2018/9/20 吉野山の吉水神社と金峯山寺を訪ねる。
『尾張文化の会』のメンバー36名と奈良の吉野山を訪ねた。(No402)
出発の頃は曇りであったが名古屋を出る頃には雨が降り出し、吉野山の降車場から下千本観光駐車場まで約2Kmを食堂、吉水神社、金峯山寺蔵王堂と歩き、バスに乗るまで雨が続いていた。
行程は松河戸IC→東名阪・名阪国道→針IC→(昼食)→吉水神社→金峯山寺蔵王堂→針IC→勝川ICの予定で順調に進んでいた、しかし東名阪の亀山から四日市で渋滞が発生している情報にて一般道を鈴鹿ICまで走り勝川ICのルートで帰ってきました。
吉野山とは、大峯連山の北の端から、南に約8kmつづく尾根一帯を指し、吉野大峯の全体が世界遺産と云われる。
当日の吉野山(中千本)
✿南朝皇居吉水神社(よしみずじんじゃ)
ご祭神は後醍醐天皇、楠木正成公、吉水院宗信法印公である。
ここ吉水神社は元吉水院として、天武天皇の白鳳年間(今からおよそ千三百年前)に役行者が設立した、格式の高い修験宗の増坊でした。神仏分離が行われ、後醍醐天皇の南朝皇居であったことから、明治八年に「吉水神社」と改められた。
文治元年(1185)ここ吉水院に源頼朝の追手に追われた源義経と静御前が弁慶らと隠れ住んだと云われる。ここ吉水神社には、義経の鎧を始め多くの遺品が展示されています。
・境内
鳥居 吉水院の石標 参道
山門
本堂 本堂と書院と南朝皇居の石碑
・義経、静御前潜居の間
・三賢人(孔子、老子、荘子)の軸
『三人の訓』で孔子は「思いやり」、孟子は「勇気」、荘子は「調和」で人の値打ちが決まるという。
・後醍醐天皇玉座
・義経の鎧(重文)
・千体地蔵(小野篁)
・蝉丸の琵琶(後醍醐天皇所持)
・後醍醐天皇句碑
「花にねて よしや吉野の吉水の 枕の下に石走る音」
・後醍醐天皇句碑
「ここにても 雲井の 桜 咲きにけり ただかりそめの 宿と思ふに」
・十字の詩
「天莫空勾践時非無范蠡」
(てんこうせんをむなしゅうすることなかれ ときにはんれいなきにしもあらず)
✿金峯山寺(きんぷせんじ)
役行者神変大菩薩が白鳳年間(7世紀後半)に修行に入り、修験道を始めた役行者は、この金峯山で修業された。本尊は金剛蔵王大権現(釈迦如来、千手観音菩薩、弥勒菩薩が過去・現在・未来の三世にわたって救済)を金峯山寺蔵王堂に祭祀さ、これが金峯山寺の開創と伝えられています。
・銅の鳥居(重文)日本三鳥居の一つと云う。
・仁王門(国宝)
・蔵王堂の石標
・蔵王堂(国宝)
・金剛蔵王大権現(重文で秘仏)
蔵王堂の本尊ご開帳(平成30年11月3日から30日)
・観音堂、愛染堂
〇史跡名称吉野山の石標
〇金峯山寺黒門
✿昭憲皇太后御野立跡
・芭蕉の句碑「花ざかり山は日頃の朝ぼらけ」、句碑「芳野にてさくら見せうぞ檜木笠」
以上
坂祝町の城山展望台
2018/09/18 岐阜県加茂郡坂祝町の猿啄城跡を歩く。
JR坂祝駅舎 山の頂上に猿啄城跡の展望台が望める
2018/09/18(火)に街道を歩く仲間で「猿啄城跡」に誘われ、いつものパターンで出かけました。JR坂祝駅に9:05分に着き、町内を西に1.5Km歩き、山を登り始めたら急な坂道が多く、平坦な場所も少なく、九十九折の山道を登ること55分(パンフには30~40分)に頂上に着いた時には体全体は汗びっしょりのであった。
頂上の櫓(展望台)からは名古屋駅のビル群が遠く確認できた。看板によると恵那山、中央アルプス、御嶽山、白山などが望まれるようである。
帰りは坂が強く感じた、登り口で「杖俸」を仮らお陰で足諸が滑ることなく下山できた。
✿猿啄城跡(さるばみじょう)
岐阜県坂祝町指定史跡で勝山に存在した室町・戦国時代の城跡であり、標高約265mの山頂に展望台がある。
〇猿啄城の歴史
別名を猿飛城、根尾山城とも呼び、応永14年(1407)の頃、西村豊前守善政の城であったといわれ、享禄3年(1530)から田原左衛門の居城となり、天文16年(1547)には同族の多治見修理が謀叛により城を奪った。以降18年間在城したが、永禄8年(1565)丹羽長秀は織田信長に命じられて東美濃を攻め、その緒戦で先陣の河尻秀隆(鎮吉)(しげよし)らが落城した。このとき、信長は幸先よしと猿啄城の地名を勝山と改称し、以後は勝山城となった。功により河尻秀隆(鎮吉)は勝山城主となり、天正3年(1575)岩村城へ移り廃城となった。
(猿啄城史より)坂祝町役場発行のパンフレットより
迫間川沿いの城跡の石碑(バックの山の頂上が城跡) 城の説明板
城跡入口
河尻肥前大神碑と河古太丸大神
看板の河尻鎮吉は河尻肥前守、河尻公、河尻秀隆と同一人物と思う。
城に行く登山道① ② ③
途中の石碑(白河神社) 前の祠の刻印「河尻公」
中腹の磨崖佛
頂上直ぐ下に石碑(秋葉神社)
頂上の石碑(国常立大神・大巳貴大神・□□大神)
頂上の展望台と石碑(猿啄城跡)
木曽川の下流方面 坂祝町から美濃太田方面 R21号と木曽川
登山道入口の林道を50m奥に進むと御嶽大黒天がある
この後、坂祝駅に戻り12:01分の電車でJR鵜沼駅へ向かい下車して「鵜沼城跡」を犬山橋から周囲を見回して食事場所を探して犬山城前で、私は「鮎雑炊」を頂きました。
✿左は鵜沼城跡沿い名鉄電車の鉄橋
手前は木曽川に架かる犬山橋、奥は名鉄電車の鉄橋、その奥は鵜沼城跡
『鵜沼城跡』は後日2018/12/7に、伊木山城跡に登った帰りに対岸より撮影した。
✿犬山城前の針綱神社と稲荷神社
食事後、犬山城に登る予定でしたが、お腹も一杯になり階段を登る気力もなく1名を残して5名で城下を散策しながら名鉄犬山駅へと向かい帰宅に着いた。
<追伸>
2024年10月
頂上の猿啄城展望台より観た対岸のお寺が気になっていたため、今回は機会が有って探しに行ってみました。
場所は、木曽川左岸を上流無向かって約4Kmの場所に大泉寺が有る。そして対岸にある山の頂上に猿啄城展望台が観えた。
✿猿啄城展望台
猿啄城展望台
✿大泉寺(だいせんじ)補陀落山 臨済宗妙心寺派
本尊は聖観世音菩薩。
開山は無極慧徹禅師。
由緒は応永八年(1401)足利義満から寺領を譲られ無極慧徹によって曹洞宗の寺院として創建された。無極慧徹禅師は七堂伽藍を建立して禅道場を開いた。
石標
山門
由緒版
本堂
地蔵堂
以上