇統を継がせるのだとしたら、今の時期からそれなりの帝王学が必要だろう。仮に愛子様が受け継ぐにしても全く同様だと思う。
私は皇太子ご一家が本当においたわしい。愛子様は痩身で、ご両親の皇太子様、雅子様がどんなにご心配かと思う。卑近な言い方をしたら、妻は精神的病、娘はやせ細ってしまい、今までの皇太子の中で、今の徳仁皇太子様はどれだけご苦労かと思う。けれど、決して不幸なだけでは無いと信じる。
そのわけは、私が良く知っている。ご苦労されただけ、苦しみにあっただけ、次代の徳仁天皇、雅子皇后は、人の痛みを知った優しい、忍耐強い、弱者にあたたかいエンペラー、エンプレスになられると確信しているからだ。
人は弱くて愚かだ。確かに今の皇室典範から見たら、男子を生めなかった雅子様は皇太子妃として不適格だと言う人もいるかもしれない。しかし私はその言葉を聞く度に、「それなら男子を生めればそれで的確か?」と怒りを持って叫びたくなる。田中卓さんの書いたとおり、男子出産で皇太子妃適任とするのは、余りにも非情だからだ。天皇、皇太子が側室をたくさん持てた時代と現代は違う。一夫一婦制の時代だ。時代に逆行する事はできない。
私は余りにも惜しい。あれだけ比類ない才気煥発の美女である雅子様が皇太子妃となったばかりに、翼をもがれた鳥のようになってしまわれたのは本当に惜しい。仮に宮内庁と皇室が、雅子様を、皇太子を生むだけの存在ではなく、もともとの才能を皇室外交に生かすような配慮をしていたら、徳仁皇太子様、雅子様は新しい皇室を作られ、お子様ももっと授かっていたかもしれない、と思う。
仮に____________もしこんなことは絶対にあって欲しくは無いけれど、皇太子様、雅子様、愛子様が皇室から離れる、皇族を辞められるとしたら、私は日本の大きな損失だと思う。おそらくその時は私も、今持っている皇室への興味も関心も全く失われるだろう。
今日の冒頭の聖句をもう一度書いてみる。
自分の願う人と結婚する自由があります。ただ主にあってのみ、そうなのです。
皇太子様、雅子様はお二人の意志で結婚された。愛子様と言う可愛らしく利発な内親王も授かった。
お三方の行く末はこれからも厳しいものかもしれない。しかし、「子が授からなかった」と言う点で、雅子様にかなり近い苦しみを味わったので、私はこれからも、皇太子様、雅子様、愛子様の祝福と平安を祈りたい。
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新約聖書:コリント人への手紙 Ⅰ 7章6節(新改訳)
今日、母と買い物に行った帰りコンビニに寄ろうとして右折する時、前方不注意で、対向車が来るのに右折してしまった。幸い、すんでのところでブレーキをかけられたので、事故からは守られ、謝罪してコンビニに入った。母に買い物を頼んで、今日運転する前に読まなかった霊想書「台所の祈り」を読んだら、この聖書箇所でした。ちょっと全部引用させて下さい。
3月20日 クリスチャンの結婚
自分の願う人と結婚する自由があります。ただ主にあってのみ、そうなのです。
新約聖書:コリント人への手紙 Ⅰ 7章6節
フィリップ・ヘンリーは、結婚について子を戒めて言いました。
「まず、神様を喜ばせなさい。そののち自分自身を喜ばせなさい。そうするならばおまえの天の父は、それを見て喜びます」
また、こうも言いました。
「他の人々はおまえたちの結婚の時、幸福を願うだろうけれども、私は、おまえたちの聖潔を求めます。なぜなら、おまえたちが聖潔を保つならば、おのずから、幸福になれるからです。」
このページを引用しました。この本もかなりくたびれて来ましたが、まだまだ読むつもりです。
