変異株が猛威を振るい、「東京にも『まん延防止』」の
中で、水泳の日本選手権で続々と「五輪代表」が決定する。
実に奇妙な感じである。「糠喜び」になるかも知れない。
さて、水戸街道ウォークは桜川を渡って土浦の街中へと
入って行くところ。桜川の土手が高いので銭亀橋へは急坂
である。往時は木橋、ゼニガメ由来の名だろうか。
上り切ると、名物の満開の桜がギリギリ残っている。
筑波山の眺望もよい。
銭亀橋を渡り切って土浦宿が始まる大町の交差点までは
数百メートル。古い佇まいの商店も多い中、外車販売店の
前でフェラーリの清掃中。
ボンネットが開いているので撮らせて貰う。さすがに車
の長さの半分がエンジンルームである。「たまに清掃点検
するのも楽しい」という店員さんと暫し車談義。
大町の交差点の上を走る高架道は「土浦ニューウェイ」で、
地方の都市としては初めて街中の混雑緩和を解消する高架道
であった。
つくば科学万博の開始に合わせて土浦市と茨城県が協力し、
何と、土地の買収から完成まで3キロの高架道がわずか1年
3ヶ月。お役所もやればできるのある。
大町交差点のすぐ先は、いきなり「桝形」。枡形は宿場
や城下町の入口に造られるクランク状の道。多人数の暴徒
や敵兵などが、一気に宿場になだれ込むのを防止するもの。
交差点の角に立つのは土浦城南門跡碑。その土塁の痕跡
が唯一残るという東光寺に入ってみる。
山門もなく裏口かと思うが本堂が正面に見えるので、
これが正規の入口の様である。赤い瑠璃殿は大師堂で
市の指定文化財。扉が朽ちて、中は?と心配になる。
狭い狭い通路で本堂裏手の墓地の隅、小高いところが
南門の土塁跡というが、これではピンと来ない。
隣の等覚寺は鐘楼が土浦市、銅鐘が国の重要文化財だが、
本堂前の横に這う松の趣が好い。
水戸街道に戻ると、正面に二番目の桝形のクランクとなる。
クランクを抜けた先の大手門跡の案内。左に入った突き当り、
旧「市立幼稚園跡」の門柱が大手門の柱を模しているのか。
明治十八年、茨城県最初の幼稚園として開園。当時は全国
でも三十前後の幼稚園の一つ。今は何なのだろう?その説明
はないが、市の交流施設のようである。
この案内地図を使って通って来た二つの桝形を示す。
街道に戻ると土浦宿の中心部(中央一丁目交差点)に
向かってそれらしい雰囲気となって来る。このレトロな
蕎麦屋さん。残念ながら開店前の様である。
見どころが多く一回では紹介できないので、この次の
回に巡った亀城(土浦城)と併せて次回とする。