本の感想

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小説 酒屋のおまき①

2024-01-26 12:31:53 | 日記

小説 酒屋のおまき①

 大正が昭和に変わったころのお話である。真紀子は酒屋の一人娘でおまきと呼ばれていた。実際は兄が一人いたが、酒屋を嫌って若いころ鍼灸医のもとへ修行に出てそのままその鍼灸医の家を継いでしまった。おまきは、このあまり大きくもないし先が思いやられる酒屋を継ぐことに気乗りしなかった。ただ、明治の初めに秩禄処分で得たわずかなカネを元手に祖父と祖母が苦労して立ち上げた店である、自分の代で終わりというのは許されないことである。子々孫々伝えていかねばいけない。

 店には祖父祖母の出身地の村出身の若い店員が常に三名いた。女中も一人いた。店員は昼間はひっきりなしにやってくる客の持ち込む一升瓶に、桶から掬いあげた酒を二合三合と大きな漏斗を使って量り売りするのが仕事である。夕方には、つらい一日の仕事を忘れようと大勢の荷車の運搬人で溢れかえった。夕方の客は、立ち飲みの客である。夕方の客で忙しい時は、おまきも店先に立って仕事をすることが常である。

 ある日、仕事が終わってやっと寝につこうかというとき、母親がおまきを呼びに来た。両親は、おまきに店員のなかの一人常吉を婿養子にすることに決めたからと伝えて、祝言の日取りまで決まっていると言った。おまきはその背の低い目つきの悪い店員が嫌いであったが嫌も応も言うことは許されそうになかった。

 おまきと常吉の間には、三人の子供が次々生まれたがおまきは決して幸せとは思えなかった。ただ店が何事もなく続いていることだけに幸せを感じていた。一番下の子が小学校に行くようになったある寒い日の朝、おまきの父親は突然病に倒れ、今わの際におまきを呼んでこう言った

「店はおまえのやりたいようにやるがいい。ただどうしていいか分からないときだけは、店を常吉に差配させるがいい。もし常吉が店を大きくしたら褒美にあの男に好きなもの何でも与えるがいい。」

 おまきは、父親の手を握りながら必ずそうすると答えたが本当はそうするつもりはなかった。不自由のない毎日であるが何か重大なものが欠けている、まず自分の心を満たすものを探し出さねばならないと常々感じていたからである。


ゲームにも依存症あるのではないのか

2024-01-26 00:02:14 | 日記

 ゲームにも依存症あるのではないのか

 たばこの害が声高に叫ばれてみんな吸う人がすくなくなったのは良いことだが、替わってゲームをやるようになった。電車の前に座った人のほとんどはゲームに興じておられるようである。ゲームにも依存症があるのではないかと疑っている。ゲームによって仕事や学習に弊害が出ていないか。たばこの害を声高に論じるのは、人々をゲームに導こうという深謀遠慮ではなかったかと疑っている。

 ところでわたしは受験問題を解くというのも(大学でも高校でも)ゲームに近いものがあると思っている。(従って受験勉強にも依存症があるのではないか)こんな問題はこう攻めよとか、これが最新の出題傾向であるという解説本があったり、受験参考書も「傾向と対策」とか模擬試験も「ズバリ模試」とか銘打ってあっていかにもゲーム感覚である。わたしはゲームをしていて結構楽しくやっているのに、受験生は大変ですなとか近所のおじさんおばさんに言ってもらって有難いのか馬鹿にされているのかどっちなんだろうと感じていたことがあった。受験勉強は人生にたいして役立たないだろうなと思っていたところ、果たして本当にたいして役立たなかった。

 最近は新聞のどこを読んでも中国経済が宜しくないことばかり書かれている。西側諸国とのデカップリング(関係を絶つ)によるものだという。大きくは報じられていないが関係を絶つことは文化にも及んで、受験競争を止め、子供のゲームも大幅に禁止らしい。ために中国の教育産業の会社は大打撃を受けたらしいし、ゲームの会社の株価は大幅に下がったらしい。

