世界の古代文明にも、その後も世界に無い
どちらも世界に無いもの
縄紋土器で突起と縄文、縄文のざらざら
楽吉左衛門 15代 楽茶碗でも宇宙を現わすという
話を聞いて縄紋土器と継承するものを感じた
瀬戸黒 「無明」
どうでしょうか
写真はお借りしました
引用ーーーーーー
楽茶碗の見どころ
2020年7月6日
楽茶碗で濃茶を練ると美味しく練れます。これは、楽茶碗の軟らかさから茶筅の当たりがよくて、お湯を吸収する力が強く、そして温かさを逃がさないためです。楽茶碗は、抹茶を点てるために造られている茶碗ですので、様々なところに心遣いがあります。一つ一つ見ていきたいと思います。
一、五峰(五山)
茶碗の口の部分が五つに波打っています。山と谷になっていて、これを五峰(五山)と言います。茶碗を手に持ち、山の部分を指で持って回して、谷の部分に口をつけて頂くようにできています。口をつける谷の部分は手が触れないようにできています。また、波打っていることにより、抹茶をすくった後の茶杓を茶碗に置きやすくしてあります。
一、口造り
口当たりをよくするために、口が少し内側に入っています。約6分内側に入っています。これは昔、日本人が蛤の殻を匙代わりにして食べていたことから、この口当たりに近い形に造っています。
一、茶巾擦れ
楽茶碗の胴部分が内側に少し凹んでいます。これは、茶巾で茶碗を清める時に茶巾が滑って茶碗を落とさないように、滑り止めの役割りをしています。
一、見込みと茶溜り
茶碗の内側の底は、平らではなく「茶溜り」という、少しくぼんだ所があります。これは、この茶溜りに抹茶を入れて湯を注ぐと湯が底に届いてから円を描いて対流するようにできています。対流することで、湯が抹茶の外側から内側に入り、均等に湯が抹茶に染み入り、ダマのない美味しく濃茶を練ることができます。また、茶碗の外側は峰(山)で表されるので、茶碗の内側は海です。茶碗を上から覗いてみて、底に向かって母なる海のように広がって見えるように造ってあります。茶碗を上から見る景色のことを「見込み」と呼びます。「見込みが広がっていて、深い茶碗」などと表現されます。
一、高台
茶碗の造りの最後に高台をつけます。高台の内側は渦になっていることが多いです。この渦を「巴(ともえ)」と言います。茶碗は、裏返して拝見することが多いので、裏返した時に姿がいい茶碗を造ります。裏返した時の茶碗は、手に持って温かみのある丸い形です。宝珠を意識して造られています。そのため、茶碗の先端は渦を巻き、先端が尖がった宝珠に見えるように造られているのです。
一、押印と引っ掛け
茶碗を正面にして、そのまま正面を向こう側(奥側)にひっくり返した左側に押印します。向こう側にひっくり返した時に、印が読めるようにします。この茶碗は「楽七」と押印してあります。そして印の右横の高台内に少し尖った部分があります。これは「引っ掛け」です。茶碗を正面にして、印を左側にして茶碗を用意します。茶碗を湯で温めた後、その湯を建水に捨てる時に、印と引っ掛けを抑えて湯を捨てます。こうすることで、茶碗が滑らないようにしてあります。
一、重さ
楽茶碗は抹茶を頂くためだけの茶碗ですので、手に持った時の重さも考えています。食器とは違い、両手で持って口につけ、顔に茶碗を傾けて頂きます。点てた抹茶が入って、両手を上げて頂いた時にほとんど重さを感じない重量に楽茶碗は考えられています。
いままで書いてきたことは、楽茶碗の基本です。写真の茶碗は、基本に忠実な茶碗です。この茶碗が良いということではなく、楽茶碗を造るということは、この基本を勉強してから更に自分の茶碗を造りあげていくのです。楽茶碗に込める意味を知ってから、自分の楽茶碗を手に持って眺めて抹茶を頂いてみると、造り手の心に触れる気持ちになります。
ーーーーーー
千利休が愛した茶碗づくりを継承する樂家15代当主 樂吉左衞門
文化 2017.03.13
450年続く樂家。その15代当主・樂吉左衞門に、千利休の「わび茶」の理想にかなう茶碗をつくった初代・長次郎から、一子相伝で受け継がれる樂茶碗づくりの伝統を背負うこと、自作にこめる思いなどを聞いた。
