大島の空の下で

伊豆大島在住の中年のおっさんのブログです.日々の出来事を綴っていきます.一部は mixiとマルチポスティングしています.

健全なる精神は健全なる肉体に宿る?

2012-03-24 23:51:38 | Weblog
今日はマラソンの関門員(車両規制とコース指示)をしました.
伊豆大島の海岸線は山手線の描く周回コースと同一縮尺でほぼ重なります.周回道路の全長は40km余でフルマラソンのコースが取れます.これに三原山登山と風光明媚な海岸沿いの道を加えた58kmコース,さらに逆周り一周を加えた100kmコースの3コースを設定した第8回ウルトラランニングが本日開催され,ボランティア参加したのです.役務中じぶんと同一種の生物とは思えない運動能力の人々の走りを間近にし「がんばって」の声かけをしていましたがホントは自分がガンバレの気分でした.なにしろ足がもつれることなく100mを走りきる自信もない今日この頃ですので(^^;
ちょっと意外だったのは女性ランナーの多さです.約800名の参加者の25パーセントが女性です.100kmの部にも23名のエントリーがありました.オリンピックなどで見る短パンスタイルは少数派で多くは色とりどりのランスカとタイツに身を包みかろやかに走り抜けていきます.華やかでとっても良いです.
ところで表題の「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」は子供の頃,運動会前の「校長先生のお話し」みたいな場面でよく耳にしました.
逆説的に障がい者を揶揄する要素が感じられ,ダイバーシティ・マネジメントの概念が普及し始めた現代では使うことをはばかられるフレーズです.一世紀後半のローマ帝国の弁護士ユウェナリスの言葉だそうですが,元からして誤訳で本来は「健全なる肉体には健全な精神を」というあらまほしき姿をあらわす言葉だったようです.ナチスドイツなどで意図的に誤訳され,あたかも「身体を鍛えれば健全な心になる」ような解釈となって軍国主義の鼓舞に使用され,現在に至ったのが真相のようです.
全盲の方が伴走者と楽しそうに走る姿を見てフト思い出した言葉でした.
そういえば自身の片耳失聴,友人たちの身体的な不調などけっして健全な身体とはいえない方たちが身近にたくさんいることを改めて思い出しました.

道化師の蝶 を読んで

2012-02-25 23:08:31 | Weblog
先週三宅島に出張した折に民宿で島焼酎を飲みながら読みしました.
着想を捕獲するという銀の虫取り網をキーアイテムとして,話者が入れ替わる,時間が入れ替わる,性が入れ替わる,客観と主観が入れ替わる...物語の場面がどんどん切り替わり状況が変わったことに付いて行く事で忙しいお話でした.昔読んだSFマガジンのコラム欄だったかに1.現実世界で現実の主人公,2.虚構世界に現実の主人公,3.現実世界に虚構の主人公,4.虚構世界に虚構主人公.この中で1は一般の小説.2と3がSFで4はファンタジーに分類されるという趣旨の記事がありました.その分類で行くと一見ファンタジー小説みたいに思えるけど実は2.に該当するSFかもしれない作品です.芥川賞を受賞させてしまうと,これを読んだ人の多くが二度と受賞作品を手に取らなくなると危惧した選考委員もいたようですが,時間や空間が自在に変わる小説はSFの世界には普通にあり,それほど突飛なお話とは感じませんでした.今から40年ほど前に読んだ小松左京の「果てしなき流れの果てに」は時空の自在な移動やストーリーの訳のわからなさなどの点で本作品とよく似た読後感の小説でしたが描かれている世界のパースペクティブは桁違いの広がりを持っていたような気がします(あまりにも昔に読んだので詳細はすっかり忘れてしまいました)選考委員の多くが首をかしげたという評判どおり一読しただけではストーリーや世界観が伝わりにくい小説ですが,難解と受け取れる書評は気にかけず頭の体操程度の気持ちで読めばそれなりに楽しめるお話しではないかと思いました.