先週の前半はわりと体調が良くて毎日動いていたが、仙台に行った木曜日以後(もし「仙台ダイアリー」書けたら書きます。是非読んでください。)から体調を崩した。礼拝も行けなかった。私の通っている山形南部教会は、4月一杯で今の美畑(みはた)チャペルから新しい白山(はくさん)チャペルに引っ越すので、懐かしい美畑チャペルにできるだけ行きたいと思うのだが、なかなか叶わない。どうぞお祈り下さい。
休んでいる間、皇室の雅子妃の事を書いてある本を読んだ。どうしようもない環境に置かれた雅子様を本当にお気の毒に思った。
またこんな本を今読んでいる。
「愛子さまが将来の天皇陛下ではいけませんか~女性皇太子の誕生」 田中卓(たなか たけし)著 幻冬舎新書
これがなかなか難しく、また興味深い。
私は今の皇太子様と雅子様が結婚なさった前年に、前の夫との結婚をした。そして皇太子様、雅子様のご成婚は、姑にあたる人と一緒にテレビで見た世代である。
正直、次代の皇太子妃に雅子様が決まった時、私はたまげた。「皇室もとうとうここまで来たか」と感無量だった。ご存知の通り、今までの皇太子妃で結婚までに、社会に出て勤務経験がある女性は一人も居ない。オックスフォード出身で外務省勤務の才色兼備の小和田雅子さんが皇太子妃に決まった時私は「これから日本は今までに無い素晴らしい皇后を戴くだろう」と、驚嘆の面持ちで見ていた。と、同時に、正直「もったいない」と思ったのも事実である。ここまで優秀なキャリアウーマンが皇室に入って、皇室はどんな風に変わっていくのだろう、と驚きながらも、とても楽しみだった。
しかし、たった一点「男子が授からない」と言うだけで、雅子様は心身を壊された。まことにお気の毒である。
私は自分も同じ道を辿って、私の場合は離婚となったので、今皇太子様が婚約の時、「僕が雅子さんを全力でお守りします」と言った言葉を誠実に守って、どんな困難やバッシングからも雅子様をお守りし、また授かった一粒種の愛子様を育てておられる皇太子様のお姿を見ると、涙が出そうになり、ますます応援して行くぞと思っている。ネットを見ていると酷い人間が世の中にいるもので、皇太子様、雅子様、愛子様に対する一種のバッシングは物凄い。酷いものになると「離婚せよ」とか「皇族であることをやめよ」と言う人間までいる。
私は昭和生まれで、ずっと皇室を見てきて感じるのは「皇室と言うのは人間らしさが奪われる場所なんだなあ」と言う事である。今の天皇皇后が皇太子、皇太子妃であった時代私は、「この方々が『皇室は大変なので皇族であることを辞める』と言ったら、日本の外交の為には皇族で居て頂きたいけれども、普通の人間になりたいのなら、私は受け容れるなあ」と思ったことがあった。今でもそのスタンスは変わらない。正直外交の為には、イギリスには王室、日本には皇室があってくれた方が良いのだろうと思う。その反面、その人間性を否定される故に、一人の人間としての人格を損なわれるとしたら、私は皇室など無くても良いと思っている。そんな感じだ。
だから、正直、雅子様にお子が授からず、長い間お悩みになられて流産を体験し、今の愛子様が授かった時、本当に嬉しかった。現行法では、男の子でなければ、皇太子にはなれないのでそれだけが残念だったが、日本の社会が変わり、世の中が「女性天皇」の動きになった時も「愛子さまが天皇になれたら、雅子様のお悩みも無くなる」と思い、とても期待をした一人だ。だが結果は依然として、日本は天皇は男子継承のみしか許されず、歯がゆい思いをしている。
そんな時「愛子さまが将来の天皇陛下ではいけませんか~女性皇太子の誕生」を読んで、久しぶりにほっとした、と言うか、当たり前の人間味のあるこの著書の文に触れた時「そうだよ、そうだよ、そうなんだよなあ」と息をつけたような気がした。引用する。
男子を生まない女性は、皇太子妃の資格なしと言うのか
