みなさん、こんばんは。
遂にこの日がやって来ました。
今日はこのブログの最終回であると同時に3周年でもあります。
今日の別れ際みんなに「奥田さんが明日からいなくなることが想像出来ません。」とたくさんの人に言われました。
私も同感です。
明日から社会人として働くことが全く想像できません。
しかし、ローイングスーツをビジネススーツに着替えて明日から頑張ります(最近漕いでないからロースー着てないんですけどね)。
今日の様子と言えば、なんと言っても女子ダブルの優勝でしょう。
お見事、素晴らしいです。
金メダルとか羨ましいです。
自分が選手だったら素直に喜べないところですが、私は最早コーチなので手放しで嬉しいです。
他のブログを見たところ未だに様子を更新していないようなので、このブログが一番なようです。
表彰台に上がる背中
今日ばかりは、吉川すげーと思いました。
細田も優勝したんだから、もうちょいシャキッとして頑張れや、と思いました。
いやー、本当にすごい。
コーチしている秋月のレースは予選に比べ、かなり悪かったです。
アップの段階から艇の動きがあまりよろしくなく、それがそのままレースで出たという感じでした。
予選ではついて行った相手にも早々に引き離されてしまいました。
コーチとしての最終レースとしては、悔いが残るものでしたが、まあ仕方ない。
秋月はこれからエイトに挑戦していくので、楽しみです。
頑張れ秋月。
北大でボートを始めて7年、そしてこのブログを始めて3年。
振り返ってみると長かった気がします。
元々このブログは新トレブログとして始まったのでしたが、今やなんかよくわからんが続いてるという感じです。
そんなこのブログですが、なぜこのブログを続けて来たかという理由は誰かに話したことはありません。
なんとなくぼやかして来ました。
少し前に書いたこのブログの伏線にもかかわってくるからです。
3年間我慢して来たこのブログの正体を明かします。
今までご愛読して頂いた皆様ならもちろんこのブログのタイトルをご存じでしょう。
そう、「塾長日誌 on the web」ですね。
一見普通のタイトルなのですが、ここで1つ疑問が出てきます。
なぜ「奥田塾日誌on the web」ではなく「塾長日誌on the web」なのか?
気づく人はこれで気づくかもしれません。
つまりこのブログは奥田塾のブログではなく、塾長のブログなのですよ。
知っている人は知っているかと思いますが、実は私は2代目塾長であり、私の新トレである成田さんが初代塾長なのです。
ここまで書けばわかるかと思います。
そうです。
このブログは奥田塾だけのブログではなく、歴代の塾長に受け継がれていく新トレブログだったのです。
だから私はこのブログに「塾長日誌on the web」というタイトルをつけたのです。
まあ、次の塾長が誰になるかも現段階では決まっていないですし、なった奴がブログ書くとは限りませんから、受け継がれるかはわかりませんけど。
出来れば書いて欲しい。
後付けだろ!!と思っている方もいらっしゃるかもしれませんが、私は3年前の今日、確かにこういう願いを込めてブログのタイトルをつけましたよ。
3年前の3月は治験バイトしまくっていて、入院中のベッドでどんなタイトルにしようかな~と、1日中考えていました。
我ながらそこそこイケてる伏線だったと思っています。
ブログを書いていてネタがなくなった時に「あのことを書いてしまおうか!?」と何度考えたことか…
誰にも話さないのも中々大変でした。
北大で一緒に新トレやった奴らにも言ってないですし、更新者の3人にも言っておりません。
気づいていた人には、このブログの製本稿をプレゼントします。
このブログ書籍化サービスやってるのです。
どんだけの厚さになるかよくわかりませんが、いたらご連絡を。
このブログを書き続けていたのは、一度やると決めたということもありますが、塾生の追いコンの日まで書き続けて、追いコンで伝承するつもりでいたからです。
しかしながら、この辺が限界だと思うので、今日ブログの連載をやめます。
2014年の2月22日には復活更新しますけど。
以上、このブログの伏線を回収致しました。
以下は、ほとんど雑感のコピペですが、現在の心境とほとんど変わらないので載せます。
自分の想いを書いたりすることはもうないと思うので、ここはぶっちゃけトークで行きます。
ぶっちゃけると私はボートがあまり好きではありませんでした。
だって練習きついんだもん!!