「道化師の蝶」円城 塔 第146回芥川賞作品

共喰いを読んで(ネタバレ有り)

2012-02-21 22:49:46 | Weblog
筋金入りのニートと表現され受賞時の言葉でも話題になった田中慎弥氏の今季芥川賞受賞作品です.
17歳の高校生遠馬は開発から取り残され汚水で淀んだ河口付近に父円とその愛人琴子との三人で暮らしている.遠馬は閨房で女を殴る性癖を持つ円と同じ血を受け継いでいるのではと恐れながらも,一級年上で幼馴染の千種とぎこちない性交を繰り返している.川向こうには,そんな父と早くに別居した実母の仁子が単身魚屋を営んでおり遠馬は両家のあいだを行き来しながら成長した.大雨で祭りが中止になった夕方,父を見限った琴子が家出し,逆上してあたりを捜し始めた円はたまたま境内で遠馬を待っていた千種を強姦してしまう.それを知った仁子は円を屠り拘置所に入って不本意だった人生に段落をつけた.
プロットだけ書くとATGかなにかの作品で観たことがあるような気にさせるストーリーです.高揚感やカタルシスとは縁の無い文章ですが読んでいるあいだ中緊張感が漂います.それは登場する女たちの場面に顕著で片手欠損の障害を持ちながらも気丈で淡々と日々を生きる実母の仁子,円を殺しに行く仁子を止めようとした遠馬を制止し「殺してくれるんなら 誰でもええやんけえ」と言い切る千種の描写が凄いです.短編なのに漂う空気の濃厚さはつたない感想文では伝えようがありません.芥川賞作品中に緻密な性行為の描写は珍しいですがぜんぜんエロじゃないのがチト残念でした.

ところで,光母子殺人事件の犯人である大月孝行の育った環境についての新聞記事を読んでいてこの作品がすぐ連想されました.同様な感想を持った方は他にも多くいそうな気がします.

堤 智恵子さんの伊豆大島ライブ

2012-02-13 20:42:25 | Weblog
昨夜は女性サックスプレイヤー提智惠子さんのライブに行ってきました.二年ぶりの大島出演でしたが30名余りの聴衆との息はピッタリ.大盛り上がりのひと時に浸ることができました.6回目の来島とのことですがワタシ自身は二年ぶり3回目のお目見えでした.
彼女のプレイはとにかく元気.ムーディーな曲を演奏しても不思議と情熱的になってしまう.ひとくちで言うとコルトレーンよりはカリフォルニアシャワーの頃のナベサダに近い感じです.MCも同性にも好かれるフェミニンさを抑えた明るいしゃべりで,生来の性格もあるだろうけど何気なくやっているように見えて実は高い好感度をねらったプロのステージ技術ではないかと感じました.右耳を失聴してから初めてのライブでしたが生音の充満する会場では片耳だけでも何の支障も無いことを確認でき二重の好日でした.
ところで昨晩のミュージックチャージは5千円でした.銀座のハウスでも3千円を切るくらいが相場ですから一見高く感じますがプレイヤー4名の往復の船賃と宿泊費は安く見積もっても一人につき2万5千円ほどかかります.客が30名とするとチャージの合計は15万円.となるとギャラは…というわけでよくこのお値段で催せたものだと感心してしまいます.地元の協力者から機材を借りたり島内移動の車を用意したりと毎年幾多の面倒を乗り越えてライブの開催にこぎつけるミュージックカフェらイヴのナナさんホントにご苦労様です.

集金

2011-12-11 19:19:14 | Weblog
グズグズ先延ばしにしていた防犯協会の会費集めが数件を残して済みました.
パトロールは若干の高揚感があって,どちらかと言えば楽しいけどこっちは少々気が重い仕事.
200世帯余りの限界集落とはいえ他地区に通勤するサラリーマンのワタシはあまり顔が売れていない.10数軒の担当世帯に戸別に顔を出して活動状況を伝えるのも大事なことのように思えるので気合を入れて回ってきました.ちなみに会費は500円/軒.
震災後,地域コニュニティの持つ役割が再評価されているようです.三原山の再噴火は絵空事ではないし,南関東地震の発生確率は今後30年以内に70パーセントとされています.あまり想定はしたくないけど,万一の場合今の活動が役立てば良いと思っています.

バイリンガル

2011-12-08 21:49:13 | Weblog
福岡に嫁いだ二歳年長の従姉から病気見舞いの電話をもらった.ここ数年親族の法事が続き毎年のように都内や地元大島で会っていたのだが,今日の電話の声はいつもと違う「ムリしたらいけんよ~」みたいなはじめて聞く福岡弁.よそ者にはネイティブのおばちゃんにしか聞こえない.センシティブなところのあった人なのでここまで溶け込むまでにはさぞかし苦労しただろうと見舞いのお礼を言いながら感慨が少し.

