日本列島の黎明 旧石器時代
11万年前 旧石器時代
図 石刃、ナイフ型石器
石刃、ナイフ型石器の作り方の違いによる文化圏
図 旧石器時代の文化圏
図 長大な槍の穂先
基本的に石塊から打ち割って作り出したもの、日本列島では原料入手が容易だったことから、サイズは大変大きいものが作られた。
4-3万年前 新石器時代
日本列島では石器造りの高度化が始まり磨製石器が作られる
図 環状ブロック群 元の図は旧石器とするが、磨製石器が伴っている
社会的グループが形成され、環状ブロック群には磨製石器が伴うことから、新石器時代である。
図 尖頭器類
尖頭器 両面加工石器群 槍の穂先とされる
有茎尖頭器 投げ槍の穂先とされる
イヌの家畜化 土器開発以前に成っていたと考える
16500年前 縄文土器の時代
超古代文明
土器の開発 縄文土器に生業開発の歴史が記録される
無文土器は籠の目を無くした容器 目がない容器を造ったという記録である。
マメ類の栽培 生業開発の画期が記録として遺されている
弓矢猟の開発 弓の弦と石族 がキイテクノロジー
弦を如何に細くするか、如何に強い弦にするかが開発の目標
魚釣り漁の開発 撚糸文土器に糸巻きに巻いた模様が付けられた
撚糸は大量に生産できるようになり、魚網が作れるまでになった。羽状縄文土器に記録した
太陽こよみ開発 開発の進展は土器に突起として記録されていた
月齢を曜日で表す正確なカレンダーが作られていたものと考える。現代のカレンダーを超えているものと思う。
立春と立秋をの二点を観測点にしていたことから、太陽こよみと月の暦をシンクロさせていたものと考えている。
太陽暦としては、太陽を直接観測していることから、現代のカレンダーを超えて正確であった。つまり現代の カレンダーのような年ごとの日付の変動は無い。
新石器時代の年表
日本列島では世界に先駆けて、新石器時代は3-4万年前に開始されていたと考える。
文明史の年表
日本列島では、新石器時代が3-4万年前に始まっていたことから、縄文土器の時代も早く開始されて、超古代文明は歴史時代と成ることが出来たものと考える。
旧石器時代から新石器時代への全体の流れ
図は各所からお借りして、一部手を加えています。
引用しますーーーーーーー
日本列島における後期旧石器時代には、打製石斧もしくは局部磨製石斧がつくられた。旧石器文化における石斧は「斧形石器」「楕円形石器」と呼ばれているが、扁平な円礫あるいは大きな礫を打ち割った剥片の周辺を打撃して形を整えたものである。
局部磨製石斧とは、刃の部分だけを磨いて実用に供したものである。片刃がやや多いが両刃も少なくない。
日本列島出土のものは、4万~3万年前の後期旧石器時代初期に出現しており、部分的ではあるが磨製技法を用いた石器として世界最古級とされている[4]。
また「旧石器時代には打製石器のみが使用され、磨製石器は出現していない」とするこの時代の定義に見直しを迫る遺物として注目された[5]。
これら日本列島の局部磨製石斧は、後期旧石器時代後半に入るころには突然消滅し、後の縄文時代の磨製石斧とは系統的な連続性を持たないという特徴があるが、その消滅の理由についてはよくわかっていない[5][6]。
旧石器時代末期から縄文時代の草創期にかけては断面三角形またはカマボコ形を呈する片刃の御子柴型石斧が盛行する。これはロシア沿海州やシベリア地方との関連の深い遺物と考えられている。
ーーーーーーー
環状ブロック群とは
旧石器時代の初頭(約3万8千年前~3万年前)、下総台地を中心に石器ブロックがドーナツ状にめぐる「環状ブロック群」が多く見られています。
これら石器ブロック同士は石器の接合関係や石材の共有が見られることから、同時にまたお互いに関係を持って存在していたことがわかっており、このことから環状ブロック群は大型獣の狩猟・解体を協力して行うため、石器・石材の交換や獲物に関する情報交換などを行うため、一時的に各集団が集まり集団間のつながりを確認したりするために環状集落を形成したものと考えられます。その中で中央の空間は獲物の解体や調理などの日常作業を行う「共有広場」として機能していたものと考えられます。
そして墨古沢遺跡などのような大型の環状ブロック群には100~150人が暮らしていたと推定されます。
墨古沢遺跡環状集落復元イメージ.jpg【墨古沢遺跡の環状ブロック群イメージ復元】
日本旧石器文化の三大特徴
「環状ブロック群」は「陥穴(おとしあな)」「刃部磨製石斧(じんぶませいせきふ)」と並ぶ日本旧石器時代の3大特徴であり、世界史的に見ても例を見ない日本独自の旧石器文化のひとつとされ、日本の旧石器時代を考える上で欠かすことのできない遺跡です。
旧石器時代の遺跡は開発に伴う緊急調査で発見される例が多く、旧石器時代の遺跡のほとんどは地中深くから検出されるため、事前に(調査前段階で)その有無や種類・規模の把握は難しく、開発に伴う緊急発掘調査で発見され、調査が行われて完了してしまうこと(記録保存されて消滅)がほとんどです。これまで発見されてきた環状ブロック群も、貴重な遺跡でありながらも例外ではなく、石器の広がりを把握し、遺物をすべて取り上げてしまうことがほとんどで遺跡自体が残ることはありませんでした。そのため現段階で、日本国内で国史跡の指定を受けている環状ブロック群は墨古沢遺跡1ヶ所だけです。
環状ブロック群の分布
このように環状ブロック群は日本の旧石器時代の人々の行動やムラの様子を表す資料として非常に重要です。
また千葉県では全国で見つかっている133遺跡163基のうち約半数近くである56遺跡74基が確認されていて(令和2年12月末現在)、千葉県を代表する遺跡ともいうことができます。しかもその多くが印旛沼周辺に展開しています。この下総台地の中心部が、旧石器時代人が行き交う移動経路・情報交換網の交差点だったのでしょうか?
