1988年3月13日に開業した青函トンネル。青函連絡船の相次ぐ事故などをきっかけに建設が決定。約10年間に及ぶ試掘、地質調査を経て現在のルートが決定され、1971年に正式起工。17年の歳月と、およそ9000億円の工費、そして今でも竜飛の丘の上から津軽海峡を見守っている34名の貴い犠牲の下に開通し、今年で二十歳を迎えます。3月12日、これまた明日二十歳の誕生日を迎える北斗星4号で、札幌→上野乗車してきました。
1ヶ月前は大雪で大はまりでしたが、さすがに3月。もう雪の心配はなさそうです。北斗星4号の青函トンネル通過時刻は、日付が変わって3月13日0:39~1:16。13日に二十歳になる青函トンネルに一番乗り!。のはずだったのですが、トンネル進入直前に「はまなす」と交換。しまった、下りはまなすに先を越された^^;)。ちなみに20年前の一番列車は、函館発7:23のはつかり10号盛岡行きでした。
この日の北斗星4号は定刻上野着。まだ春休みには早いこともあり、乗車率は40%弱。開業当初は臨時も含め3往復あった北斗星も、3月15日のダイヤ改正で1日1往復に縮小される。現在の北斗星2・3号のスジが残される形になり、編成所属は未確認であるが、現在の1・2号、JR北所属と同じ車編で運用されるようである。本州担当車掌区は青森運輸区に一本化され、上野車掌区は北斗星担当から外れることになる。JR東の客車列車全廃計画(?!)もいよいよ本格始動したようだ。
今回の北斗星運行縮小は、北海道新幹線開業に向けて、青函トンネル内の夜間工事時間を確保するため、という説明がされていたが、どうみても建前上の説明に聞こえてしまう。開業以来、貨物輸送はそれなりの需要があるようだが、旅客は航空機に完敗状態。新幹線開業でどこまで盛り返せるか、というところだが、いずれにしても夜行寝台が復活する前向きな条件は見あたらない。トンネル内を三線軌条化したとしても、ED79の25000V対応複電化など、具体的な対応方針はなにも聞こえてこない。少なくとも貨物は残るであろうから、標準軌専用線になることはないとは思うが、在来線旅客列車の存続は微妙な状況であるといわざるを得ない気がする。海底トンネルが故の高額な設備維持費の捻出など課題は多いが、単純に採算性だけを理由に、昭和の遺構とならないことを祈るのみである。
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by taniyan
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