手術しました.(ご報告)

2011-11-27 21:04:10 | Weblog
脳腫瘍の一種である聴神経腫瘍の摘出手術を受けてから約一ヶ月が経過しました.
この腫瘍は脳腫瘍総数の一割ほどの疾患で聴覚器官と脳を結ぶ4本の神経の鞘(さや)に,にきびみたいなものができる良性腫瘍で,10万人に1人くらいの発症確率だそうです.

数年前,布団の中でラジオを聴取中に左右で聞こえ方がかなり違うことで異常に気づきました.耳鼻科に1年ほど通院し投薬を受けたものの改善が見られないことから脳神経外科での診断を薦められ,MRI撮影をしたところ2センチほどの腫瘍が発見されました.

思い返すと居酒屋みたいなガヤガヤしたところで,みんなどうしてあんなにスムーズに会話できるのか不思議だったり,携帯電話が聞きとりにくくてストレスフルだったりと兆候は以前からあったのです.ワタシの場合,腫瘍は右側に発症し,右利きなので携帯もそちら側で使用していました.

進行の遅い腫瘍とのことで半年ごとにMRIを撮りながら2年近く経過観察していたのですが診察のつど見せてもらう映像中の腫瘍はだんだん大きくなっており,放置すると最終的には腫瘍が他の神経や小脳を圧迫し嚥下や呼吸・歩行などの困難が発生するとの事で覚悟を決めて摘出手術をお願いしました.

入院は10月21日でした.初日はCTや胸部・頭部X線撮影を初めMRIの撮影,血液検査,凝固速度測定,言語療法士による能力測定などを受診するため広い院内を案内図片手に歩き回りました.

10月25日の0830に手術室に入りました.事前にリクエストしておいたバックグランドミュージックが流れる室内で麻酔ガスを処方され5分もしないうちに意識がなくなりました.執刀医3名,麻酔医2名,看護師3名の体制だったそうですがスタッフの方々の顔を確かめる間もなかったです.麻酔からさめたのは1630頃ですが手術にかかった時間は7時間半ほどだったとの事です.

ICUでの回復期は喉の渇きと,自分の身体なのに場所のわからない疼痛,チューブだらけの半固定状態で思うように動けないことに悩まされました.前日に浅田次郎の「蒼穹の昴」を読み,作中の人物が宦官になるための処置を受け,術後の激しい渇きと苦痛に耐える描写に息を呑んだ翌日だったのでその架空の苦痛がシンクロしてしまい不快感倍増. 手術前には快感を伴う読み物を読んでおくべきでした.

入院を経るにしたがい疼痛は徐々に少なくなってきたものの右耳の聴力は完全になくなりました.もともと8割の確率で術後失聴と言われていたので驚きませんでしたが,まったく聞こえない状態は難聴と異なり平衡感覚の乱れや右後方の気配がわからないといった手術前にはなかった困難さがあって慣れが必要です.

手術からほどなくして顔面の半分にマヒが出ることがあるようでネット上のいくつかの闘病記にその旨の記述があります.幸いなことにワタシの場合マヒはありませんでした.術後10日目は退院予定日でしたが帰島してからこれが出るとややこしいことになるので医師と相談し退院を3日伸ばしてマヒの発症のないことを確認して11月5日に退院,即日帰島しました.

自宅に戻ったものの一般の怪我の回復期とは異なる体調の不全感と船上で揺られているような平衡感覚の乱れがあったので一週間ほど自宅待機し11月14日から仕事に戻りました.現在不全感はほぼなくなったものの,眼鏡を新調したときに似た平衡感覚の乱れはなかなか完治しません.勤務先から帰宅するとグッタリ状態であまり動く気になれません.軽い船酔いに似た不快感が常時あってそのことが疲労感を増加させているようです.こればかりはいくら腕っぷしが良くてもお手上げです(良く無いけど).もっとも医師からこの症状も数週間で改善するとのご託宣をもらっているのであとは時間の問題と考えています.

