JR東日本の労組が分裂したという報道とは関係ないが、
JR東の車内誌「トランヴェール」の巻頭エッセイを書いて
いる沢木耕太郎の「檀」を読んだ。
沢木耕太郎は私と同じ昭和22年生まれ。2ヶ月だけ私が
早く生まれている。
沢木耕太郎の特に旅のエッセイがよいが、小説家としても
ノンフィクション作家としても多くの作品を書いている。
そして「檀」。図書館の棚で沢木耕太郎の名前を見て手に
取った本である。檀はマユミとも読むが、この檀は檀一雄の
ことである。
最後の無頼派作家と言われる檀一雄。その遺作となった
「火宅の人」は雑誌新潮で20年も続いた長編である。
名前は変えているが、ほゞ自叙伝と言っていいだろう。
それぞれが二度目の結婚で娶った妻を裏切り、舞台女優を
愛人とする檀一雄。その奔放、放蕩、無頼の一部始終を
曝け出している。
そして、沢木耕太郎の「檀」は、その妻である「ヨソ子」
(実名)の側から書いた話である。
夫から不倫を告げられたヨソ子は、五人の子供を二人の
女中に託し家を出るが一週間で戻る。檀の連れ子の一郎は
難しい時期。自分が生んだ最初の子、次郎は日本脳炎の
後遺症に苦しむ。更に下には三人の子がいる。
舞台女優との生活の場から、たまに自宅に戻った檀の首
に飛びつき、
「チチ、帰ったの?」
「チチ、もうどっこも行かない?」
「チチ、どっこも行く?」
と叫ぶのは長女のフミ子、女優のあの「檀ふみ」である。
舞台に出る愛人を博多まで追いかけて能古島で倒れた檀を
看取った後、東京へ戻ったヨソ子がポツリポツリと檀との
暮らしを語り始めると言う設定である。
この「檀」を読み終わり、やはり本家の「火宅の人」を
読もうと図書館から借りた。
しかし、つまらないのである。ヨソ子の側からの本を
読んでしまった後では、檀一雄(火宅の人では桂一夫)の
勝手きわまる言動は無責任、思い上がりにしか見えない。
しかし(夫の)不倫と言う事実を、男の側、妻の側から
見た違いの「滑稽」さは、ある意味面白い。
長い長い「火宅の人」、まだ半分も読んでいないが、
2週間の借出し期限を延長する気にはならない。
近所のマイパーク「早稲田公園」の広場が封鎖された。
と言っても新型肺炎関連ではない。3月下旬までの通路など
の改修工事と言うが、桜が咲き始めてしまう。
工期と共に「19,030千円」という中途半端な受注金額が
書かれる。さて、どんな改修が行われるか。
江戸川の土手の東屋の定位置から。