縄文時代には単一作物、大量生産に向かわなかった、それは何故なのか
ダイズの土器
縄文時代早期以降,全国でツルマメ型の検出が増加するが,縄文時代中期になると,明らかに野生ツルマメよりも大型の種子が目立つようになる。
中期 計測すると野生種より粒の幅が広く、現在の栽培ヒエに近いものが50%以上占めていたという
後期旧石器時代の末に植物からの食料を探して、イヌビエ、マメ類採取を始めたものだろう。
穀類、マメ類の栽培を始めて、諸磯式土器の時期に栽培種が成立した
年表
穀類、マメ類の栽培種が成立するまでには、草創期から中期まで、10000年近く掛かっていたのだろうか。
野生の植物は、同一株でもいっせいには出穂しない。 時期をずらして、つぎつぎに出穂する。
いっせいに穂を出せば、運悪く風水害などに遭遇したり鳥害を受けたりしたときに、 すべての種子が壊滅的打撃を受け、子孫を残すことができなくなる。 この危険を避けるため、野生植物は自然に出穂をずらす性質を備えたものだろう。という
縄文人も同様に種の選抜を余りせず、栽培を繰り返し、品種固定をしなかったのでは無いか。
多種類のものを混作しながら、種蒔きの時期も変えながら、危険分散しながら農耕をしていたのだろう
不作の危険を避けながら、単作に近い農耕も避けていたのでは無いだろうか。
遺伝子の多様性
ダラダラといつまでも咲く花の咲き方は、人間にとっては困る問題だが、ソバにとっては好都合な話なのである。花の寿命はふつうは1日で、朝咲いて夕方にはしぼんでしまうので、雨が降ったり、強風が吹いたりすると虫が来ないから、いっせいに咲くようではその個体の子孫は残せないことになってしまう。
いつまでも次々に咲いていれば、そのうちによい日にめぐり会うというものだ。つまり、無駄花をたくさんつくることになっても遺伝子の多様性を残すほうが野生生物としては都合がよい。
多殖性がなぜ野生の植物に都合がよいかというと、栽培植物の場合は人間がその植物に適した環境をつくって育てるが、野生の場合は不適当な環境では少数の子孫でもよいから誰かが生き残るような性質、つまり遺伝子の多様性が必要になってくるわけである。という
単一化、効率化は10000年の持続には不都合となるのでは無いか。
現代文明は10000年の持続が出来るのか。
縄文時代の農耕は商業生産では無かった、単一化、規格化、効率化とは無縁だった。
自然との共存文明
図はお借りしました
引用ーーーーーーーーーーーーーー
青森県下北半島の上北郡六ヶ所村の富ノ沢遺跡から縄文中期に属するヒエ属の種子が2,961粒見つかった。その内の2,810粒は一つの住居址の床面から出土した。いずれも野生のイヌビエを栽培化したもので、計測すると野生種より粒の幅が広く、現在の栽培ヒエに近いものが50%以上占めていたという。人々により多年に亘り優良選抜された栽培種とみられている。
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混作の理由
宮崎県椎葉(しいば)村の焼畑でも、わざわざ熟期の違うヒエの 品種(シロビエとオソビエ)を混ぜて蒔いている。このように、作 物の品種や種類を混ぜて栽培する方法は混作と呼ばれている。
(《2 弥生時代の水田稲作》P.78~79)
はじめて焼畑を見る
伝統的な日本の焼畑をこの目で見ることができたという感動、た しかにそれもあった。それ以上に、まったく予期せぬものをみた、 信じられないものを見たという驚きに似たものである。目前にたわわに稔ったヒエ畑がある。肥料も農薬も使わず、潅水(かんすい) もせずに、この傾斜地で作物がこれほどまでに育つのだ。「焼畑= 原始農法=貧弱な生育」という教科書的な概念を持っていたわたし にとって、この光景は信じがたいものだった(ちなみに、「畑」は 火田、つまり焼畑をあらわし、「畠」は常畠=現在の畠を示す)。
わたしは一農学徒として、最近の農業が肥料漬け、農薬漬けにな っており、このことが予想以上に有害な結果をもたらすのではない かという危機感を持つ者の一人である。にもかかわらず「作物とは 人間が肥培管理をしなければ育たないもの」というテーゼのまえに、 多肥料・多農薬農業を容認してきたきらいがなかったといえるだろ うか? また、作物を栽培するためには、傾斜地より平地のほうが 望ましいという漠然とした固定概念にとらわれてはいなかったとい えるだろうか。
(《3 焼畑の里を訪ねる》P.86~87)
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収穫法の変化
弥生時代以前のイネ収穫法は石包丁や木包丁による穂刈りであっ た。
野生の植物は、同一株でもいっせいには出穂しない。 時期をずらして、つぎつぎに出穂する。 いっせいに穂を出せば、運悪く風水害などに遭遇したり鳥害を受けたりしたときに、 すべての種子が壊滅的打撃を受け、子孫を残すことができなくなる。 この危険を避けるため、野生植物は自然に出穂をずらす性質を備えたものだろう。 稲作の初期段階では、まだ野生の性質が残っており、出穂がずれるため、 登熟した穂から順次収穫するほうが理にかなっていた。 もし、野生の性質を残した植物を株刈りすれば、未熟な穂や出穂するまえの茎まで、 成熟した穂とともに刈りとってしまうことになる。 株刈りができるようになるのは、もちろん農具としての鉄製鎌の問題もあるが、 穂がいっせいに出る「作物」としての特性を備えた栽培種の出現を待たねばならない。
