パソコンの調子が・・。

パソコンのOSが立ち上がらなくて、、ただの箱になっています。。

午後からパソコンのクリーンインストールをしていました・・。
WinXP SP1(サービスパック1)まではインストール出来たのですが、
SP2(サービスパック2)へアップグレード中に、、ストライキを起こしました。
CD-ROMの認識は出来ているし・・メモリーもちゃんと挿入されているし・・、
いよいよドック入りの気配が濃厚のようです。。

あぁ~データとアウトルック関連のバックアップは取っていますです。。
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残雪の穂高・大地の詩が聴こえる。

旅の始まりは1975年に遡る、、31年前だったようです。
穂高稜線
近畿の屋根と呼ばれている 大杉谷 に足を踏み入れ、以来、北アルプスを手始めに、北に南に随分と歩いたものです。
結婚後しばらく山から離れていたものの1993年、再び山に帰ってきました。
人生はなかなかうまく行かないもので、強度のストレスから体調を崩してしまい、
2001年の西穂高・独標を後にしばらく山から遠ざかっていました。

残雪・穂高の稜線に立ちたいとの想いが断ち切れぬまま・・、
ネットの世界に踏み入れて、ぽつりぽつりと心の想いを書き連ねていました。
独り言霊から始まり、、ホームページを創り・・ブログに辿り着き、
幾つかのサイトを整理し記事をこのブログに移植しつつ、記事数は1,000を超えました。

ブログに、いつか歩いた足跡を 遥か山旅 のカテゴリとして綴っていて、
皆さまから温かいメッセージを頂き、どれほど励みになったことでしょう。
一つ一つのメッセージに背中を押され、、昨年には秋の上高地に出かけることが出来ました。
四季折々の風景が、時の流れとともに繰り広げられる景色に魅せらたまま・・、
長かったのか、短かったのか・・・今年、ようやく夢にまで見た残雪の穂高稜線に立つことが出来ました。
上高地・小梨平キャンプサイトにテントを担いで入ったものの、西穂高・独標に辿り着く願いは叶いませんでしたが、記録的な残雪があるのに、単独で穂高の稜線に向かうとは論外だったのかもしれません・・。
自然の力(自然の神?)には逆らえず稜線上に止められました(それでも良かったなぁ~)。

今回も単独行だったのですが・・・、
パートナーと登っているような、そんな感覚を絶えず持っていました。
皆さんの励ましがあり、残雪の穂高稜線に立ったことは良い想い出になりました。
ありがとうございました。 
生きてるだけで・・大儲け!!

皆さんのご協力で『ライブカメラ』の画像も保存して頂き・・、
それを拝借してこちらのサイトに掲載することも出来ました。。
しかし、、孤高・疑惑のライブカメラ などの画像では、私がちっちゃ過ぎて、、よう分からん!?!? 
・・・とコメントを頂きました。。
昨年秋の山旅では、河童橋の上で・・おとぼけをしてしまいましたが(カメラの電池切れ・・)。
今回は予備のバッテリーもしっかりと準備して、数枚をカメラに納めることが出来ました。
えぇ!?!? その時の画像ですか?? 怪しげな山屋はこんな人 ですが・・。
クリック後、、びっくりして腰を痛めたりしても・・当方は責任を負いかねますです。。

ブログを通じて、皆さまと出逢い、さらには暖かいメッセージを頂き。。感謝。
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PCが、、ただの箱になりかけました・・。

パソコンはOSが立ち上がらなければ、、ただの箱??

