2018/04/30 石山観音と伊勢別街道の寺をまわる。
✿石山観音参道
石碑 刻観世音碑
✿石山観音公園
津市芸濃町にある標高約160mの頂上に「馬の背」という花崗岩帯石山層があり、周囲に磨崖仏が彫られている所です。
公園入口
〇地蔵菩薩立像(三重県指定文化財)
像高3.24mで右手に錫杖、左手に宝珠を持っている。
地蔵菩薩立像
雨乞いの霊場と石燈籠
〇聖観音菩薩立像(三重県指定文化財)
像高2.52m。石質が脆いため顔が激しく風化している。
聖観音菩薩立像
〇阿弥陀如来立像(三重県指定文化財)
像高3.52mで台座を含めると5mに達する巨像である。
阿弥陀如来立像
〇馬の背
石山の頂上より南方へ延びる巨岩で「馬が首を垂れ草を喰う姿」に見える。馬の背中からは伊勢湾が望めるそうです。
馬の背
〇三十三ヶ所観音の磨崖仏
公園の入口より第1番から時計周りに並べられ、第12番から第28番は「馬の背」の巨岩面に掘り込んだ位置に仏像が納められている。
第1番 第2番
第6番 第7番
第8番 第12番
第13番
第14番
第17番 第24番
第25番 第27番
第28番
第31番
第33番
✿橋下の地蔵と梵字
永年による水の浸食を受けた崖部分の右岸に地蔵を意味する梵字が刻まれ、左岸には磨崖仏で地蔵菩薩立像と地蔵菩薩坐像の2像が彫られている。
地蔵立像 地蔵坐像
梵字3字(地蔵種字)
✿普門寺(ふもんじ)真言宗
本尊は十一面観音で、大同元年(806)に伝教大師(最澄・天台宗開祖)が開創したと伝えられ、当初は観音寺として再建、天正2年(1574)滝川一益によって焼き払われた。その後、享保5年(1720)に中興陶瑩律師により本堂が再建され普門寺と改めた。
文化財の案内板
山門 仁王門
本堂
〇幽霊の片袖
五輪塔 案内板
✿閑翁寺(かんのうじ) 天台真盛宗
天正2年(1574)織田信長の家臣による兵火により全焼した。のち江戸寛延期に月光上人により再興された。
石碑 山門
本堂
〇書院 亀山城主(8代石川総紀)の書院(奥の院)が移築されている。
書院
日向守之墓
✿長徳寺(ちょうとくじ)曹洞宗
当寺の創建はさだかではないが応永初年(1394頃)と云われる。
また、剣豪「塚原卜伝」の寿牌が現存すると云う。
山門 本堂
✿龍王桜(県指定天然記念物)
【龍王桜伝説】
永禄年間(1558-1570頃)当寺の僧で大器和尚が朝のお勤めのとき、女の参詣が続きある時、訳を聞いたら『自分は門前の淵に住む大蛇である。永年高僧の出現を待っていたが和尚の法力によって済度を受けたいので毎日参詣している』と述べたので、和尚は女に戒めを授け蛇身に転じさせた。それで女はお礼として龍鱗と桜の種を送った。この龍鱗は「淵鱗大龍王」、桜種は「龍王桜」と呼ぶようになった。(境内説明版より)
淵鱗大龍王碑 龍王桜(県指定天然記念物)
〇研ぎ石
室町時代の終りころ雲林院の城下に住む刀工が刀を砥いだ跡と伝える。
研ぎ石 中央側面の仏像
✿浄得寺(じょうとくじ)
・五色椿
樹齢約400年で根回り約120センチメートルの巨木で、五色の花が咲くことから、「五色椿」と呼ばれているそうです。
本堂
五色椿
椿の花
✿落合の里
源平合戦の昔、壇ノ浦で敗れた平家の一族が隠棲した所であり、徳川家康の側室「清雲院於奈津」の出生地と云う。
平維盛は「平家物語」で、寿永3年(1184)屋島の戦いで敗れた後、那智沖で入水したとされていますが、「成覚寺伝」によると、維盛は入水したように見せかけて、31人の家来と友に現在の芸濃町河内の地に逃げ延びて草庵を建てて住まい、承元4年(1210)、享年53歳で没したと伝えています。 (広報津より)
入場門 案内板
✿成覚寺(じょうがくじ)真宗高田派
平維盛(清盛の孫)が平家の念持佛を本尊として開基と伝える。
この地域では平維盛(重盛の子)ゆかりの寺と慕われています。
お庫裡さんの話ではこの寺紋は「扇の日の丸」で根拠は解らない、部落の落合姓は「扇の日の丸」を使っているそうです。帰るとき出口でここを徳川家康が「伊賀越え」で通られた道と語っておられました。
・念持佛(釈迦、普賢、文殊の三尊佛)、平維盛木像、平維盛(これもり)の墓、天井画「龍」がある。
参道 本堂
平維盛木像(パンフレットより) 天井画「龍」
平維盛の墓(ナギの雄雌の木が植えてあった。この木は熊野速玉大社の御神木を平重盛の手植えたしたこことにちなんでいる。)
以 上