2015/04/22京都・南山城へ『尾張文化の会』のメンバー44名と見学に行って来ました。(No367)
かつて山城国といわれた京都府の最南端の地で、木津川の厳しい流れがたびたび氾濫を繰り返した地域です。
観音寺、壽宝寺、酬恩庵一休寺の古刹を訪ねました。
◇大御堂観音寺
真言宗智山派に属し大御堂とよばれ、天武天皇の勅願により義淵僧正が創建した。
その後、聖武天皇の御願により良弁僧正(東大寺の開祖)が伽藍を増築し、息長山普賢教法寺と号し、御本尊十一面観音菩薩立像を安置した。又、「お水取り」の名で知られる二月堂の修二会の中で「籠たいまつ」の真竹がここから届けられる。
本堂 鐘楼
参道 この時期、菜の花が美しく咲くそうです。
十一面観音菩薩立像(奈良 国宝) <本堂で販売していた雑誌より>
◇壽寶寺
慶雲元(704)年、天武天皇の時代に創建されたと伝えられる。古くは「山本の大寺」と称せられ、七堂伽藍の備わった大きな寺であったが、度重なる木津川の氾濫により、享保17(1732)年、現在の小高い地に移転した。現在は高野山真言宗に属し御本尊は十一面千手千眼観音立像です。
山門 本堂
十一面千手千眼観世音菩薩立像(平安 重文)<観音寺本堂で販売していた雑誌より>
お堂中に入り観音様の説明を聞き、手のひらに薄っすらと書かれた『眼』が残っています、また、お堂の扉を閉め『夜』のお顔を見せて頂きました。
◇酬恩庵一休寺
一休宗純のお寺として知られている酬恩庵は、もとは妙勝寺といい、大応国師によって正応年中(1288-1293)に禅の道場として草創されたのが始まりである。現在みられる本堂は、室町幕府6代将軍足利義教により建立され、本堂や方丈、庫裏、唐門、東司、鐘楼、浴室はいずれも重文です。
山門 本堂
一休禅師の御廟所 開山堂
名勝 万丈庭園(南庭) (北庭)
以上