2日前、ブログの記事を書こうとして自宅のパソコン電源を入れたら・・、
あれ?? 画面が真黒のまま、、ピ~ピ~音がするだけで。。
Windowsのロゴが出てこなくなりました。。。

それより前、、12日に一度パソコンが立ち上がらなくなり、
Windows XP 起動ディスクを使いどうにか立ち上げることが出来たものの、
原因不明で、、ノートパソコンの裏蓋を外して、CPU(中央演算処理装置)に取り付けてある、
ヒートシンク(放熱のために使われる金属製の板)を、取り外して銀グリスを塗りなおして・・[右下の赤囲み]。
さらには、メモリーをスロットルから2枚とも抜いて・・改めて挿し直しをしていました・・[左上の赤囲み]。
ノートパソコンを分解する
この後、パソコン電源をいれて、、治ったかと思われていたのですが・・・、
信じられない事に、、4日後、画面が真黒になったまま立ち上がらなくなりました。

困った時のネット検索で・・、
「ピィ~ピィ~ピィ~」音がする場合は「メモリー」が認識されていないことがある・・と。
昨晩、もう一度ノートパソコンの裏蓋を外して「メモリー」を抜き・・[左上の赤囲み]、
再度挿入して、、電源を入れれば・・あら不思議、、立ち上がりました。。
どうやら「メモリー」の接触に不具合があったようです。

昨日は、、ノートパソコンが最近不調になることが何度かあり・・、
修理に出して1~2万円ほどで済むのなら予備のパソコンとして置いておき、
新しいノートパソコンを探し初めていました・・。
各社から今年の夏モデルがほぼ出揃い、仕様をあれこれ検討していたのですが、
お目当てのメーカには、次のPCとして思っているものが無く、
処理速度は抜群の出来だと、、ニュースリリースには歌われているのですが、
ちょこっと懲りているCPUメーカ製ばかりの仕様が並んでいました。
そんな時、昨日のネットニュースで一つの記事が配信されて・・、
AMD、64bitデュアルコアのモバイルCPU「Turion 64 X2」を発表 【 MYCOMジャーナル 】
「インテル」 と 「AMD」 の64bitデュアルコア製品がようやく出揃いました。

■ デュアルコア
1つのパッケージに2つのプロセッサコアを集積したマイクロプロセッサで、
コンピュータ内で基本的な演算処理を行う、いわばコンピュータの心臓部に当たる半導体チップ。
「MPU」と略される。
歴史的には、コンピュータの演算処理は複数の半導体チップが連携して行っており、
この半導体チップ群を「中央処理装置(CPU)」と呼んでいた。
マイクロプロセッサは中央処理装置を1個の半導体チップに集積した部品として生まれたが、
現在はマイクロプロセッサが全ての演算を担当するのが当然になっているため、
CPUという言葉もMPUと同じ意味として使われています。
マイクロプロセッサには、1回の命令で同時に処理できるデータの量によって
16ビット・32ビット・64ビットなどの種類があり、一般に値が大きいものほど性能が高くなります。

代表的なOSのWindows98/MEやWindowsXPは32ビットですが、
今後、64ビットマイクロプロセッサとこれに最適化された64ビットOSが発売予定であり、
来年発売予定の次期OSの「Windows Vista(ウィンドウズ・ビスタ)」は、
64ビット化されたバージョンもリリースされる予定です。

今、パソコンの購入を考えていたり・・パソコンの調子が思わしくなかったり、
次のパソコンを・・と、お思いの方に・・、
1.64ビット対応のOS(Windows Vista)とパソコン(デュアルコア)は、、来年春以降に期待をしておいて下さい。
2.32ビット対応のOS(WindowsXP)とパソコン(デュアルコア)は、、この夏までに期待をしておいて下さい。
3.32ビット対応のOS(WindowsXP)とパソコン(シングルコア)は、、もうすぐ値崩れが起きるので期待しておいて下さい。

今日の記事は、マニアック過ぎたでしょうか??
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またもやノート・パソコンが・・壊れました。

えぇ~~システムダウン!?!?

