お母さん…
どんな逆境でも 前を向いて笑い飛ばして生きていける自信を持っていました。
一文なしになっても
余命を言い渡されても
世の中でたった一人になっても
あんなことになっても
こんなことになっても
が、、、、
今回のだいちゃんのことで自分の弱さを思い知らされました
生まれてから今までに 色んなことが出来るようになっただいちゃんですが
いつも心に留めておいたことは
『何があってもだいちゃんの笑顔をなくすようなことがあってはならない』
というでした
だいちゃんが 地域の中で当たり前に心豊かに暮らせるようになるために お母さんは
『自身の引き出しを増やす』ことには 努力しました
いかに楽しく
いかに無理なく
いかにだいちゃんからの発信を漏れなくキャッチするか
だいちゃんの心に負担をかけてはいけない
そこは大切に思ってきたつもりでした
でも…お母さんは
だいちゃんの心がポキッと折れる前に救ってやれなかった
ずっと調子が悪かったのにだいちゃんの明るさに甘え都合よく『だいちゃんは大丈夫』そう思っていました
人から
「お母さんが 走っとるからこうなった」
「二人は共依存しとる」
そう言われる度に心が押し潰されそうになり
自分を責めました
色んなことを考えました
『人ってどのタイミングで壊れるのかなぁ~』
だいちゃんが完全に壊れた日
壊れた音がしました
あの日は忘れたくても忘れられない日です
お母さん…今までも結構色々苦しいこともありました
色んな経験もしてきました
でも
いつも『私は私。私をなくさない』そう思って生きてきました
でも…今回のことで
人が壊れる瞬間っていつなんだろう
どのタイミングで人は自分をなくすんだろう
そんなことばかり思ってきました
『自分を解放する』
『貴女は貴女の人生を』
色んな励ましをいただきました
でも、、、子どもを産んだ以上、親としての責任から私は自身を解放することが出来ませんでした
『それは貴女のエゴだ』
そうなのかもしれません
でも…そこの心を解除する術がどうしても私には身に付きません
楽しめない我が子の隣で笑えません
苦しみ、もがいている我が子と一緒に 苦しみ、もがいてしまいます
それは だいちゃんであってもFちゃんであっても同じです
それが『共依存』というなら共依存なんでしょう
お母さんとだいちゃんとゼロと3人(二人と一匹)が共依存で苦しみました
それでも、ここまで踏ん張れたのは家族であり、友人であり、愛犬からの愛でした
そしてその中でも楽しみたいというお母さんのクソ根性でした
フェルト細工をしてみたり
塗り絵をしてみたり
刺し子をしてみたり
Tシャツヤーンでラグを作ってみたり
岡山中のスタンプラリーを楽しんでみたり
そこで出逢う新鮮なお野菜や果物を 美味しく加工してみたり
おかげで ガクッと落ちた体重も増えに増えて今までの努力(毎日のランニングやジャザサイズ)も水の泡と変わりました(せっかく落ちたのに誰にも会わずに終わってしまった。。(〃_ _)σ∥)
まーそれでも、、、お日様の光を浴びて美味しいものが食べられて笑える自分がまだ健在していたことの喜び、家族がいて友人がいて愛犬がいる喜びを噛みしめこれからも だいちゃんと共にゆっくりゆっくり歩んでいこうと思っています
と思いながら、先日…病気に ならないお母さんが病気にかかりました
この時『お母さん』という存在の大きさを感じました
これからの課題は『そこ』かもしれません
ん~
『自身が楽しむ』とかじゃなくて
『自身が倒れたときどうする?』ということが これからの課題なのかな
と感じました
まだまだ課題が満載の私たちです
さぁ~お母さん!
これからどう生きる!?
こんな だいちゃんと共に行ったり来たりのお母さんですが、これからもよろしくお願いいたします(*ˊᵕˋ*)