「こどもや教育現場から一番遠い国が決めたことについて
上意下達に従った方がいいという風潮に、激しい違和感
を感じる」(長野県池田町の竹内教育長)
そして、生徒たちの心の準備のため2日遅らせて4日から
休校にするそうだ。これが精いっぱいの抵抗か。
さて、松戸の春を訪ねて坂川沿いの河津桜を愛でてから
「戸定邸」へ向かう。その間を遮る常磐線は階段を降りて
からアンダーパス脇の歩道で潜る。
アンダーパスの上りが終わるところ、戸定邸への上り坂
が始まるが、前回来た時よりもずいぶんと整備されている。
その時は無かった「戸定みその坂」の石柱の裏に、十年
ほど前に上皇と上皇后がここを訪れた記念で名付けられた
と彫られる。御苑と美園をかけているという。
と言うことは、私が来たのはそれより前ということになる。
帰ってから調べると、2007年7月であった。
少し息を切らせて着いた茅葺門、白梅がお出迎えである。
戸定邸は、明治維新が無ければ第十六代将軍となるはず
だった、慶喜の弟、徳川昭武の別邸で、ここの地名に因み、
戸定邸(あるいは戸定館)と呼ばれる。
維新以降は慶喜もしばしばここに逗留し、昭武と共に乗馬
などを楽しんだと言う。戦後徳川家より敷地二千余坪、建物
二百三十余坪が松戸市に寄贈された。
戸定歴史館前の河津桜が満開。この歴史館と戸定邸は
一度見ているのでパス。
前回来た時の戸定邸内部と庭園を紹介しておこう。
この庭園は昭武が将軍代理としてパリ万国博に赴いた折、
心を引かれた西洋庭園を採り入れたものと言われる。
座敷からは江戸川に掛かる葛西橋を望む。
今日のお目当ての梅園を目指し奥へと進むが、続きは次回
としよう。