「ふつうに暮らしたい」
「ふつう」の暮らしとはどんなものでしょうか。
人によってそれぞれの「ふつう」の捉え方があるのでしょうが、
昭和世代は、ざっくりと乱暴な言い方をさせてもらうと、
・大学に行く
・卒業後は就職をする
・数年のうちには結婚をし、家庭を持つ
・(多くの男性の場合)妻子のために仕事をし、家族を養う
・(多くの女性の場合)育児と家事のほか、夫を支え家庭を守る
・老後は年金で夫婦で旅行などしてのんびりと過ごす
価値観は人それぞれですが、昭和世代にはそういった将来像が自然の流れとして無意識に浸透していたと思います。
しかし、
その「ふつう」になれない私は、不幸である。
「ふつう」でない自分に価値観を見い出せない。
「ふつう」でありたいのに、そうなれない自分は駄目な人間だ。
いつの時代であっても、私たちが私たちの「ふつう」であると捉えている価値観で発達凸凹の人たちに接していては、本来のその人個人の姿を理解できずに、誤った「ふつう」の価値観を植え付けてしまうかもしれません。
あなたが理想とする「ふつう」でない人達も沢山いるけど、みんな不幸ではないよ。
楽しく自分のしたいことをして暮らしている人も沢山いるよ。
そんな言葉が相手の不安感を取り除くことができるだろうとは思えません。
「ふつう」でありたいのにそうなれない。
そんなふうに思い悩み続けている人もいます。
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