固定観念に縛られないようにとは思うものの、
自分に染みついている無意識の「当たり前」に時折気づかされることがあります。
もちろん時代背景や環境から観て良し悪しを決めつけるものではないのですが、
分かりやすいのはやはり男女の捉え方でしょうか。
結婚した男女間では言い表し方にその違いがよく表れていますね。
旦那様、奥様、主人、家内、亭主、嫁、など。
男は家族を養うために外で働く者。
女は家の奥、内、家を守る者。
いえいえ、今の時代そんな風に思っている人はいないでしょう。
でも、そうでもない。かもしれない。
昭和の時代はそれが殆どの無意識の「当たり前」で通っていたと思います。
そして平成から令和になり、夫婦間の呼び方は今後どう変わっていくのでしょう。
「うちの嫁が」「うちの主人が」、それとも、つれあい?伴侶?夫?妻?
何の意識もせず発する言葉は脳にインプットされていますから、
変えようとするには意識をして言葉を発する必要がありますね。
(しかし、年を取ると無意識に「当たり前」の言葉を思ったままに発してしまうようになる)
今ある壁を打破していくことが難しいのは、もしかしたら固定観念が邪魔をしているかもしれません。
女性の社会進出にしても然り、
凸凹児者の社会自立も然り。
休憩エリア
ソファベッド:ここで一息ついて切り替えです。