前回#20まで転載しましたが、
その後の2日分の #21、#22が出ましたので
転載します。
#22 記事の「小野田少尉生存」伝わる
では、小野田少尉がルバング島で発見されたのは
探しに日本から行っているのをテレビで見て
知っていましたが、ここでも世界のアマチュア無線家が
関わって協力して発見に繋がっていたことは、
知りませんでした。
改めて、アマ無線が東日本大震災の時もそうでしたが
社会の役に立っていることを再認識した次第です。
#22号(2016.03.16読売新聞から)
#21号(2016.03.15読売新聞から)
大阪万博の年は、当局が社会人になって1年目の年でした。
ハム局は当局が開局して3年ぐらいの時でした。この記念局
のコールサインJA3XPOはよく覚えています。
当時QSO(交信)したかどうかは、覚えていません。
引っ越し等で、当時のログ帳(交信記録簿)を紛失しているため
確認もできません。 残念!
余談ですが、以前にも書いたと思いますが
当局の開局は昭和44年2月ですので、今年(2016年)の2月で丸47年を
数えました。 上にはまだまだ たくさんの先輩方がいますが、
ひとつの趣味で半世紀続けられるのは、他にはないのではと思います。
当局も、生涯現役ハムを目指していますので、まだ記録は伸びていくことと
思っています。 とりあえずあと3年で開局丸50年です。
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