その上1週間は7日しかないのに週11回練習するし、その練習は同じ動作の繰り返し。
「やってられるか!!」ってなりません?
それでもボートやっていた理由は、ボート部に集まる人が好きだったから。
北大も東北もボート部に来る人は基本同じで、純で裏表のない人ばっかり。
そんな理由でボートやっていたなら、大学院に来てまでも漕いだりはしないと思うかもしれません。
そんな好きではないけど、すごく速くて漕ぐみたいな人はいるかもしれないけど、自分は全くもって速い選手ではありませんでした。
そんな自分が東北に来てまで漕いだ理由は、ボート部に入ったことを、ボートをやったことを後悔したまま引退したくなかったから。
「ボート部終わってる」というような感じで引退していき、引退と同時に部活との縁を切ろうとする北大の先輩や同期の姿を見て悲しく思っていましたが、自分自身も胸を張って「やって良かった」とは思えていませんでした。
それにこんな魅力ある団体に出会わせてくれたボートというスポーツの面白さをわからないで辞めるのも嫌でした。
上っ面で「やって良かった。」とか、「ボート好き。」とか言うのは簡単だったけど、そうしてしまうと、これから先の人生ずっと上っ面になるから、それはどうしても嫌でした。
震災に遭って色々大変なことはありましたが、インカレの最後のレースでようやく心からボートが好きと思えるようになりました。
ケガしてサイドチェンジしてまで漕いだ甲斐がありましたよ。
嫌い、嫌いと思いながらも実は好きだったと、まさしくツンデレな7年だったと思います。
ボート部のみんなもボート嫌いとか思っている人いるかもしれないけど、実は好きなんだよ。
あんな刺激的な思いが出来るとは。
せっかくボートが面白くなって来たところですが、さすがにもう時間切れなので卒業します。
全然速くなれなくても諦めなかったこの7年は自分の誇りです。
今は胸を張って言えます。
ボート部に入って、ボートをやって本当に良かったです。
いつの日かコーチとして活躍出来るよう精進していきます。
その前に社会人としても1人前になれるように頑張って行きます。
さらばボート部、さらば我が青春。
塾長日誌 on the web 奥田塾編完
塾長日誌 on the web ○○塾編に続く?
遂にこの日がやって来ました。
今日はこのブログの最終回であると同時に3周年でもあります。
今日の別れ際みんなに「奥田さんが明日からいなくなることが想像出来ません。」とたくさんの人に言われました。
私も同感です。
明日から社会人として働くことが全く想像できません。
しかし、ローイングスーツをビジネススーツに着替えて明日から頑張ります(最近漕いでないからロースー着てないんですけどね)。
今日の様子と言えば、なんと言っても女子ダブルの優勝でしょう。
お見事、素晴らしいです。
金メダルとか羨ましいです。
自分が選手だったら素直に喜べないところですが、私は最早コーチなので手放しで嬉しいです。
他のブログを見たところ未だに様子を更新していないようなので、このブログが一番なようです。
表彰台に上がる背中
今日ばかりは、吉川すげーと思いました。
細田も優勝したんだから、もうちょいシャキッとして頑張れや、と思いました。
いやー、本当にすごい。
コーチしている秋月のレースは予選に比べ、かなり悪かったです。
アップの段階から艇の動きがあまりよろしくなく、それがそのままレースで出たという感じでした。
予選ではついて行った相手にも早々に引き離されてしまいました。
コーチとしての最終レースとしては、悔いが残るものでしたが、まあ仕方ない。
秋月はこれからエイトに挑戦していくので、楽しみです。
頑張れ秋月。
北大でボートを始めて7年、そしてこのブログを始めて3年。
振り返ってみると長かった気がします。
元々このブログは新トレブログとして始まったのでしたが、今やなんかよくわからんが続いてるという感じです。
そんなこのブログですが、なぜこのブログを続けて来たかという理由は誰かに話したことはありません。
なんとなくぼやかして来ました。
少し前に書いたこのブログの伏線にもかかわってくるからです。
3年間我慢して来たこのブログの正体を明かします。
今までご愛読して頂いた皆様ならもちろんこのブログのタイトルをご存じでしょう。
そう、「塾長日誌 on the web」ですね。
一見普通のタイトルなのですが、ここで1つ疑問が出てきます。
なぜ「奥田塾日誌on the web」ではなく「塾長日誌on the web」なのか?