2ヶ月前にメインのノートパソコン・・ACアダプターの買替えをしたばかりなのに、
パソコンが、CDブートもFDブートにも反応しません・・、
今度は、、完全にシステムダウンしたようです。

えぇ!?!? この記事ですか?
またまた、恐ろしくレスポンスが遅い、、Win98、B5ノートパソコンを引っ張り出して書いています。

今週末には、ノートパソコンをメーカーに持込まないとダメなようです。。

しばらく、コメントの返事が滞りそうで・・サイトの巡回だけで終わりそうです。
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古都絵巻、、葵祭。

京都三大祭りの一つ、葵祭が15日、京都市内で繰り広げられ、みやびやかな平安王朝を再現した行列が新緑の都大路をゆっくりと練り歩いた。
晴天 みやび 平安絵巻 葵祭、沿道2万9000人うっとり 【 京都新聞 】
沿道の人出は日曜巡行だった昨年より少ないものの、穏やかな晴天に恵まれ、約2万9千人(正午現在、京都府警発表)が繰り出して華麗な王朝絵巻に見入ったそうです。
午前10時半すぎ、総勢511人と牛馬計40頭からなる約800メートルの行列が京都御所の建礼門前を出発。
衣装や牛車を飾るアオイの葉を揺らしながら、丸太町通や河原町通を経て、下鴨神社(左京区)に向かった。
騎馬の乗尻(のりじり)を先頭に、平安装束の検非違使(けびいし)、勅使らに続き、あでやかな十二単(ひとえ)をまとった斎王代・藤田菜奈子さん(24)=東山区=が乗る腰輿(およよ)が姿を見せると、沿道からひときわ大きな歓声が上がったと・・。
葵祭は、凶作が続いた6世紀に天皇が下鴨、上賀茂両神社に勅使を送って豊作を祈願したのが始まりとされる。
正式には賀茂祭といい、「源氏物語」「枕草子」にも登場する伝統ある祭りです。

葵祭(あおいまつり)は、賀茂御祖(かもみおや)神社(下鴨神社)と賀茂別雷(かもわけいかづち)神社(上賀茂神社)の例祭で、賀茂祭が葵祭と呼ばれるようになったのは、江戸時代の1694年(元禄7年)に祭が再興されてのち、当日の内裏宸殿(だいりしんでん)の御簾(みす すだれ)をはじめ、牛車(御所車)、勅使、供奉(くぶ)者の衣冠、牛馬にいたるまで、すべて葵の葉で飾るようになったからだという。
使用される葵はフタバアオイで、毎年両神社から御所に納められるそうです。
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今年最初のイチゴ収穫。

今日は高気圧に覆われ・・・、
最高気温は、東北から九州で昨日より高く、暖かさが戻り仙台16度7分・東京19度2分・大阪20度6分で、
4月中旬~下旬並みの過ごしやすい一日だったようです。
青森県津軽地方では、リンゴの花がようやくほころび始めたそうで、
四月の低温により、例年より1週間ほど遅れての開花となったようです。

こちらは、昨年より一週間遅れの収穫となりました。
いちご
ゴールデンウィーク中、子供に見にいってもらったところ、
「まだ、赤くなっていなくて、、もうちょっとかな・・?」と話していました。
いちご
コミュニティ菜園で雑草を抜いていると、
「こちらのイチゴは色もよく大きい実がなりますね・・何かされています?・・私のところは実が小さくて?」
「元肥に鶏糞を入れているだけで、後は何もしていませんが・・、
この苗は、花屋さんで在庫処分になったのを安く分けて貰い・・、
菜園を始めてからずっとランナーから取り続けているもので・・、
手も掛けていませんし、、お金も掛けていませんヨ・・・
「夏前になったらランナーから育った子苗をお分けしますヨ・・

今日、定植してそのままにしていたイチゴの初収穫になりました。。
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残雪の上高地 ≪8≫

2006年5月05日 最終日。

5時前起床。今朝も、寒さが厳しくフライシートには霜が降りてパリパリになっている。。
見上げると、穂高の稜線はくっきりと見渡され・・引き続き、天気の良い朝を迎える。