(《2 弥生時代の水田稲作》P.68)
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ふぞろいな成育
ソバ畑が満開になったといっても、1つの個体を見ると、しっかり咲いている花もあれば明日にも咲きそうな白いつぼみもあるし、さらにまだまだ硬くて緑のつぼみもある。
もっとよく見ると、これから葉の出る枝もある。それらはさらに遅れてつぼみがつき、開花する。開花してから数日たつと、受精した実は茶色く色づいてきて、数日で黒い実になるが、他の花がまだこれからたくさん咲こうとしている時に落ちてしまう。
イネのように茎の先端に花(穂)がつく場合には、葉が全部出終ってから花が咲く。イネ科では茎の頂端の芽が葉芽から花芽に変ってからいっせいに花が咲く。
ソバは、ほかの花が咲いていたり、まだつぼみのままだったりするのに、早いものは黒い実になってしばらくすると落ちてしまって収量が減る。この実は土の上にごろごろところがっており、暖かい時期なら雨が降るとその年のうちに、あるいは秋に落ちると次の春に芽を出している。
だから、春先に前年のソバ畑へ行くとソバの芽が元気に育っている。この畑は春に播いたもので発芽が悪くてこんなに不ぞろいなのかと感じたりするくらいである。そこを耕して新しく種を播いても、前年の落ちた種がいつまでも芽を出すから、次の年の品種がちがえば混じってしまう。
photo by iStockc 現代ビジネス photo by iStock
遺伝子の多様性
このダラダラといつまでも咲く花の咲き方は、人間にとっては困る問題だが、ソバにとっては好都合な話なのである。花の寿命はふつうは1日で、朝咲いて夕方にはしぼんでしまうので、雨が降ったり、強風が吹いたりすると虫が来ないから、いっせいに咲くようではその個体の子孫は残せないことになってしまう。
いつまでも次々に咲いていれば、そのうちによい日にめぐり会うというものだ。つまり、無駄花をたくさんつくることになっても遺伝子の多様性を残すほうが野生生物としては都合がよい。
多殖性がなぜ野生の植物に都合がよいかというと、栽培植物の場合は人間がその植物に適した環境をつくって育てるが、野生の場合は不適当な環境では少数の子孫でもよいから誰かが生き残るような性質、つまり遺伝子の多様性が必要になってくるわけである。
ソバは手がかかる作物だが、それは野生に近い植物であるがゆえ。人間のコントロールが及ばない「個」が際立つことで、種を保存させようという彼らなりの戦略なのであった。
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一方,日本のダイズ属には,野生のツルマメ(Glycine max subsp. soja) と 栽 培 ダ イ ズ(Glycine max subsp. max),両者の特性をもつ雑種が存在する。
日本列島で最も古いダイズ属の試料は,宮崎県王子山遺跡の縄文時代草創期のツルマメで,
その利用が今から約13000 年前に開始されていることが明らかにされている 3)。
縄文時代早期以降,全国でツルマメ型の検出が増加するが,縄文時代中期になると,明らかに野生ツルマメよりも大型の種子が目立つようになる。このことから,遅くとも縄文時代中期には,栽培ダイズが存在した可能性が高まってきた。
ササゲ属アズキ亜属は,アジアヴィグナ(The Asian Vigna)ともいわれ,友岡らによる研究では,3 節 21 種類が存在し,この内 6 種については栽培型が存在することが明らかにされている 4)。筆者は,現生 21 種類のアジアヴィグナと縄文時代の土器から検出されたアズキ型の種子圧痕の形態や臍へそ構造の比較を行い,それらが植物種としてのアズキ(Vigna angularis)であると特定した 5)。
アズキには,野生種であるヤブツルアズキ(Vigna angularis var. nipponensis)と栽培アズキ(Vigna angularis var. angularis),両者の雑種が現在でも知られている。
縄文時代早期以降継続的に検出されるアズキ型の種子を比較すると,ダイズ属と同じように縄文時代中期以降,ヤブツルアズキより大型の種子が混在し,増加することが明らかとなってきた。
図 2 縄文時代のシソ属果実比較
果実の中には,大型のエゴマ,小型のシソなどが含まれる。
図 3 縄文土器から検出されたダイズ属の種子圧痕
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西洋哲学は21世紀には不適切で不用な学問だ。西洋文明からの決別は前世紀から始まっている。これを変革し、21世紀の人類の危機を克服するには、人類を納得させうる考え方が必要だ。それは自然との協調や共存の特徴を有することは言うまでもない。
西洋文明は自然を無機質なものとして、不当に低い位置に貶め、それから富を収奪し、それへの影響を無視した結果が現状を招いている。自然を極度に利用し、その生命性を否定してきた物質文明が問われているのはまさにここに問題があるからである。
そもそも自己と身体と自然を切り離してはいけなかったのである。頭脳だけでなく、心臓でも、身体でも、ものごとや宇宙を感じたり考えたりすることができるのである。文明を正常な姿に戻すことが必要である。