こんな体調のため覇気のあがらないことはなはだしく.仕事以外に早急にやらねばならないことがいくつか控えているのですが,なかなか手がつけられません.
外出がしずらい体調の反動でアウドドアやサバイバル関係の本を買い込んだり大型のシースナイフをヤフオクで入手して手触りを楽しんだりといささかアブナイ余暇を過ごしています.日によってコンディションの上下はあるもののマクロ的には確実に改善しているので年明けのNYPには三原山での移動運用を含めて参加できるくらいになれればよいなと考えています.

疾病による入院はこれで二度目です.6年前,前回の退院直後に,これからは病気や弱い立場の人の身になって考えよう,などと殊勝な考えがよぎったのですが,最近はすっかり忘れていました.また思い出さなければ. 入院中にお見舞いをいただいた方々,ネットを通じて励ましをいただいた方,ツイッター・mixi等のワタシの発言を見守っていてくださった方々,本当にありがとうございました.

写真は病室の窓外

航空輸送禁止!!

2011-10-13 19:18:33 | Weblog
先ほど一泊の神津島出張から戻りました.帰宅したら玄関にヤフオクで落札したスタンダード社のハンドマイクがレターパックで届いていたのですが見かけないシールが貼ってあります.内容は 「航空輸送禁止 この荷物は,内容品等から航空輸送できない危険物又はその疑いがありますので陸上輸送(又は船舶輸送)により振替輸送しています. このシールは配達先においてはがした上で,受取人様に荷物をお渡しします.・・・云々」 
とありますので配達の際シールをはがし忘れたようです.レターパックは基本的に速達扱いのはずですが危険物と疑われると受取人に知らされることなく陸上迂回ルートに回されるようです. 近ごろは小包を窓口に持ち込むと内容物を具体的に記入するように求められ煩瑣な思いよくさせられますが,いつの間にかずいぶんと神経質な輸送システムに変わっていたようです.

1983年の三宅島噴火の思い出

2011-10-05 21:49:38 | Weblog
ワタシの住む伊豆大島は東京から約120km南にあります.1986年に三原山が噴火し当時1万人いた全島民が避難して耳目を集めました.そこからさらに60km南方にある三宅島も伊豆諸島ではよく噴火する島のひとつです.
近年では1962年に三七山が出現した側噴火.1983年には阿古地区の7割を溶岩で埋め尽くすという甚大な被害を出した雄山大噴火.そしてそれからわずか17年後の2000年にも噴火し,4年間に及ぶ全島民避難が終結した現在も活発な火山性ガスの噴出が続くという活動的な火山島です.後の二回の噴火ではどちらも災害対策活動に携わりましたが今日は1983年の噴火日の翌々日に当たるので当時の記憶を少したどってみます.

三宅島の雄山は1983年10月3日の午後,突然大量の溶岩の噴出を伴う噴火を始めました.退勤時刻間際,テレビニュースが飛び込んできました.山腹を川のように流れる溶岩の映像を見てから帰途に着いたのですが.帰りがけに上司に「まさか明日出動になったりして…」と軽口をたたいたことをはっきりと覚えています.当時の勤務先には導入されたばかりの災害対策用の機器があったのですが,運用実績はまだなくお飾り状態.実際に使用することになるとは思っていなかったのです.

翌10月4日.出社したら管理職1名,先輩1名とともに準備を整えて横須賀の自衛隊基地へ向えとの指示.「アララッ!」です.あわてて家内に電話し,当面の着替えを中野駅付近の勤務先まで持ってきてもらいました.この一件以来勤務先のロッカーには最低限の着替えを保管するようになりました.
別働隊が都内に保管してあった機材を陸路搬送し,我々3名は京急久里浜行きで基地に向かいました.積み込み等の準備が済んだ17時頃,薄暮の横須賀を出航.使用艦はLST4101あつみ.我々3名のためだけの貸し切り航海の始まりです.

