不確かさの中で不確かな言動で何の疑問もなく暮らしている私たち。
ASDスペクトラム症の人たちから見れば、矛盾の塊のように見えるかもしれません。
不確かな世界から自分にとって安心できる世界は、
変わらないこと、いつも同じであること、その自分の安心できる世界観で過ごすこと。
それがこだわりと言われるものに繋がっていくのかもしれませんが、
その世界はとても大事なもののように思えます。
それを奪ってしまうと、その人の存在意味をも否定してしまうように思えます。
しかしその世界観は諸刃の刃でもあり、
そこから現実生活との距離があまりにもかけ離れてしまうと、社会から完全に孤立してしまいます。
良い塩梅に現実社会との距離を保って暮らしていくには、
まわりの矛盾した世界と上手く関わっていく必要があります。
しかしそのための通訳というか、道案内人というか、
そこに繋がること自体がそもそもハードルが高かったりする。
『(これまで散々な思いをしてきた)不確かなものに何故繋がらなきゃいけないの』
その人の世界観を尊重する。理解する。共感する。
そこを大事にしたいところですが、不確かな私は直ぐに忘れてしまい、
世間体に合わせた価値観で判断してしまいます。
一般社会ではそれは通用しないぞ~、と。
一般社会って不確かなもんですから。
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