ーーーーーーー
https://chigai.jp/paleolithic-era-new-stoneware-era/
『旧石器時代』と『新石器時代』の違いの意味を早わかり!
2024年1月9日
『旧石器時代』と『新石器時代』の違いの意味を早わかり!
この記事では『旧石器時代』と『新石器時代』の違いについて簡単にわかりやすく解説させて頂きます。
『旧石器時代』と『新石器時代』は、人類の文化や技術の進化を示す時代区分です。『旧石器時代』は約250万年前から約1万年前までの長い期間を指し、主に石器を使って生活していた時代です。一方、『新石器時代』は約1万年前から約4000年前までの短い期間で、石器の形状や使い方が進化し、農耕や陶器の使用が始まった時代です。このように、『旧石器時代』と『新石器時代』は、石器の進化や生活様式の変化によって区別されます。
それでは詳しい内容を深堀り、理解を深めていきましょう。
もくじ
『旧石器時代』の意味とは
『新石器時代』の意味とは
『旧石器時代』と『新石器時代』の違い
まとめ
『旧石器時代』の意味とは
『旧石器時代』(きゅうせっきじだい)は、人類の文化や技術の進化を示す時代区分の一つです。この時代は約250万年前から約1万年前までの長い期間にわたり、主に石器を使って生活していた時代です。人類は石器を使って狩猟や採集を行い、原始的な生活を送っていました。石器は、石を削ったり砕いたりして作られ、さまざまな形状や用途がありました。『旧石器時代』は、人類の生活様式や社会の形成に大きな影響を与えた時代と言えます。
【『旧石器時代』の読み方と品詞】
読み方:きゅうせっきじだい
品詞:名詞
【『旧石器時代』の言葉の使い方】
「旧石器時代の遺跡」「旧石器時代の文化」「旧石器時代の人々」
『新石器時代』の意味とは
『新石器時代』(しんせっきじだい)は、人類の文化や技術の進化を示す時代区分の一つです。この時代は約1万年前から約4000年前までの短い期間で、石器の形状や使い方が進化し、農耕や陶器の使用が始まった時代です。人類は徐々に定住化し、農耕や牧畜を行うようになりました。また、石器の製作技術も進化し、より高度な石器が作られるようになりました。さらに、この時代には陶器の使用も始まり、人々の生活は大きく変化しました。『新石器時代』は、人類の文化や社会の発展にとって重要な時代と言えます。
【『新石器時代』の読み方と品詞】
読み方:しんせっきじだい
品詞:名詞
【『新石器時代』の言葉の使い方】
「新石器時代の遺跡」「新石器時代の農耕」「新石器時代の陶器」
『旧石器時代』と『新石器時代』の違い
『旧石器時代』と『新石器時代』の違いは、主に石器の進化や生活様式の変化にあります。『旧石器時代』では、石器は石を削ったり砕いたりして作られ、主に狩猟や採集に使用されました。一方、『新石器時代』では、石器の形状や使い方が進化し、農耕や陶器の使用が始まりました。また、『旧石器時代』は約250万年前から約1万年前までの長い期間にわたりましたが、『新石器時代』は約1万年前から約4000年前までの短い期間でした。このように、『旧石器時代』と『新石器時代』は、石器の進化や生活様式の変化によって区別されます。
まとめ
『旧石器時代』と『新石器時代』は、人類の文化や技術の進化を示す時代区分です。『旧石器時代』は約250万年前から約1万年前までの長い期間を指し、主に石器を使って生活していた時代です。一方、『新石器時代』は約1万年前から約4000年前までの短い期間で、石器の形状や使い方が進化し、農耕や陶器の使用が始まった時代です。このように、『旧石器時代』と『新石器時代』は、石器の進化や生活様式の変化によって区別されます。