「劣っているのではない、ただ違っているだけ(少数派である人たちのこと)」
精神科の本田俊夫氏は、自閉症スペクトラム(知的障害のないASD)の人たちについてそう語っています。
確かに、知的に何ら問題が無いのであるなら、
多数派の人たちのように家庭や教育の場における成長の段階で、
成功や失敗を重ねながら社会性を身につけていくもの、と私たちは考えます。
そうでないとしたら、多数派の人たちから彼らを見ると、
本人が我がままだから、我慢が足りないから、意志が弱いから、あるいは家庭環境の問題、学校現場の問題、
そう見えてしまうかもしれません。
ただそれは多数派目線の捉え方であって、少数派の人たちの目線で理解をしてはいないのです。
彼らの目線から多数派の社会がどう見えるのか、感じるのか、
そこを理解しようとはせずに彼らと関わっていくことは、
とんでもなくその人自身の有り様を無視してしまっている、ということなるのかもしれません。
知的に問題が無い、このことが余計にその人自身の有り様を見えなくしてしまいます。
能力で乗り越えられるものではない、乗り越えるのではなく共存していくこと(病気ではないのですから)。
実は共存していくことで自身の能力が発揮できるのであると、
プライベートな世界も脅かされることがないのであると、
それを彼らが享受できるかどうかは私たち社会の有り様にかかっているのかもしれません。
彼らの世界を豊かなものにするにはそこにかかっているのかもしれません。