時間をコスト(人件費)と捉えれば、なるべく早く済ませたくなる。でも、鍛錬や上達の過程と捉えれば、ある程度、時間を掛けたくなる。同じ「早い」でも、効率がいいと捉えるか、慌てていると捉えるか、「遅い」も無駄が多いと捉えるか、慎重だと捉えるかで、全く意味が違ってくる。
そもそも時間という概念は、人間が数値化したもの。何故その必要があったのか?朝日とともに目を覚まし、日中活動して、日暮れとともに眠くなり、寝る。でいいはず。
早い/遅いを比較するための物差しが必要になったのだろう。待ち合わせをするには、とても便利だ。でも、時間は比較するものではないと思う。同じ行為でも早く出来る人もいれば、遅い人もいる。それは性格や得意/不得意の差でしかない。
命に限りがあるせいか、何かと早い方が評価される。特にテクノロジーの進化とともに。でも、匠の技や文化、地球の生い立ちなど、時間の掛かるものもある。それをテクノロジーで早めたところで、わがまま(自分が死ぬ前にやりたい/見たい)にしか思えない。
世の中には無理に急がず、時間を掛けるべきものがある。それは効率が悪いとか言うレベルではなく、地球の営みとして尊重すべきだ。人間は、地球の一部でしかない。地球の「時間」は早めたり遅めたり、比較するものではない。