明神岳の向こう側から朝日が顔を覗かせ、、眩しい。。
光る明神岳
ゆっくりと、パン・コーンスープ・コーヒーの朝食を済まる。
穂高稜線には、うす雲が広がる程度で今日も天気がよさそうだ。
穂高稜線広がる薄雲
今回最後となる、上高地温泉ホテルの露天風呂に出かける・・。
上高地温泉までの道のりは、自然と身体が覚えているようで、、ルン・ルン。。
温泉から上り、ホテルの売店で会社や子供たちのみやげを買い求めている時・・。
テーブルの上に置いてある「宅配便」の送付状を見つけて、
以前、五千尺ロッジに宿泊したときにザックを送ったことがあるので・・、
「あの~こちらでは山用大型ザックは取扱っているのでしょうか?」
「あぁ~ちょっと待って下さい」・・・「(係りの人に聞いてきて)はい、、お取り扱いします。」
「ありがとう!! 後で、持ち込むかも知れませんのでヨロシク!!」
宿泊者だけが利用できると思い込んでいたので。
・・・やった!! これでバスと電車の乗換えが身軽に出来る!!
帰り道に建つ上高地アルペンホテルに寄り道をして・・・、
売店で、同じ事を聞くと、、ここでも扱っているとの答えが返ってくる。
あの~何度もホテルの名前が登場していますが、、
私は、上高地温泉ホテルや上高地アルペンホテルの関係者では御座いません・・(ぺこり)。

テントに戻り、、撤収準備の開始!!
中の荷物を外に出しながらパッキングをする。
瞬く間に、テントの撤収が完了して、、二つのザックに荷物が収まる。
テント撤収前テント撤収後
大型ザックを担ぎながら、、隣テントの方に・・、
「すみませ~ん、、カメラのシャッターを押して頂けますか?」
「はい、、良いですよ!! カシャ・・・!!」
あぁ~良かった、、これで前回、秋の山行のハプニング・・・!?!?
河童橋でのデジカメバッテリー切れの再演がなくなり・・ほっとする。
この場所に、7日間テントを張っていて何となく去りがたい気持ちを振切り・・、
10時、、小梨平キャンプサイトを後にする。

大型ザックを担ぎ、手には中型ザックを提げながら河童橋を渡る。
そのままの、、ちょっと似つかわしくない姿で上高地アルペンホテルに入る。
ロビーを横切り、売店の前で大型ザックを肩から降ろし、宅配の申し込みを済ませる。
そのまま立ち去るのも気が引けて、、貯金箱に代金を入れて・・、
お代わり自由のコーヒーを注いでいると、
その横、現地・限定「生チョコブッセ」なるものが目に留まり・・、
松本には、13時30分頃の到着になるので、ちょこっと腹ごしらえをしておく・・。
200円コーヒー
備え付けの新聞に目を通していると、
恵那山で、行方不明の登山者3名を無事救助の記事を読み、、ほっとする。

10時40分、、中型ザックを担ぎ、上高地アルペンホテルを出て上高地バスターミナルに向かう。
河童橋まで来るとそのままバスターミナルへ行く気が失せて・・、
橋の上からしばらくの間、穂高山系を仰ぎ見る(次は何時、この景色を見る事ができるのだろうかな?)。
穂高稜線
7日間を過ごし身も心も満たされ、穂高山系の峰々に見送くられ上高地を後にしました。
11時20分発のバスに揺られ、いつの時もそうするように、大正池を過ぎたあたりで振り返ると・・、
そこには穂高の山々がある。
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残雪の上高地 ≪7≫

2006年5月04日 入山6日目。

今日は、少し寝坊して5時半過ぎに起床。
今朝も、寒さが厳しく、テントのフライシートには霜が降りてパリパリになっている。
穂高の稜線には、雲ひとつ懸かっておらずカメラを向ける気になりませんでした。

好天が続くとの予報で、、ラーメン・クラッカー・コーヒーの朝食を済ませ外出の支度をする。
既に、遅かりしだが、、日焼け止めクリームを顔に塗り終えて出発・・・。
奥上高地と呼ばれている(最近になって命名されたのかな?)明神から徳沢へ。
奥上高地への標識
梓川左岸には、明神に続く路があり・・いたる所に雪が残り木漏れ日の中を進む。
雪が残る明神への路
道中は、ゆっくりのんびりと足を運び、、右を見てはパチリ・・左を見てはパチリ。。
春はそこまで春はそこまで
小一時間歩いて、明神館前の穂高奥宮、明神池参道標の傍には小さな池があり・・、
この時期には「オタマジヤクシ」が見られるのだが、今年は目にすることが出来なかった。

