節分に何故マメを使って鬼を追うのだろうか
何かでそんなことを見たものだから、そういえば不思議なことです
ウェブでサーチしてみたが、適切な説明がありません、今一納得出来る解説が無い。
チャイナからの伝来なら、チャイナでマメを投げていたのだろうか
そんな話は聞いたことが無い
それなら縄文以来の伝統なのか
立春は暦開発の縄文時代以来であり、マメ類は縄文時代草創期10,000年以来のツルマメ類から栽培種が成立したものなので、同じ出自なのだろうか。
節分は晦日であり、立春からが農事暦では新年になる。
立春起点の暦は88夜、210日、220日など雑節とされているものがある。
マメ類を食用の中心にした縄文時代に、種蒔きの前に、マメを撒くことで、土地の悪霊をはらい、豊作を祈念する祭が行われていたのだろうか。
マメ類の栽培は縄文時代草創期からの伝統なので、それが刷り込みで
先祖返りの豆まきになったものなのか、誰か詳しい人は居ないでしょうか
図はお借りしました
引用ーーーーーーーーーーーーーー