 これは大変いいことなのになぜ大きく報じないのか?中高生も大学生も、つまらないゲームの攻略やましてや受験勉強をしていないでおけば、自分の好みの勉強をして好みの仕事に就くことができる。知恵をゲームの攻略に使わないで、仕事そのものに自分の知恵を使うようになる。人々の知恵の集積が国の富になるのであるから、これから中国の富は爆上げするとひそかに考えている。同じことを日本ができればいいのだが無理である。日本の受験産業もゲーム会社もたぶん大きな政治資金を政治家に提供するであろうからである。

 

 多くのヒトを不快にさせるかもしれないが、近く昔のように遣唐使やそこまでいかずとも八幡船(ばはんせん)を出して中国の文物を輸入せざるを得ない時代が来るのではないかと思っている。日明貿易のための迎賓館(金閣寺)を建て、漢文を読める人材(売僧)を確保し時の朝廷以上の財力を瞬く間に積み上げたのが義満であった。同じようなことが起こらないか固唾を飲んで事態の推移を見ている。


昭和はこんな時代であった

2024-01-25 11:41:56 | 日記

昭和はこんな時代であった

 昭和30年台前半の頃はテレビも電話もなかった。 ラジオは音が悪く聞く人は少なかった。新聞の死亡欄には「最後の安政(慶応ではない)生まれの人(女性で写真まで添えられていた気がする)逝く。」の記事が載っていた。

 そんなころごく小さかったわたしは、本家の農家へ預けられたことが何度もある。大みそかの数日前のことである。家に近所の若い人が十人近く臼と杵を持ってやってきて、土間で餅を搗く光景を見た。もち米は自宅の竈(へっつい)で大きな釜で炊く。ついた餅は、一家総出でちぎって平たい木の入れ物に並べていくがわたくしは頼りないのであろう触らせてもらえなかった。終わると餅を搗いた人々は臼と杵を持ってまた隣(といっても相当離れているが)へ運んでいく。ちょうどお正月の獅子舞が家々を回るようなものである。

 次の日の朝のバスで家に帰ることになっていたわたしは、その夜 晩御飯が済んだ後でまずおじいさんのところへ呼ばれた。四角の木で作られた火鉢に長いキセルの灰をポンポンと落としながら、ラジオから流れる流行歌を聴いていたがラジオを消して

「歌は世につれ、世は歌につれと言うてな。」

とわたくしに講釈をした。とうじませていたわたしは、歌が世相の反映であることは同意するが、歌が世の中を変えるほどの力はないはずである、世が歌につれて変わっていくという意見には反対であると言いたかったが話が長くなってはいけないから黙ってうなずいて聞いておいた。

 そのあとおばあさんの部屋に招じられた。建築基準法のない時代につくられた家である、三方が塗り壁で一方だけがふすまであるから昼でも暗い板敷きの間であった。紺色の陶器の丸い火鉢で、灰をかき混ぜる火箸で昼間拵えた丸い餅を火であぶっている。ゴマ塩の髪の毛を後ろで束ねか細い肩を丸めて、それでも大きなはっきりした声で

「若いうちやで、若いうちやで。」

とわたしに対してではなく、餅に対して話しかける。外は雪が降ったのであろう静かである。わたしは、あの火箸の灰が餅につくのを恐れて火箸の先をじっと見つめていた。

 おばあさんの言いたいことは多分聖書のどこかにある、「若者よその若きときに喜びをなせ。」ということばと同じであると思う。もちろん聖書なんか知らないひとである。テレビも電話もなかった、ラジオは聞き取りにくかった、学校も高校以上は近くになかった。街から離れていると新聞は朝刊が夕方配達され、夕刊は配達されなかった。それでも人々は智慧のある暮らしをしていた。今知識が洪水のように押し寄せているが、わたしどもは智慧のある暮らしをしているのかを疑っている。

 

 遺憾ながら、おばあさんの忠告に反してわたくしは若いころに喜びをなすことができなかった。なんとも心残りである。


ひとはいじめをやめられない(中野信子 小学館)再読②

2024-01-22 12:00:04 | 日記

ひとはいじめをやめられない(中野信子 小学館)再読②

 ひとは、お猿さんの子孫であるからサル山のサルを観察すればヒトのことはわかりそうなものである。サルがいじめ合戦をしているかどうか知りたいものである。メスざるはハーレムを作って子育てを共同で行うんだそうだが、その中では順位付けがあって順位を決めるのにいじめらしきものがあるというのをどこかで読んだ記憶がある。雄猿は権力闘争に敗れると、その集団のなかにおいてもらえなくなるらしいが、ヒトの社会に置き換えるとこれはいじめではないか。どうやらお猿さんもいじめらしいことをしているようである。

