戦後は戦後は電気の街として有名になった大阪日本橋でんでんタウン
そのでんでんタウンにもいろんな歴史があるんですね
大阪あそ歩という街歩き案内活動が行なわれています
今回も日本橋編のお手伝いをしました
大阪メトロ(地下鉄)えびす町駅からスタートです
いきなり、この人はだれ?
明治20年全国に先がけて先がけて岡山で孤児院を開設した
児童福祉の父と呼ばれている石井十次像です
えびす町駅からすぐの愛染橋病院の玄関に飾ってあります
続いて、愛染橋病院のすぐ裏の市営住宅の中庭にある記念碑は、、
昭和初期に全国に先がけて水洗トイレやダストシュートが完備された
鉄筋3階建ての近代的住宅が建てられ、これを秩父宮同妃両殿下が
視察に来られた記念碑です
この鉄筋の建物は大阪大空襲で焼け残りそこから炊事の煙が立ち上ったのが
軍艦に見えたので、軍艦アパートと呼ばれるようになりました
焼け残った住宅に親戚などの被災者が大勢おしかけました
そのため家屋を勝手に増設し日本の九龍と言われた不法増築住宅になりました
異様な雰囲気となった軍艦アパートは2006年に取り壊され
跡地は今はスーパーに変わっています
記念碑を見た後、でんでんタウンの商店街方面へ行ってみましょう
この狭い路地は、、、
正式には日本橋商店会と名がついた商店街ですが
ここが有名な五階百貨店です
掘り出し物いっぱい、その一つが中古の着物です
芸人さんや大学祭等用にも需要があるそうです
くねくねと狭い路地を行きます
懐かしい家電もあります
昭和の50〜60年時代の人気機種でしたね
古い機種で何かあったらここへ問い合わせてみられては?
五階百貨店も様変わりしてきました
若い人が新しい街づくりをしていますよ
戦後すぐにはみかん箱の上に部品を置いて売っていたそうです
この付近にあった五階建ての眺望閣があったそうで
それで五階の名前が残っているのですね
昭和44当時の松坂屋の前を市電が走っていますね
五階百貨店街を出た所にあったおそば屋さんは、、、
台湾料理屋さんに変わっていました
そこからなんば方面へ向うと、日本橋らしい雰囲気になってきました
ガシャポンは外国からの観光客にも人気のようです
この通りが有名になったオタロード(オタクの集まる通り)です
平日でもいぱいの人
パソコン関連のお店や
穴場のお店も、、
同人誌(同じ志の人が見る雑誌や漫画本)の専門店
痛車もいます
この角のお店も最初はイエローサブマリンというゲーム店でしたね
毘沙門さんもあるんですよ
毘沙門さんの前のお店は電球(球=たまと言っていました)の専門店
そのお隣にはまたガシャポン専門店
いやあ、面白いお店ばかりですね
堺筋に出ようと通へ向うと大きな建物
これが旧松坂屋、現髙島屋別館です
空襲でも残った歴史ある建物だから取り壊しせず
耐震工事が施されリニューアルされました
下には外国からの観光客を待つ観光バス群
電気だけではなくものづくりが根付く街
ネジ専門店です ほとんどのネジがあり、なければ作ってくれます
人気のフィギュアのお店
そこから東に入ると旧日本橋小学校と日本橋公園
ここに昔図書館があって司馬遼太郎が通っていたそうです
もう一度堺筋に戻ります このカフェですが、、
毎日若い女性が大行列
アニメや声優を目指す人が出入りしているようで大人気です
そういう時代なんですね
さらに東へ進むと記念碑がありました
浪速区が石井十次の功績をたたえ、石井記念愛染園の法人創立100周年を
記念して建立したそうです
ここに旧愛染橋病院がありました
まだまだ見どころがたくさんありますが今回はここまで
日本橋はよく行くけど詳しくは知らないんだ、、、という参加者のみなさんに
地元民がディープなご案内をして喜ばれました
みなさんの街もディープに探検すると面白いと思いますよ
次回大阪あそ歩・日本橋編は11月11日に開催されます。