2024/09/11 岡崎市一向一揆の寺(勝鬘寺、綿積神社、糟目犬頭神社)を訪たる。
JR岡崎駅から勝鬘寺、法性寺、糟目犬頭神社、比蘇天満宮、浄珠院を散策し岡崎駅へ戻りました。
JR岡崎駅
✿正覚寺(しょうかくじ)真宗大谷派、
入口
石柱
本堂
✿綿積神社(わたつみじんじゃ)
御祀神は綿積命、天照大御神、豊受姫命、建御名方命、白山姫命の五柱です。
この地は元矢作川に臨んだ土地にで、有史以前より住民住居し、海神・綿積命を祀る。神仏習合時代は、海神として性格より八大龍王社とも称する。小豆坂の合戦後、今川氏の将朝比奈備中守泰能は当社に参拝し戦勝の御礼に槍一本を奉納。また、徳川家康は、永禄六、七年(1564)の一向一揆の際、出陣のたび戦勝を祈願。この地の住人で家康の家臣神尾孫兵衛久宗と、その子四郎興五郎は産土神として崇敬した。
(社名版より)
社名説明版
石柱と燈籠
鳥居(靖国鳥居) 神額
拝殿(鰹木7本)
神殿(鰹木9本)
熊野社
靖国神社
柱津天神社
柱津天神と腰掛石
裏出入口
✿勝鬘寺(砦跡)(しょうまんじ)真宗大谷派
当寺の始まりは、鎌倉時代に赤渋の地に真宗道場が建立され、明応5年(1496年)に水害に見舞われたため、現地へ移転してきたとされる。
永禄6年(1563年)三河一向一揆が起こり、三河統一を目指す松平家康に対し、一向宗を信奉する家臣の一部が反旗を翻し、三河三ヶ寺(勝鬘寺と本證寺、上宮寺)を中心に立て籠もった。
勝鬘寺には渡辺高綱、蜂屋貞次ら百騎余りが立て籠もり、この地から上和田城や小豆坂方面へと兵を繰り出してはいるが、家康側に付いた大久保忠俊(蜂屋貞次の義父にあたる)ら大久保一族に対しては、事前に攻撃を知らせるなどした上で、身内を逃がしており、積極的な戦いを行っていたとは言い難い部分もある。
石柱と参道
勝鬘寺の史跡説明版
本堂 石碑
✿徳圓寺(とくえんじ)真宗大谷派
山門 本堂
✿妙国寺(みょうこくじ)法華宗
当寺は家康公、秀忠公、家光公の三代に仕え「三河物語」を綴ったことで有名な大久保彦左衛門など、幕末まで続いた大久保一族ゆかりのお寺です。
題目塔と朱塗りの山門
本堂
大久保家遠忌の供養塔
✿法性寺(ほっしょうじ)
平安時代の中頃に建立され、家康公の父、松平広忠公が深く帰依していたお寺です。
広忠公の命を受け、この寺の住僧である永玖が鳳来寺の薬師如来に男子出生を祈願し、誕生したのが家康公といわれています。
山門
石標(一隅を照す これ則ち国宝なり)
本堂
法性寺説明版
門前の一休さん
法性寺前の五社神明宮
✿糟目犬頭神社(かすめけんとうじんじゃ)
大宝元年(701)彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)を祀って建立されたもので、以前は隣接する上和田町の糟目にあったので糟目神社といわれていましたが、度々の洪水により今の場所に移されました。
神社には、越前福井(現福井市)産の凝灰岩(笏谷石)を原石とした鳥居、狛犬一対、唐猫一対などの石造文化財があります。
鳥居の柱には「慶長応焦乙己林鐘」の銘が刻まれ、越前鳥居としては最古の形式を示しています。
また、境内には、三河三奉行の一人本多作左衛門重次生誕の碑や新田義貞の首塚と伝えられる祠があります。
石柱と鳥居
文化財説明版(糟目犬頭神社)
境内前の鳥居 越前鳥居の特徴
山門と神額
拝殿 拝殿の葵紋
神社御由緒の説明版
神殿前の唐猫一対
✿比蘇天満宮(ひそてんじんしゃ)
御祀神は高御産巣日神、豊受姫命、猿田彦命の三柱です。
古来この辺りをヒソと言い、比蘇の浜に塩田の神を祀ったのが創始で、平安時代の仁寿2年(852)の創建と伝えられる。延喜式の比蘇神社は三河国神明帳の比蘇天神社は当社で、天喜3年(1055)の水穂抄に干蘇神と記される古社です。
鳥居 石柱
拝殿 天神社説明版
御大典奉祝記念碑(榊)
✿上和田城跡 大久保一族發跡地
三河譜代の臣として幕末まで続いた大久保一党の屋敷があったところです。上和田には城址があり、大久保忠教以降、代々の居地でした。家康、秀忠、家光の三代に渡る将軍に仕えた大久保彦左衛門もここで生まれている。
石碑
説明版
✿浄珠院(じょうじゅいん)浄土宗
三河一向一揆に手を焼いた家康公は、浄珠院に本陣を置き、一揆制圧のため、自ら指揮をとりました。
激しい戦の後、永禄7年(1564)2月になって一揆方から提案された和議がここ浄珠院で成立したことから、三河統一の基礎を固めるきっかけとなった歴史的に重要なお寺とされています。
境内には樹齢約300年のイチョウの木がそびえ立ちます。
石柱
山門
本堂
松平信孝公之墓(三ツ木城主)