小休の後、徳沢を目指す。道の両脇には樹木が生い茂るものの・・、
陽が射すところには春の訪れを感じさせる、、ふきのとう、、が。
ふきのとう
ふきのとうの芽、、かと思いながら写していると、自然観察グループが通りかかり・・。
参加者:「これは何ですか・・?」
指導員:「多分、、はしりどころでは・・!?!?」「食べると走り出しますヨ・・!?!?」

■ハシリドコロは全草、特に根茎に有毒成分が多く、誤って食べると興奮、
狂躁状態を引き起こし、 遂に昏睡して死に至る。・・だそうですネ。およょ!?!?
はしりどころ(走野老)
指導員:「これは、せりの仲間のようですね・・!?!?」
しっかりとカンニングをして・・メモメモ。
せりの仲間?
春を探して「エンレイソウ」や「ツバメオモト」の画像が撮りたかったのですが、、残念。

なおも足を進めると、徳沢の少し手前の・・、
いつもここを通るときには岩が1~2個転がっている所に差し掛かると、ロープが張られ・・、
「土砂崩落・河原へ下りて通行して下さい」と迂回標識があり・・。
梓川の河原を歩き、、コースに戻ると反対側にも同じ標識が張られている。
土砂崩落迂回標識
まもなく、徳沢に到着する。
昨年秋にテントを張った時には、のどかな牧歌風景だったのですが、
広々としたキャンプサイトは雪に覆われ・・多くのキャンパーたちが色とりどりのテントを張っている。
徳沢テントサイト
ここは、NHKで放映された・・土曜ドラマ「氷壁」の原作、
井上靖さんの代表作「氷壁」で「氷壁の宿・徳澤園」として登場した所です。
徳澤園・氷壁の宿
陽射しが暖かく、ベンチで休憩をしている隣に座ったグループさんたちが・・、
「NHKの氷壁は、カラビナの破損だったが・・・やはり、ナイロンザイルでなければ・・?」
などと話をされていました・・私は残念ながら観ていませんでしたが・・。。

居心地が良すぎて、動くのが億劫にならない内に腰を上げて、、来た路を引き返す。
明神に戻って、参道を進むと梓川に架かる明神橋が現れ、青空に突き抜けるように明神岳が聳え立つ。
明神橋
小梨平・テントサイトに戻り、一休みした後は、スニーカーに履き替えて露天風呂へ出かける。
上高地温泉ホテルに向かう途中には、野生のおさるさんが・・うろうろしていました。
おさるさん
温泉に浸かった後は、明日に迫った帰阪、、バスの予約を取りに行かなくてはならない。
上高地バスターミナルの窓口で・・、
山屋:「明日、京都まで一枚お願いします。」
社員:「大阪方面のバスは現在運休しています・・」
山屋:「えぇ!?!? 運休ですか? 以前ゴールデンウィークに利用したことがあるのですが?」
社員:「大阪方面は、夏期だけの運行になっています・・」
『さわやか信州号』が、、運休している!?!? 乗換えが少なくて済むのに・・・・・。
一瞬悩んだもののJR松本経由の電車時刻を確認して・・、
山屋:「明日の11時20分発 新島々経由で松本まで一枚お願いします。」
社員:「はい、、乗車券と、これは整理券ですから・・発車10分前には乗り場までお越しください。」
山屋:「ありがとう!!」
・・・ゴールデンウィーク中『さわやか信州号』は運行を止めたのだ!?!?
そりゃそうだ、、何度か『さわやか信州号』で京都まで帰ったが・・・、
10~15人の乗車では、経費すら賄えないので運休しすますよね。
■心の呟き・・・
≪それでも、京都まで乗換えなしの直行バスで帰りたかったなぁ~
 ALPICO GROUP(アルピコグループ) さん、、運行再開を考えて貰えませんかね・・≫