ならば、ヒトもしていいかというとそうとも思われない。社会全体の能率が極めて悪くなる。組織内でいじめ合戦をやっていると、競合する組織との競争に負けてしまうはずである。現に旧日本軍では、平時にあってはいじめがすごかったが、戦時にあってはお互いに助け合ったらしい。新兵さんは、いじめの凄さに耐えきれず早く戦場に送られることをこいねがったらしい。そのくらい戦場では助け合いをするのなら平時ではいじめをやらなきゃいいのにずいぶんひどいことをやった。なぜ社会全体として損をするのにこんなことをするのか不思議である。

恐らく、平和なときの例えば江戸城内ではそれぞれの集団の中でいじめが行われていたに相違ない。真偽は分からないが、浅野内匠頭はいじめに耐えかねて松の廊下の事件を起こしたという。平時ではいじめをするのは人間の本能のどこかに組み込まれているかと考えてこの本を読むのだが、どうもポイントがずれている気がする。「タダで集団に乗っかっているフリーライダーがいじめを受ける。」というのがこの著者の主張であるが、そればかりが原因であるようにはとても思えない。平時の軍隊内の新兵いじめでは、新兵がフリーライダーであったのか?平和なときには、ヒトをいじめて楽しむというケッタイナ素質がヒトの脳に組み込まれている様に観察される。それが子々孫々に伝わってきたからには、(その資質が人類の生存を助けるという)良い意味を持っていたはずである。そこのからくりを知りたかった。

たとえば、同じ著者のサイコパス(中公新書)には、サイコパスが一定の割合で存在するのは社会には例えば食料にするために動物をあやめることが平気な人材が必要であるからである、との説明がありわたしは思わずヒザを打った。このヒザを打つような解説を期待したがこの本にはなかった。是非著者にはもっと詳しくいじめの場面を観察して、「なぜヒトはいじめをするのか?」という新書を発表して欲しいものである。日本だけでない、諸外国や歴史上の記録を調べて書いてほしいものである。

 


映画 ナポレオン ③

2024-01-19 18:43:34 | 日記

映画 ナポレオン ③

 普通は英雄として格好よく描くところをそうでもない普通のヒト(さらにかなりの弱虫)として描いている。このことに何か意味があるに違いないと考えていた。こうではないかと思い当たった。

 映画ナポレオンは、フランス王家がギロチンにかけられたところから始まる。王政が終わって国民国家の時代になると、システムとして国民国家の方が強いから国家が膨張する、その膨張する軍隊を率いたのがナポレオンであるとして描いている。納税と兵役に応じる義務をもつ国民(代わりに選挙権があるそうだけど革命後すぐにあったかどうだかは疑わしい)を差配したのがナポレオンであろう。だったら巷間言われている様に、ナポレオンの個人的資質によって勝ったのではないということをこの映画は言いたかったと思える。あれは勝つべくして勝った戦いである、王様のいない共和政は(指揮官に依らずに)こんなにも強いんだぞ、ということを言いたいのではないか。

 

 幕末の頃、幕府側についたのはフランスであるという。もちろんフランスは自国の革命の歴史を微に入り細に入り慶喜にご進講したはずである。この講義によって慶喜は、王様のいない国家の方が強くなることを知っていたはずである。だからさっさと謹慎生活に入った。当時の武士だから命が惜しいとかは思わなかっただろうが、ここで戦っても、運が自分に向いているとはとても思えないことを知っていたと思える。運を背負っているほうが勝つことを慶喜は当然知っていただろう。(西郷隆盛はこの時、運を背負っているほうだろう。)

 尤もフランスもここは難しい局面で、慶喜に正直に教えたばっかりにせっかく肩入れした幕府に負けてしまうように勧めたことになる。何でも正直に喋ると損をする例である。

 

さらに進んで、今は国民国家が強いことになっているけれど、それより強いシステムが現れたら負けることになるんですよともこの映画は言いたいのかもしれない。

娯楽映画でありながら、いろんな見方ができるしいろんな考えの湧いてくる映画で、こんなのがいい映画であると思う。