2013/11/21 私達の地元でもある尾張の歴史と文化財を学ぶ。(No351)
稲沢市(尾張国府の地)の長光寺、萬徳寺、国府宮、尾張国分寺に『尾張文化の会』メンバー34名で訪ねてきました。
当日は、時々太陽が顔を出していましたが雲が厚く肌寒い一日でした。
⁂【長光寺】
平安時代末期、平頼盛が熱病で苦しんだ時、この地のお地蔵さんが身代わりになってもらった御礼に創建されたのが始まりです。
中国風の「六角円堂」(地蔵堂)は室町時代の建物で国の重文であり、お堂の中には『鋳鉄地蔵菩薩立像』(重文)が安置され誠に慈悲深く優しいお顔で鋳鉄とわ思えない美しい肌であった。台座には熱田大宮司の尾張俊光公の名が入って居るそうです。
又脇侍も鋳鉄製の地蔵で珍しいもので有った。
『臥松水』という井戸跡が境内にあり、信長が清洲城、岐阜城に居るころ茶の湯などにこの井戸水を好んで度々取り寄せたと言われています。
境外の南に『浅野長勝の屋敷跡』の碑があり、長勝の養女は秀吉の妻と成ったねねである。
楼門(仁王門)市指定文化財 と四ッ家追分標柱 六角円堂(地蔵堂)の表記
六角円堂 (国・重文) 鋳鉄地蔵菩薩立像(重文)と鋳鉄脇侍
臥松水 浅野長勝の屋敷跡の碑
⁂【萬徳寺】
この寺は834年空海によって再興されたと伝えられています。境内には多宝塔(重文)は室町時代の建立で、大師空海が当地へ巡礼の際、全国で3箇所に空海の如意宝珠が埋納されている寺の一ッ箇所でもある。又、牡丹が多く植えてあり稲沢では"ぼたん寺"とも呼ばれている。
多宝塔(国・重文) 鎮守堂(国・重文)
⁂【尾張大國霊神社(国府宮)】
尾張大國霊神(おわりおおくにたまのかみ)は尾張地方の國霊神すなわち総鎮守神であり、尾張人の祖先が国土の偉大なる霊力を神として敬い、尾張大國霊神としてお祀りした神である。又尾張国の総社とも言われている。
拝殿(江戸・重文)楼門(室町・重文) は、本殿に接する形で磐境(いわくら)と呼ばれる五個の大きな自然石が円形に立ち並んでいる。これは、今日のように社殿を建てて神を祀る以前の最も古い原始的な祭場である。
拝殿(重文) 儺追殿で新築の銅葺きが光っています。
楼門(重文) 磐境(いわくら)に神様を迎えてお祭りをする所です。
⁂【国分寺】
国分寺は国分尼寺とともに奈良時代天平13年(741)聖武天皇の勅命により諸国に建立された、仏教による鎮護国家を祈願寺院で正式の名所は、金光明四天王護国之寺という。
建立時の尾張国分寺は現在、跡の石標をのこすのみであるが今回はこれを継承した現国分寺との二ヶ所を訪れる。
山門 礎石で尾張国分寺跡から移築したと言われています。
⁂【尾張国分寺跡】
尾張国分寺跡は、奈良時代の聖武天皇が仏教によって国を守ろうと考え全国に置くことを命じた古代の重要な寺院遺跡の一つで、平成24年に国史跡に指定されました。
残念ながら今回、尾張文化の会では訪問できませんでした。
塔の中心である礎石 (現場の礎石のうちの一箇所は国分寺庭にあります)
以 上