もし、今後も「男系男子」に固執すれば、やがて皇后となられる皇太子妃は、どれほど優れたお方でも、その家系永続のためには、お子さまが女子では駄目、必ず男子を生まないと失格となるわけだから、___________男女にかかわらず、まったくお子さまが生まれなければ、皇室典範に定められた継承順位に従い、次のお方に譲られるのは当然だが、__________そのような、人格と生理とを無視した、非情ともいうべきリスクの大きいポストに、進んで自ら就任される覚悟のお妃選びは、おそらく至難となり、昔のように、親の権威で娘に結婚を強いることも許されない現今、むしろこの点から、”皇統断絶”の危機が生ずるであろう。
女帝反対論者の一部には、男子を生めない皇妃は退下してもらい。______つまり離婚_________代わりの方を選べばよいと放言する者もいるらしいが、事実としては、それこそ不遜極まる暴言であろう。また万一にも、そのような事態が起これば、聡明で責任感のお強い皇太子殿下はどうされるか、申すまでもあるまい。
私は昨日、皇太子様、小和田雅子さんの婚約の会見をネットでずっと見ていた。リアルタイムでも見たが、正直なところ、今まで颯爽としたキャリアウーマンのスタイルを貫かれた雅子さんが、突然「皇族」らしい黄色の帽子、スーツで会見に臨んだ時、その窮屈そうな感じと、失礼を承知で申し上げるが、「馬鹿」がつくほど、まっ正直な言葉、そして始終嬉しそうで、絶対にこの女性を守る、と言う気概が見えた皇太子様共々、「このお二人は真面目だ」と感じた。リアルタイムで見た時も、昨日見た時も変わらない。皇室と言う異質な世界に入ろうと決断した、小和田雅子と言う女性を絶対に守っていくと言う気持ちが、皇太子様からありありと感じたからだ。そしてその言葉を誠実に守っている皇太子様を本当に尊敬する。そして、この皇太子様という夫を持ったからこそ、皇室と言う籠の中で、才気煥発な雅子様と言う皇太子妃が生き残れたのだろうと思う。適応障害と言う心の病にかかり、またその事を「怠け病」「さぼり」などと言う言葉で傷付けられ、妻をかばうべくしてかばった皇太子様は「いつまでマイホームなんだ。いつも雅子、雅子とばかり言って国民の事を考えているのか。」と責められている事実に、怒りがこみ上げる。私自身は正直、「妻でさえ守れない皇太子、天皇が、国民など守れるものか」と思っているので、上記の田中卓さんの本の言葉に、うんうん、と、うなづけるのである。
仮に、愛子さまが生まれた時点で、皇室典範が「女性天皇も可」となっていたら、皇太子様、雅子様はどれだけ安心なさったかと思うし、雅子様の病気からのご回復も早かったと思う。もっと早く、宮内庁が皇太子様雅子様のご成婚の時にそうなっていて、かつ、外務省で雅子様が生かされたキャリアを生かして、皇室に入られた後でも、外国への公務が多かったら、籠の中に幽閉された鳥のように、ストレスをためられた雅子様には、もっと多くの懐妊の機会を却って与えたのかもしれない。
また田中卓さんは、同著で、次のようなことも書いている。
いや、実をいえば、現在、世間ではあまり気づかれていないが、秋篠宮家におかれても、悠仁殿下が皇統に移られる日がくると、残るお子様は女王殿下お二人であるから、現状のままであれば、秋篠宮家そのものが、早晩なくなってしまうことになる。
つまり、悠仁天皇の御世には、皇族の宮家はすべてなくなり、天皇のご家族だけが孤立し、その後一過に、もし「男子」がお生まれにならなければ、これで日本の皇統は、完全に断絶することになるわけである。
この事実には私は気がつかなかったが、なるほど!目からウロコだった。確かに愛子様ご誕生以降、秋篠宮家に親王が生まれ、皇統は皇太子様、秋篠宮、親王と言う風に男子が続き、安心したように見えるが、実は上記は全くの事実だ。こう考えると、もう復活しないのかもしれないが、皇太子様、雅子様の血を引き継ぐ愛子様が女性天皇になった方が、ずっと良かったのではないかと思われる。