・・・と、テントサイトに戻ってくれば、、稜線に雲が懸かり始めていた。
当初、5日間テントを張る申し込みをしていて、、後一日分の追加申し込みを済ませる・・。
穂高稜線
何度も、航空機の機影を見かけましたが・・、
北アルプス上空は、航空路になっているのでしょうか・・?
穂高稜線
陽が西に傾き始めると、穂高の稜線に覆われた雪の色に変化が現れ始める。
穂高稜線
時間の経過とともに、穂高の稜線が少しずつ赤みが増してくる。
穂高稜線
最後の夕食には、デミグラスシチューの準備をして・・、
ガスストーブの火を止め野菜が柔らかくなるのを待つ間、
上高地・ライブカメラ に出かける。2006年5月04日 17時ジャスト。
昨日今日とお天気が良く、、うろうろ歩き回ったので・・はぁ~はぁ~はぁくしょん!?!?
あれ?? 上高地では、花粉症が出る時期かな・・・・。
ロウソク
旅も終わりに近づき・・・、
上高地・小梨平で『大地の詩』を聴きながら眠りに就く。
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残雪の上高地 ≪6≫

2006年5月03日 入山5日目。

夜が明けきらぬ4時過ぎ、目覚めるが・・、
寒さが厳しく・・シュラフからなかなか抜け出せなくうつらうつらする。
放射冷却のため随分と冷え込んだようで、5時ころにようやく起床する。

テントの外に出てみると、、やったぜベイビー(久しぶりに叫んでしまいそう・・)。。
入山後、初めて快晴の夜明けを迎えました。
外気は冷え込んでいて、テント・フライシートの表裏に夜露と結露したものが凍りパリパリになっている。
穂高稜線
穂高稜線から派生した明神岳の向こうから朝日が顔を覗かせるが眩しい。。
明神
早朝の河童橋あたりをカメラに納めようと出かけて見ると・・、
雪を纏った焼岳の姿が梓川に写り煌いている。
焼岳
朝の内、少しだけ雲の動きがあったが・・・
穂高稜線
朝食を済ませ、お馴染みになった「上高地温泉ホテル」の露天風呂へ出かける。
温泉に浸かれば、、昨日、西穂山荘からの下りで酷使した足が湯にしみる・・。

外来入浴を済ませ、上高地の春を探しに出掛けます。
・・と云っても、春は名ばかり、、いたる所に雪が残っているので・・。
”ふきのとう”が顔をのぞかせているくらいです。
ふきのとう
梓川右岸を下り、西穂高登山口を横目に見ながら田代橋を渡り・・梓川左岸を大正池方面に足を進める。
この季節は何度も上高地に来ているものの、自然観察路がこれほど雪に覆われているのを見るのは初めてだ。
土が顔を出しているのは、ごく一部分で、、残雪や雪が溶けその後凍った上を進むが・・、
すれ違うハイカーさんたちの足元は、このような道を歩くのには相応しくなく、いたる所で停滞を起こす。
大正池までの道のり
田代池を経由して、1988年(平成10年)以来の大正池に到着する。
大正池の彼方に穂高を眺めていると、昨日まで張り詰めていた緊張の糸が解れるような気がする。
立ち枯れの木が少なくなる大正池
焼岳は、雲ひとつない上空にかすかに噴煙を上げて、、北アルプス唯一の活火山の存在を誇示しているようだ。
かすかな噴煙を吐く焼岳
大正池から梓川左岸を引き返す。目線を変えてカメラを構えば、また違った良さが垣間見れる。
焼岳
銀色のつややかな顔を見せてくれるのは、ねこやなぎでしょうか?
ねこやなぎ
梓川の水量は雪解けが進むこれから増え続けるのでしょうが・・、
穂高の山々と同じ画面に納まる姿は好きです。
梓川の流れの向こう側
お昼少し前に、河童橋に戻ってきて、幾分テント食にも飽きてきたので・・、
今日は、河童食堂に入り・・、
「河童食堂と言えばこのメニュー。多くの旅人の心と体を満たす一番人気のメニューです。」
・・の歌い文句に釣られて「トン汁定食」を頂きました。
河童食堂名物・トン汁定食 1000円
天気が良く、気温も上昇しているので・・テントに戻り入山してからそのままのシュラフを干す。
あはぁ~~その間、テントで横になっていると・・気持ちがよくなり、、お昼寝をしていました。。
シュラフ干し
昼寝が終わり、眠気覚ましに上高地アルペンホテルへコーヒーを飲みに出かける。
ロビーに備え付けられた新聞4紙を貪り・・一昨日、発生した雪崩遭難事故の詳細を読む。
針ノ木雪渓で雪崩が発生し、男女3名が亡くなられた。
その内、東京の男性が単独で山に入っていて遭難した。
私は、雪崩が発生した当日、西穂高稜線に身を置いていた。
場所は離れていても、同じ山系(北アルプス)に居合わせたものとして心が痛む・・。
穂高稜線
絶好の天気に恵まれ、小梨平テントサイトや河童橋は連休に入り、
一番の賑わいの様相をしていた一日も終わろうとしている・・。