気づく人はこれで気づくかもしれません。
つまりこのブログは奥田塾のブログではなく、塾長のブログなのですよ。
知っている人は知っているかと思いますが、実は私は2代目塾長であり、私の新トレである成田さんが初代塾長なのです。
ここまで書けばわかるかと思います。
そうです。
このブログは奥田塾だけのブログではなく、歴代の塾長に受け継がれていく新トレブログだったのです。
だから私はこのブログに「塾長日誌on the web」というタイトルをつけたのです。
まあ、次の塾長が誰になるかも現段階では決まっていないですし、なった奴がブログ書くとは限りませんから、受け継がれるかはわかりませんけど。
出来れば書いて欲しい。
後付けだろ!!と思っている方もいらっしゃるかもしれませんが、私は3年前の今日、確かにこういう願いを込めてブログのタイトルをつけましたよ。
3年前の3月は治験バイトしまくっていて、入院中のベッドでどんなタイトルにしようかな~と、1日中考えていました。
我ながらそこそこイケてる伏線だったと思っています。
ブログを書いていてネタがなくなった時に「あのことを書いてしまおうか!?」と何度考えたことか…
誰にも話さないのも中々大変でした。
北大で一緒に新トレやった奴らにも言ってないですし、更新者の3人にも言っておりません。
気づいていた人には、このブログの製本稿をプレゼントします。
このブログ書籍化サービスやってるのです。
どんだけの厚さになるかよくわかりませんが、いたらご連絡を。
このブログを書き続けていたのは、一度やると決めたということもありますが、塾生の追いコンの日まで書き続けて、追いコンで伝承するつもりでいたからです。
しかしながら、この辺が限界だと思うので、今日ブログの連載をやめます。
2014年の2月22日には復活更新しますけど。
以上、このブログの伏線を回収致しました。
以下は、ほとんど雑感のコピペですが、現在の心境とほとんど変わらないので載せます。
自分の想いを書いたりすることはもうないと思うので、ここはぶっちゃけトークで行きます。
ぶっちゃけると私はボートがあまり好きではありませんでした。
だって練習きついんだもん!!
その上1週間は7日しかないのに週11回練習するし、その練習は同じ動作の繰り返し。
「やってられるか!!」ってなりません?
それでもボートやっていた理由は、ボート部に集まる人が好きだったから。
北大も東北もボート部に来る人は基本同じで、純で裏表のない人ばっかり。
そんな理由でボートやっていたなら、大学院に来てまでも漕いだりはしないと思うかもしれません。
そんな好きではないけど、すごく速くて漕ぐみたいな人はいるかもしれないけど、自分は全くもって速い選手ではありませんでした。
そんな自分が東北に来てまで漕いだ理由は、ボート部に入ったことを、ボートをやったことを後悔したまま引退したくなかったから。
「ボート部終わってる」というような感じで引退していき、引退と同時に部活との縁を切ろうとする北大の先輩や同期の姿を見て悲しく思っていましたが、自分自身も胸を張って「やって良かった」とは思えていませんでした。
それにこんな魅力ある団体に出会わせてくれたボートというスポーツの面白さをわからないで辞めるのも嫌でした。
上っ面で「やって良かった。」とか、「ボート好き。」とか言うのは簡単だったけど、そうしてしまうと、これから先の人生ずっと上っ面になるから、それはどうしても嫌でした。
震災に遭って色々大変なことはありましたが、インカレの最後のレースでようやく心からボートが好きと思えるようになりました。
ケガしてサイドチェンジしてまで漕いだ甲斐がありましたよ。
嫌い、嫌いと思いながらも実は好きだったと、まさしくツンデレな7年だったと思います。
ボート部のみんなもボート嫌いとか思っている人いるかもしれないけど、実は好きなんだよ。
あんな刺激的な思いが出来るとは。
せっかくボートが面白くなって来たところですが、さすがにもう時間切れなので卒業します。
全然速くなれなくても諦めなかったこの7年は自分の誇りです。
今は胸を張って言えます。
ボート部に入って、ボートをやって本当に良かったです。
いつの日かコーチとして活躍出来るよう精進していきます。
その前に社会人としても1人前になれるように頑張って行きます。
さらばボート部、さらば我が青春。
塾長日誌 on the web 奥田塾編完
塾長日誌 on the web ○○塾編に続く?