振り返るシリーズその4
アマチュア無線開局50周年記念 50年を振り返るその4
今日は、50周年の我がアマチュア無線とのかかわりの中で、上級資格への取り組みについて振り返ります。
しばらくの間は、電話級の資格で続けてきたハム(アマチュア無線の総称でHAMとも書きます)でしたが、
前の回でも書きましたように電信級を受験した際に、モールス符号を覚えましたので、もったいないので
もっと速いスピードの受信ができるように、カセットテープの模擬問題を購入し、
そして小型のカセットレコーダーも購入して
暇な時間に聞いて、書き写すことを始めました。
最初は間違いも多いのですが慣れてくると、少しずつ速いスピードでもとれるようになります。
そうなると面白いので、練習も楽しくなります。
当時は勤めがありましたので、お昼休みの時間に昼食を済ませた後かなりの時間がありますので、
毎日練習しました。
そこで、無線クラブの友人と2級を受けましょうということになり、再度受験に臨むことになりました。
これは平成に入ってからのことです。
2級のモールス試験は、1分間に45文字のスピードで送られる符号を書き取っていくもので、
当時は2分間の受信で行われていたと記憶しています。
そこで練習は、それより早い、1分間に60文字のスピードで練習しました。
これは1級資格の試験のスピードです。練習では70文字くらいまではとれるようになっていましたが、
実際の試験で戸惑わないよう60文字くらいで毎日練習しました。
実際受験するとなると学科が問題となってきます。
というのも学校を卒業してから数十年たっていますから、今更ながら数式を覚えたりそれを解くなどとは、
夢のまた夢状態です。
学科の中でも、法規の問題は、記憶が頼りですので過去の数年あるいは10数年の間に試験で
出題された既出問題集を購入して、徹底的に覚えました。(覚えるだけです。)
法規はひたすら覚えるのみですので、クリヤーし易かったです。
さて、難関の無線工学です。こちらも既出問題を数多くこなし、理屈などはどうでもよいとばかりに、記憶あるのみです。
しかし肝心の記憶力も相当落ちている状態ですから、数多くやる以外に手はありません。
この当時は既出問題が7~9割ぐらいで、新問題は少しだったと記憶してますが細かくは覚えていません。
既出問題を確実にして、新問は半分あきらめて、万が一解けたら儲け? 的に考えることにしました。
そんなこんなで、受験の日を迎え気を引き締めて会場に向かいました。
会場は晴海の見本市会場だったように思うのですが、記憶があやふやです。
特に緊張したのは、実地試験のモールス受信です。
何しろ、広い会場でテープレコーダーを使用するので、音が悪く とても聞き取りにくいのです。
練習では、いつも同じテープレコーダーでかつ、きれいに聞こえる環境での練習しかしていないので、
これで大丈夫かと不安でしたが、やるしかないと心に言い聞かせ聞き取りに集中しました。
そして、当時の受信実技試験での採点方法が、1字間違うと3点の原点、1字わからずに飛ばすと1点減点と
言われていましたので、わからない字が出た時は、あやふやな文字を書かずに飛ばすことに
決めてかかりました。
ですから、1文字間違った気になれば、3文字飛ばしても原点は同じなのです。
もう一つ会場で、緊張するのが受験者が答案用紙に書く鉛筆の芯のすべる音です。
シーンとした会場で聞こえるのは、テープの符号音とこの鉛筆の音なのです。
シャッシャ ザッザッザ というような百人以上の人が書くまとまった音は 普段は経験しない異常な音でした。
こうして、試験が無事に終わり会場から出て、当時は試験問題用紙を持ち帰れましたので、
自己採点をしてみると学科は大体の予想はできますが、 実技は手元に何も残らないので、わかりません。
そんなわけで結果の通知で初めてわかるのですが。
後日、結果の通知があり合格できました。
これが平成2年の秋の国家試験でした。
第2級アマチュア無線技士国家試験合格通知
2級になると、出力の制限はあるものの、アマチュアに割り当てのあるすべての周波数に出ることができます。
合格後にすぐに申請して、発給された免許証です
これでも十分にアマチュア無線の世界を楽しむことはできますが、せっかくここまで来たのだから、
1級もどうかと思うようになり、上に挑むこととなりました。
挑戦するとなると、モールス試験は、スピードが速くなるだけで、幸いこのころには、
和文の受信がなくなり欧文の受信だけになりましたので、こちらも幸いしました。
しかし、1級の無線工学の問題は難解なものが多く、このころ図書館にっ行って専門書を借りるなどして、
一からのお勉強となりました。
しかし、固まった頭がやおら柔らかくなることもなく、苦労の連続でした。
この時も、2級のときと同じく既出問題に賭けて新問題は捨てる覚悟で 確実に旧問題を
クリアーすることに集中することにしました。
この時に、小生がひそかに編み出したのが、次のようなものでした。
所詮、ロガリズムだの因数分解だのと言ってもどうにもなりません。
そこで、既出問題に答えを書いて置き、その問題を公式で解くのではなく、
その中にある数字でかけたり割ったり足したり引いたりで出る方法を探しました。
そしてうまくいった問題はその方法を書いて置きそれを覚えるようにしたのです。
他のいろいろの法則に基づく計算問題もそんな風にして、解くことを覚えました。
したがって公式などはまったくわからなくても、その問題の答えがあっていればよいのです。
この時は、暇があると既出問題を読み、相当の期間没頭しました。
いざ試験では、モールスの実技試験は、練習の甲斐あって問題なくクリアーしましたが、
学科のほうで、法規は何ら問題なかったのですが、やはり無線工学は新問もかなりあったりで、
1回目の国試は残念な結果(実技合格、学科不合格)になりました。
このころの制度では、学科が落ちても実技が合格していれば向こう2年間の実技試験免除制度があり、
最大3回の学科のみの受験が可能でした。
そこで一度落ちた失敗を胸に、今度こその気構えで挑戦することしました。
もちろん今度は、緊張の実技試験がないので学科のみに集中することができます。
この時クラブの友人も同じ境遇でしたので、お互い励ましあいながら臨みました。
このときも前回より新問題が多かったようにも思いましたが、運よく進問題でもクリアーしたものもあったようでした。
こうして後日の通知は、見事に合格でした。
第1級アマチュア無線技士国家試験合格通知
この時も最初の電話級ほどではなかったと思いますが、大きな喜びを味わいました。
このようにして、晴れてアマチュア無線の最高位の資格を手にできたのでした。
これが小生の夢であった最上位の免許証です
平成8年ということは、今年ももうすぐ終わる平成という年の31年ですから、
もうあれから23年も経つのだなあと思うと 感慨もひとしおです。
今回は受験顛末記のようになってしまいましたが、
私の50年の無線史の1ページにしたいと思います。
今回も最後まで拙い文章をご覧いただきましてありがとうございます。
それではまた!