樂吉左衞門 RAKU Kichizaemon
樂家15代当主。陶芸家。公益財団法人樂美術館理事長・館長。1949年京都生まれ。73年東京藝術大学彫刻家卒業後、2年間イタリアに留学。81年に15代吉左衞門を襲名。日本陶磁協会金賞など受賞多数。2000年フランス芸術文化勲章シュヴァリエ受章。07年に新設された佐川美術館(滋賀県守山市)の樂吉左衞門館ならびに茶室を自ら設計。主な著書に『ちゃわんや』(淡交社)、『RAKU: A Legacy of Japanese Tea Ceramics』(共著、青幻舎)、作品集『RAKU KICHIZAEMON』(樂美術館)など。
450年の伝統との葛藤
??「茶の湯」のための茶碗づくりを、一子相伝という形態で受け継ぐ樂家の長男として、歴史と伝統を背負う宿命をどう受け止めてこられましたか。
樂家を継ぐという使命が、何より先にあることに懐疑的でした。他にやりたいことがあれば、その分野をしっかり歩んでいこうと、若い頃は反抗心をめらめらと燃やしていました。もし家を継ぐとしても、自分の強い意志で選択したいと考えていました。茶道は嫌いではありませんでしたが、家で茶会をしていても、見向きもせず、手伝いすらしませんでした。うっかり近づくと自分の意思ではなく、人の思惑や世間の目に翻弄されて、自分自身を無くしかねないと思ったからです。茶の湯だけでなく、日本の伝統文化にも抵抗をしていて、能などの伝統芸能もほとんど観ませんでした。
??東京藝術大学でも、陶芸ではなく彫刻を専攻されました。
大学を卒業した後、イタリア・ローマのアカデミア美術学校の彫刻科に少し通いましたが、当時はとても懐疑的になっていて、「自己表現とは何か」「表現とは何か」という疑問にぶちあたり、何もつくれない期間が長く続きました。もちろん、ミケランジェロの作品をはじめ、イタリアの芸術作品は素晴らしい。しかし、自分の中で、そうした彫刻や絵画のように、100%自己表現したものを、作品としてこの世に存在させてよいのかという疑問がつきまとい、創作活動ができなくなるという辛い時期を過ごしました。
??それからどのような経緯で、茶碗づくりを継承しようと決意されたのですか。
海外にある一定の時間、身を置くことは、西洋を肌で感じることであり、それと同時に自分の中の日本的なものに目覚めるという、両方の文化を知る体験をすることだと思います。その中で、ローマで初めて、野尻命子(みちこ)さんという茶道家に出会い、猫の首を捕まれるごとく、彼女のお茶の教室をのぞいてみました。そこには日本人生徒は一人もおらず、それぞれが人生の中で、茶の湯と出会い、真剣にお茶と向き合っていました。その姿をみて、目から鱗(うろこ)が落ちました。茶の湯に対する鎧(よろい)が全て溶け、素直に彼らと一緒に初めてお茶の勉強を、それもイタリア語で、始めました。
すると、ふと茶碗の持っている本質的な優しさを感じることができました。茶碗は、見ず知らずの人の手を通して「これはほんのり温かいね。優しいね」と、使う人の心の琴線に触れることができればただそれだけでいいのです。そうであれば、自分の表現として、世の中に作品を存在させてもよいと思えました。他者が使うという実用性を持つことで優しさが生まれます。そこには、自我や個を前面に押し出して迫るのとは異なる、人や世の中とつながっていく、広がりがあると気付きました。
土と手の素朴な語らい
??同じ茶碗でも、樂茶碗はロクロを使わないで創られるので、なおさら優しさを感じます。
利休の美意識を見ていると、ものとの関わり合いがとてもダイレクトです。決して、間(あいだ)に緩衝材を入れません。例えば、土壁であれば、そのまま荒い土壁を使い、そこに表面的な装飾を加えることをできるだけ排除しようとします。焼き物の制作方法も同じです。当時、ほとんどの器は量産を志向するロクロを使っていましたが、樂茶碗はロクロを介さない、手づくねという、いわば原初的な成形法でつくります。手で触覚を感じ、視覚で感じ、体全体で感じる形をダイレクトに表現しているのです。そのため、温かみのある、優しい手の丸みをおびた樂茶碗の姿が形成されます。