昨日から今日にかけて、雪焼けと日焼けが激しく、また雪目の症状もあり目が赤くなっていて・・、
目薬を点して、、バンダナを冷水に浸けて顔を冷やすことにする。

明日は、奥上高地を歩いてみようかなぁ~~。
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孤高・残雪からの帰還 ≪5≫

2006年5月02日 入山4日目。

入山後、2日間テント内の寝袋に包まり眠り、久しぶりに布団で寝ることが出来たものの・・、
夜中に、雷光と落雷の大音響で目が覚めるが再び眠りに引き込まれる。
夜が明けて、5時過ぎに起床する。
窓から外を眺めると、一面ガスに覆われて、雨も降り続いている。
冬季小屋で朝食を済ませ、外に出てみると視界は僅か2~3mほどか・・。
西穂山荘
飛騨地方は12時過ぎまで雨、、後晴れの予報が出ている。
小屋の中まで風音が、、ヒュ~と聞こえてくる。
部屋を空けるために、ザックの整理をして階下に下ろす。
上高地側に下るか、新穂高温泉側に戻るか・・出発を躊躇いながら、、自問を続ける。
西穂山荘・冬季小屋
雨の中、、8時前に一人が下山を開始した。

私は、冬季小屋で壁に貼られた地図を眺めたり・・、
壁に掛かっている「西穂山荘・山小屋物語」を眺めつつメモを取る・・。
・昭和16年創設。
・昭和42年8月、高校生の落雷遭難事故発生、日本最悪の雷惨事となる(11名死亡,13名重軽傷)。
・平成2年晩秋失火により全焼。
・平成4年再建、現在に至る。
私が、この西穂山荘に始めて宿泊したのは13年前・・、
平成5年、、残雪期の同じ頃でした。その時は畳の香りがしたことを覚えている。

降り止まぬ雨の中、、9時前に2人組が下山を開始した。
宿泊者の一人は連泊の申し込みを済ませる。
窓から外の気配を気にしながらも、何度か外に出て空を仰ぐがガスは依然として晴れない。
飛騨側ロープウェイの運転開始までには時間があり、もちろん上高地側からも登ってくる人影もない。

天気予報では昼ごろまで雨が残るとのことであったが、空がいくぶん明るくなってきた。
しかし、ガスで視界が閉ざされトレース跡がない上高地側へ下山するリスクの大きさを思うと、
昨日登ってきたばかりのトレース跡が確りした飛騨側に下山するのが最も安全だと考え・・、
上高地側へ下る決断をせずに、雨の合間をぬって、、10時過ぎ、西穂山荘を出発する。
ガスの中、、昨日、登って来た路を引き返す。トレース跡を踏み外さないよう一歩ずつ足を運ぶ。
千石尾根
千石尾根の下りでは、僅か1人とすれ違っただけで・・、
ロープウェイ「雪の回廊」近くに来ると人の声が聞こえ始める。
幸いなことに、強い雨に降られることもなく・・無事に、春山とは名ばかりの冬山から戻ってくることができたようだ。
ロープウェイの中から稜線を眺めても、、ガスに包まれ何一つ見えなかった。