LSTは敵前揚陸という過酷な任務を持つ輸送艦です.WWⅡでは多くのLSTが作戦中にビーチで鉄くずに変わり果てました.
船腹内の巨大な戦車置き場には我々の機材がポツンとあるだけ.居室として揚陸部隊用のカイコ棚と呼ばれるベッドが並ぶ長い部屋を3名専用に割り当ててもらいました.ベッド下段には酒保用の缶ビールがぎっしり.案内してくれた甲板長の「ご自由に」のお言葉に甘えて勝手にいただくことにしました.ただし冷えていない.
出航直後に士官食堂で夕食をいただきました.食器の下に濡れフキンを敷くのが海自流.こうすれば艦が傾いても食器がズレません.21時過ぎにまた食事.今度はサンドイッチのみの軽食でした.船乗りは日に4食という話をドクトルマンボウ航海記で読んだことがあったのですがこの時あの話はホントだったんだ,といたく感心しました.
あつみは米国から小笠原諸島の返還を受けるに当たって島に駐留する分遣隊の補給用に計画された艦です.ビーチングのために鑑底はマッタイラ.波を切るというよりは波に乗っかる感じで直下型地震のような揺れ方をします.船足は快速とは程遠く14ノットでユッタリと進みます.出航時は三宅島・八丈島のどちらに行くか決まっていなかったのですが夕食が済んだ頃,八丈島行きが決定したとの連絡が入りました.
艦長は3佐の方でした.艦内の通路脇に掲示してあった要員配置表には各担当の階級が表示してありました.それによると本来は2佐が艦長となる船のようです.ブリッジでは軍艦のお約束どおり左舷に司令官用のやたら足の高いスツールがありました.当然ながら今回はソロ航海なのでここには艦隊司令ではなく艦長が座っていました.
LSTとはlanding ship. tankの略称で日本語では戦車揚陸艦と呼びます.我々の子守をしてくれたボースン(甲板長)には艦内案内とともにビーチング(着底乗り上げ)は引き潮の時に行う.そうしないと海に戻れなくなる.などといったこの艦の極初歩的な運用方法を教えてもらいました.
10月5日払暁八丈島到着.ビーチングして艦前面の扉を開いて機材を下ろすのかと思ったら,ちゃんと着岸して機材をクレーンで下ろしたのでちょっとがっかりしました.機材は4トンロングの改造トラック2台と衛星回線用のパラボラや送受信機です.三宅島の噴火で八丈島まで連なるマイクロウェーブや海底ケーブルが切れて八丈島が孤立することに備え,島の職員の方たちと協力して衛星回線を作成しミッション終了しました.
今から28年前の今夜(10月5日)は作業が一段落し八丈島底土港付近のスナックで一人水割りを飲んでいたと思います.

Sowing (種まき)

2011-10-02 09:58:28 | Weblog
昨夜は毎年恒例の防犯協会・警察共催のイベントでした.地域の方々に住民センターに集まってもらい防犯関係のビデオを上映した後に郷土芸能を観ていただく催しです.事前に開かれる実行委員会では例年動員その1に徹しているのですが,今年は思うところあって来場者に配るノベルティの選定でLEDライト(百均品)を提案しました.
3.11の数日後に神奈川県内の量販店に立ち寄ったところ単一・二の乾電池が払底し単三・四が売れ残っていた事が強く印象に残っていたからです.これは従来型の単一2本や単二6本タイプの重くてすぐに電池の切れる懐中電灯がいまだに多く使用されている事を示しています.
LEDライトの光は白熱球に比べて視認性に劣りますが災害対策用としては小型軽量・長時間点灯といった点で高いアドバンテージがあります.またあまり話題になりませんが長期間保存により電池の内部抵抗が高くなったり接点に接触不良が生じても消費電流が少ないので電圧降下が少なく元気に点灯してくれます.提案は通り会場で200個を越すLEDライトが配布されました.
懐中電灯は買い替えが進みにくいグッズですが新しい物好きの島人にLEDライトが認知されれば普及に弾みがつくはずです.近づいている次回の三原山噴火やふいの災害に間に合えば良いと考えています.ワタシ自身は写真と同タイプのものを以前から複数個購入し玄関・リビング・自室・車内・通勤バック内等々にばら撒いてあります.多くの家庭が懐中電灯を一家に一個ではなく複数を随所に配置するという使用方法に変えられれば成功なのですが….

※ある方から最近ブログの更新が滞っているとのお叱りを受けました.実はネットへの発信は以前以上に頻繁に行っているのですが小ネタでも簡単にアップできるツィッターの使用が多くなっています.御笑覧いただけるようでしたら以下のツイッターアカウントでも検索してみてください.

アカウント: JR1UIA

リンクURL
http://twitter.com/#!/search/JR1UIA