初代 長次郎 黒樂茶碗 銘 万代屋黒(もずやぐろ) 桃山時代(十六世紀) 樂美術館蔵 映画『利休にたずねよ』(2013年東映)で、市川海老蔵扮する利休が、自刃の間際に茶を点てたことでも話題となった。まさに「利休形」(利休好み)の典型といえる姿の茶碗(展示期間:3月14日~4月16日)
利休の作として伝えられる究極の茶室「待庵」は、二畳と床の間だけで構成される極小空間です。そこで、客を迎える亭主と迎えられる客が対峙(たいじ)すると、お互いの息づかいが感じられるほど濃密な人間関係が生まれます。その中で、手づくねの茶碗を手渡すということは、自分の気持ちを込めた一服のお茶をまさに手から手へと直接相手に手渡すということです。そこでは、器物である茶碗の存在さえ忘れてしまうかもしれません。手づくねの茶碗は、手の形、互いの手そのものなのです。そうした関係性の中にあってこそ、手づくねの茶碗の持ち味がいかされるのです。
樂茶碗は、ロクロを使わず、「手づくね」といわれる樂家独特の成型方法でつくられる。一般的な「紐づくり」の「手練り」と違い、土を厚めの平らな円形状にして、それを両掌で少しずつ周囲から「手にすっぽりとおさまるように」立ち起こしていく
黒への果てしなき挑戦
??初代からご当代まで、この手づくねという制作方法は変わっていないのですか。一子相伝では、何を伝えるのでしょうか。
手づくねという技法は、樂茶碗の根幹ですから、長次郎の時代から絶対に変えられないものです。手づくねでしか伝えられない形の趣があります。こうした技法は伝えていきますが、個人の発想や創造性に委ねるものは伝えません。たとえば、樂茶碗には黒と赤という代表的な色のタイプがありますが、これは沢山の色をそぎ落した上で、長次郎がたどり着いた色なので、守らなければなりません。しかしながら、同じ黒でもさまざまなニュアンスがあります。それは個人個人で創意工夫を凝らすべき表現領域に属するので、釉薬(ゆうやく)の調合法は書き残しませんし、教えもしません。いわゆるレシピのようなものは一切残さないので、継いだ本人が一から、試行錯誤を繰り返して、自分の黒い釉薬を見出していくのです。また、本人の一生の中でも、黒の釉薬の色は変化していきます。代々、それぞれ独自の世界をつくり出していくことが重要なことなのです。
静けさの中の激しさ
??ご当代の作品の中には、かなり前衛的な激しさを感じるものがあります。
私の激しい焼貫(※1)茶碗は、「樂家の伝統から飛び跳ねていて、どこが長次郎からの伝統につながっているのか」と多くの方に聞かれます。信じて頂けないかもしれませんが、私の中では、しっかりと長次郎とつながっているのです。
十五代 吉左衞門 焼貫黒樂茶碗 銘 暘谷(ようこく)平成元年(1989)個人蔵 茶碗の胴をヘラで鋭く斬りつけた当代の作品。長次郎茶碗と造形は異にするが、初代のラディカルな思想をしっかりと受け継いでいる
長次郎の茶碗は、とても静かな茶碗です。しかし、本質的には深く、激しいものです。「この黒い茶碗でお茶を飲んでみなさい。ここには、あなたの欲している綺麗(きれい)な模様も色も形もありませんよ」と、激しい突きつけがそこにはあります。静謐(せいひつ)さの中にある、そうした激しさを、私は長次郎の作品から学び、受け継ごうとしています。それは、茶碗の形でも釉薬の色合いでも質感でもなく、世の中の誰もが疑問を持たない世界に、「そうじゃないよね」と突きつける力を持つことです。そこに、私自身、長次郎につながっている意味があると思っています。自分の強い意志、考えが貫かれて、その上で互いに本当の心の和が成立すれば、それこそが、手渡しで一服の茶を飲むことによって、安らぎが広がる世界なのだと思います。