また、休んでいる間偶然、皇太子様が7歳の時、お付の浜尾実さんと共に二泊三日の旅行に行かれたニュースを見た。正直、皇太子様の立ち居振る舞いに感嘆した。生まれながら天皇になる方は、やはり幼少時の教育からして違うのだと今更ながら思われた。
私は正直、秋篠宮家に皇統が移るのは賛成しない。秋篠宮自体が皇太子様の弟宮として成長しているため、天皇としての素質が培われているように思えないからだ。秋篠宮の息子も同然。天皇になるための教育と言うのは、やはりしかるべきときに受けている方がなるべきだと思う。そしていい加減、皇室も宮内庁も、あれだけ生き生きとして優秀である雅子様と言う女性を、こんなに重い病に追いやってしまった「皇統は男子のみ」と言う考えを改める時期に来ていると思う。愛子様は唯一の内親王と言う事で、しかるべき教育を受けているお子であると思う。私個人は今でも、愛子様の女性天皇になれば、皇室も日本も、どんなに開放され楽だろうかと思う。悠仁と言う男児が次代の皇統を受け継ぐものとして的確なのか、情報が無さ過ぎる。もし、秋篠宮、その息子に皇統を継がせるのだとしたら、今の時期からそれなりの帝王学が必要だろう。仮に愛子様が受け継ぐにしても全く同様だと思う。
私は皇太子ご一家が本当においたわしい。愛子様は痩身で、ご両親の皇太子様、雅子様がどんなにご心配かと思う。卑近な言い方をしたら、妻は精神的病、娘はやせ細ってしまい、今までの皇太子の中で、今の徳仁皇太子様はどれだけご苦労かと思う。けれど、決して不幸なだけでは無いと信じる。
そのわけは、私が良く知っている。ご苦労されただけ、苦しみにあっただけ、次代の徳仁天皇、雅子皇后は、人の痛みを知った優しい、忍耐強い、弱者にあたたかいエンペラー、エンプレスになられると確信しているからだ。
人は弱くて愚かだ。確かに今の皇室典範から見たら、男子を生めなかった雅子様は皇太子妃として不適格だと言う人もいるかもしれない。しかし私はその言葉を聞く度に、「それなら男子を生めればそれで的確か?」と怒りを持って叫びたくなる。田中卓さんの書いたとおり、男子出産で皇太子妃適任とするのは、余りにも非情だからだ。天皇、皇太子が側室をたくさん持てた時代と現代は違う。一夫一婦制の時代だ。時代に逆行する事はできない。
私は余りにも惜しい。あれだけ比類ない才気煥発の美女である雅子様が皇太子妃となったばかりに、翼をもがれた鳥のようになってしまわれたのは本当に惜しい。仮に宮内庁と皇室が、雅子様を、皇太子を生むだけの存在ではなく、もともとの才能を皇室外交に生かすような配慮をしていたら、徳仁皇太子様、雅子様は新しい皇室を作られ、お子様ももっと授かっていたかもしれない、と思う。
仮に____________もしこんなことは絶対にあって欲しくは無いけれど、皇太子様、雅子様、愛子様が皇室から離れる、皇族を辞められるとしたら、私は日本の大きな損失だと思う。おそらくその時は私も、今持っている皇室への興味も関心も全く失われるだろう。
今日の冒頭の聖句をもう一度書いてみる。
自分の願う人と結婚する自由があります。ただ主にあってのみ、そうなのです。
皇太子様、雅子様はお二人の意志で結婚された。愛子様と言う可愛らしく利発な内親王も授かった。
お三方の行く末はこれからも厳しいものかもしれない。しかし、「子が授からなかった」と言う点で、雅子様にかなり近い苦しみを味わったので、私はこれからも、皇太子様、雅子様、愛子様の祝福と平安を祈りたい。
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