全硬連の中村会長の引退に伴い、私も連盟から身を退いて、新しく日本防具空手道連盟を発足させてその年の暮れに第一回全国大会を開催した。
円満退会ではあったが、誤解が生じないようにあえて前の加盟団体には声をかけなかったが、どこにも加盟しないで活動をしている防具空手団体も多かったのでそこそこの参加人数だった。
それでも昨年とは違って2面コートでの大会だった。
平成14年にNPO法人団体を設立して、硬式空手愛好会でスタートしたが、この時点では防具空手振興会となっており、その後、現在の日本防具空手道連盟になっていく。
本部事務所も、太田区蓮沼の東矢口から池上6丁目に移り、そのあと京急蒲田駅近くのマンションに移った。
その6年後に現在の横浜市鶴見区に引っ越ししてくるのだが、名義変更で3回、引っ越しも3回行っているが、最初は同じ区内での移動でさしたることはなかったが、横浜に本部事務所を移したときは、書類手続きが大変で最初からお世話になっている故郷の先輩には大変お世話になった。
しかし、その先輩も2年前に亡くなり寂しい毎日だねぇ。
NPO法人にすると助成金がもらえるとずいぶん誤解を受けたりして、その後の分裂要因のひとつにもつながったが、一度もその恩恵には当たっていない。
ー閑話休題ー
第一回の一般の部の優勝者は、前年硬式大会に引き続き、宮崎から参戦の谷名真一郎選手である。彼も小さい頃から空手を続けて高校生の時には国体・団体戦では5人抜きを達成するなど、実力はあったねぇ。今は故郷で連盟・宮崎県支部代表として活動をしている。
表紙の女の子は、当時は桑原美月・5歳から当会で空手を始め、その後高校・拓殖大学と空手部で活躍を続け粕谷松濤館の世界大会では優勝を飾るなど、現在も二児の母としても大会に挑戦しているようで、年に一度か二度くらいは顔を出している。
このように、その後も活躍してくれると空手冥利に尽きるねぇ。
いよいよこの回から日防連のスタートとなる。