十五代 吉左衞門 銀継ぎ茶碗 銘 猫割り手(ねこわりで) 今から約40年前に当代が制作し、気に入っていた作品を窯場にちん入した野良猫が割ってしまい、それを後年、扶二子夫人が銀継ぎに出したもの。うまく修復された秘蔵の茶碗は、樂家を訪ねる親しい客の前にのみ現れる。経年の渋みを増した内部(見込)からは、幾度もこの茶碗で濃茶が点てられたことが窺い知れる(この樂茶碗は、今回の展覧会では出品されません)
取材・文=川勝 美樹
写真撮影=川本 聖哉
動画撮影・編集=乙咩 海太
動画撮影=花房 遼
ーーーーーー
これまでの放送
第194回 新春スペシャル 2013年1月3日放送四百年を背負い、“今”を焼く 樂家十五代 樂吉左衛門
プロフェッショナルとは
伝統と革新の振り子運動
樂には、茶碗(ちゃわん)の制作を行う際の、一つのルールがある。前衛的な茶碗を作るとき、必ず同時に、樂家代々が作ってきた伝統的な樂茶碗も作るという。そこには、伝統を継承するという「場所」から、新たな地平に挑み続けてきた樂ならではの哲学が包含されている。
「伝統だとか、歴史だとかそういうものに逆らわないで、それをきちっと背負って、自分なりの仕事をしようっていう。そういう仕事を一方でしていて、時々『ガンと壁をぶち破ってしまって向こう側に出てしまいたい』っていう、強い反動みたいなものがあって。そのエネルギーがたまっていくと、本当にバンって爆発する。振り子のようにジグザグに歩いて行こう、っていうのが僕のスタイルというのかな。」
前衛的なスタイルのみを繰り返していると、さらに新たなスタイルへと挑み、跳躍しようとするパワーが次第に得にくくなる。樂は、その課題を『一度伝統に立ち返る』という方法で乗り越えるのだ。
写真
火に、託す
焼き物は最後に、「焼く」という行為を必ず経る。樂はそのことが、絵画や彫刻といった他の芸術と、焼き物とを大きく分けると考える。
「努力して、ときには緊張して、自分の意識も一生懸命研ぎ澄まして作り上げたものが、自分の意識の世界だけではなくて、最後は、自然そのものにそれを『差し出す』というか、『託す』っていうのかな。ふかしすぎた自己意識をすうっと消してくれて、そこに火が与えてくれた新たな命というか、新たな表現がそこに加わって、自分の『意識』と『自然』とが、すごく幸せな形で手を結ぶ。そのときこそ、いいものができるんですよね。」
ときに樂は、自らの茶碗に刻まれた自己意識が、過剰と感じることもあるという。そんなとき、人知を越えた火という存在が、その過剰さを『救ってくれる』のだとも語る。
写真
写真
“表現者”の矛盾
『激しさや存在感はありながら、自然と同化するものを作りたい』という樂の思い。しかし、土から何かを作り、何か表現をした瞬間、自然と相容(あいい)れないものになっていくということも、樂は分かっている。
「土のままでいいじゃんかっていう話ですよね。でもやっぱりそこにどうしても自分が『黒くしたい』という強い意志が、自分の表現がやっぱりあるんですよね。だから表現というものに関わっている限り、『自己』っていうのは手放せないし、自然と一体になるといっても距離がある。どうしても生じる裂け目がある。
表現にこだわってきたし、同時に自分にこだわってきたけれども、もういいよねっていう。でも、その引き方が分からない、どうしても。
僕には、まだ一方(の手)では表現者である自分を必死に捕まえている。(でも)こちらの手では放したいって思ってる訳や。これどうしたらいいの、っていう話になるんですね。」
写真
ただ一途に“今の自分”を焼く
400年前、それまでの茶碗とは方法論も技術も哲学も異なる長次郎の茶碗は、「今焼茶碗」と呼ばれたという。
樂家十五代樂吉左衛門もまた、“今”を焼く。
「要するに『今』しか分かってないんですよ、自分はね。この今。それしか無くて。自分の過去の茶碗でも、20歳のとき、30歳のときってありますけどね、そのときの『今の自分』ていうんですかね、それがちゃんと乗っかっている、というのはやっぱり、いい茶碗かなって思いますね。」
さまざまな苦悩、葛藤、あるいは喜び。茶碗は、そうした『今の自分』を写し出す、鏡のようだと樂は常に語る。だからこそ樂は、『今』に全てをかけるのだ。