最近は少し戻しているけど,それでもかなりの円安が続いています。
これに対して金融政策はどうか。
国民の多くは黒田総裁の対応に批判的です。
「躊躇なく金融緩和」を言い続けて10年以上が経過したけど,日本経済は停滞したまま。
国民は日銀はほかに打つ手がないとみています。
その黒田氏の副総裁を務めていた中曽氏が執筆した記録です。
カバーの裏には,「前日銀副総裁が克明に語る」という前書きの後に,以下の記載があります。
『金融危機を食い止める「最後の防衛線」を担ったのは、もとより中央銀行だけではない。民間金融機関や金融監督当局、預金保険機構、そして資本不足に対応する公的資本注入の財源を握る財政当局だ。強固な防衛線を築くためには関係者が一致協力して事に当たらなければならない。防衛線に綻びが生じると危機は瞬く間に拡大してしまう。本書は、1990年代の日本の金融危機と、2008年のリーマンブラザーズの破綻を挟む国際金融危機という2つの大きな金融危機に、現場部署で対応することとなった中曽前日銀副総裁の闘いの記録。』
ボリュームのある本ですが,中曽氏が日銀に入行してから退任するまでの自伝という内容です。
ちょっと期待外れだったのは,冒頭に記載したように,現状をどのように打開するべきかが記載されていないこと。
読者はそこが一番知りたかったと思うのだけど。
日銀の黒田総裁は、6月の講演で「家計の値上げ許容度が高まっている」と述べ、世論の強い批判を浴びて発言を撤回しました。
そうした中,市場関係者からは「黒田総裁と距離がある中曽さんの方が色々と変えることが出来るのでは」という声も聞こえるので期待していたのですが,秘策はまだ出さないということでしょうか。
さて,氏は1990年代の日本の金融危機を目の当たりにし,当初は想定を上回る事態が重なる中で対応が後手に回った状況を振り返ります。
そして、抜本的な対策が講じられていった経緯を回顧し,危機終息に長い時間を要した背景を検証するのだが,そもそもバブルの崩壊の一因は政府の政策にあるのではないかとボクは思っています。
土地ころがしによる地価高騰に対して土地保有税を創設したことが安易すぎる政策だったと思うのです。
一気にバブルがはじけ,坂を転げ落ちるように金融機関までもが破綻することになったのですから。
もう少し緩やかに収める手段を取らなかった反省の記載はありません。
そこから失われた30年が始まり,いまだに終わりのない暗い時代が続いているのです。
日銀というよりも政府の責任が重いのだけど,いったい日本という国はどこに向かっていくのか。
敗戦後10年を経て「もはや戦後ではない」と復活を遂げた元気な日本はどこに行ってしまったのだろう。
氏は自分がやってきた仕事に誇りを持っているようだが,いまだに失われた30年の出口が見えないのが現状ではないのだろうか。
ちなみに著者は次期日銀総裁候補のうちの一人です。
適任かどうかはわからないけど。
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