山から下りて最初の楽しみは何と云っても、、温泉に限ります。
以前より、何度か ホテル穂高 の前を通り「外来入浴」の文字を目にしていたので・・、
小雨降るロープウェイ新穂高温泉口の目の前に建つホテルに入る。
新穂高温泉
ロビーに入ると、、山から下りてきたばかりの姿では、何となく気が引けたりして・・。
それでも、汗を流し、露天風呂に浸かっていると・・、
あぁ~~奥飛騨に 雨がふる~~
・・なんて鼻歌は出ませんでしたが・・(奥飛騨慕情)。

風呂上りに売店で牛乳を買い求めた後で「次の平湯温泉行きのバスは何時でしょうか・・?」
と尋ねると・・「後10数分後にバスが出ますが・・?」
えぇ!?!? 急いで牛乳を飲まなければ・・・。
急ぎ足で、小雨降る坂道をバスターミナルに向かっていると、
「次の平湯温泉行きは先頭に停車しているバスにお乗りください・・」
「乗車券をお買い求め上、バスに乗車願います・・」と、スピーカーの声が聞こえてきて・・、
バスが発車する~~。
小走りに坂道を下り、券買窓口に向かって「平湯温泉まで、、一枚下さい・・」
「後2~3分ありますから、大丈夫ですよ・・」
あぁ~~「スピーカーから良い声が聞こえてきたので慌てて来たのに??」
「あはぁ~~良い声ですか・・ありがとう!!」
なんて、、冗談が言えるくらいに緊張の糸がほぐれていたようです。。

3~4割くらいの乗車率でバスは定刻の発車する。
平湯温泉では、20分ほどの待ち時間で上高地行きのバスに乗り換える。
岐阜県側はガスに包まれたまま、安房トンネル抜けると・・、
信州側では、青空が見えて、一山超えれば随分と天気が違うことに今更ながら驚く。
河童橋より稜線を望む
14時過ぎに、青空が顔を出す上高地・河童橋に戻ってきて・・自動販売機のコーヒーを飲む。
河童橋から望む穂高には、ガスが懸かるものの直ぐに流れ去り、雪を被った稜線が見え隠れしている。

山屋:「すみません、、シヤッターを押して頂けますか?」
観光客:「はい、、良いですよ。。カシャ~。。」
山屋:「ありがとうございます!!」
今回は、バッテリーが切れる前にカメラに納まることが出来た。。

あぁ~~もう直ぐ15時「お立ち台」の時間だ!!
上高地・ライブカメラに映し出された、、怪しげな山屋 2006年05月02日 15時ジャスト。

一晩留守にしたテントに戻ってくると・・、
フライシートの隙間から昨晩の雨が入ったようで・・スニーカーがびしょ濡れになっていた。
明神岳
夕暮れが近づくと、穂高山系の稜線には雲が流れ・・日没の競演が繰り広げられる。
明神岳
夕食の準備をしながらも稜線から目が離せない。
穂高稜線
なおも、夕食を食べながら・・稜線を撮り続ける。
穂高稜線
この時、穂高の山々に魅了されている山屋の身にとんでもないことが起こっていた。
穂高稜線
テントに戻ってしばらくしてから、携帯電話でブログサイトに接続すると・・。
「北アルプスの雪崩で5人が巻き込まれたって・・浮草じゃ~ないよね??」
えぇ!?!? 私が雪崩に巻き込まれて遭難したって・・??
おぃ・おぃ・・!!
「私しゃ、、上高地・梓川の畔で、ぴんぴんしていますヨ~~。」
・・・と、記事を書こうとしたが、、新規記事が書けなくて 孤高の残雪に舞う(仮称) にコメントを書き残す。
穂高稜線
残照の競演が終わりを告げ・・・、
夜になると星が散りばめられた満天の空を仰いでいました。

明日は、春を探しに出かけてきます。
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