広島遊歩100選ガイドツアーに参加する!
2017ー2/11(土) 9:45 新井口駅下集合 7名参加。
新井口~泉美術館コース (NO,70)
<主な立ち寄り先>
路傍のお地蔵さん~公開空地~草津梅林跡(草津病院)~大石餅跡~腹満稲荷とお地蔵さん
~追悼碑~漁民会館~住吉神社~岬の灯台~泉美術館
朝から雪予報の天気でしたが好天気でした。
前回の路傍のお地蔵さんにお参りしての出発です。

付近の民家が雰囲気があります。

◎ 公開空地
有効容積に応じて、容積割増や高さ制限の緩和が可能になる。
木製の遊具が有り・・・


◎ 草津梅林跡碑 (草津病院)
江戸時代から梅の名所として有名であった。
八木梅林とともに広島近郊の梅林は団地造成で失われた。
明治時代に作られた山陽線唱歌の38番に
「己斐の松原、五日市おるれば草津の梅林、宮島駅の海上に建てる鳥居は厳島」
と(大和田建樹作詞)と歌になるほどです。

病院の敷地内の紅梅、白梅がわずかに残っています。



草津病院創設者の碑、
当病院の創設者「佐藤皐一氏」の記念碑
「和顔愛語」 昭和55年6月 広島県知事 宮沢弘書
、
何故か「うさぎ」が沢山いました。

◎ 広電荒手車庫遠望
車庫内の敷石は被爆したものを保存。
三篠神社や三滝観音などの参道に敷かれている。

◎ 大石餅跡 かっては広島の定番のお土産
名前は邸ないの大石に因む。

(↑ 大石餅店画像はネットから)

民家の垣根の「あおき」に赤い実が付いていました。

◎ 正一位腹満稲荷とお地蔵さん
ご祭神:宇迦之御魂命
旧魚市場北に有ったものを戦後ここに移転された。

地蔵は宮島の相撲取りのお守り本尊との説がある

西部埋立第八公園

(この公園で朝、毎日ラジオ体操が盛んにおこなわれて、今日の参加者もラジオ体操をしてきたと言われていました。)
◎ 追悼碑
草津南町国民義勇隊追悼碑 昭和55年8月建立
国民義勇隊の皆さんが小網町(爆心地から600m)へ建物疎開作業に出動し、157名が犠牲となりました。

◎ 漁民会館
魚介藻類供養塔、安芸国養蛎の碑
明治31年当時の牡蠣仲間により草津港岸に建てられたが昭和58年現在地に写された


「おおしまざくら」
ソメイヨシノはこの大島桜とエドヒガンとの交配種。

◎ 住吉神社
ご祭神:表筒男命 中筒男命 底筒男命
享禄年間(1528~32)のころ、毛利の御船大将であった児玉周防守が草津城主で
あった時、海上安全と城の鎮護を願って祀られたと伝えられる。
昭和40年代頃から始まった西部開発埋立事業で海が遠のい、昔の面影はなくなった。


手水鉢の水が凍っていました。

おたふく南天が赤く鮮やかです。

◎ 岬の灯台
現在は西部埋立第七公園のアクセントとなっている
元草津漁港(草津漁港の船だまりであった)岬の灯台。
草津漁港が漁港として整備されたのは文政6年(1823)の事。


◎ 泉美術館
地場のスーパー”イズミ”が設立。
本日は「中国新聞 読者の写真展が開催中
年間賞・月間賞が展示されていましたが撮影禁止で画像はありません。

※ ここで、12時前、今日の散策は終了でした。
前回回った所もありましたが、新井口周辺(商工センター)の散策でした。
天気も良くて風が冷たい位でしたがゆっくりの4700歩、2,8kmのスマホの歩数計です。
途中、立木も沢山あり、野鳥も見ましたが撮影には至りませんでした。

解散後は希望者でアルパークの「出雲そば」やで天ぷらそばを頂いての帰広でした。
お疲れ様でした。 END
2017ー2/11(土) 9:45 新井口駅下集合 7名参加。
新井口~泉美術館コース (NO,70)
<主な立ち寄り先>
路傍のお地蔵さん~公開空地~草津梅林跡(草津病院)~大石餅跡~腹満稲荷とお地蔵さん
~追悼碑~漁民会館~住吉神社~岬の灯台~泉美術館
朝から雪予報の天気でしたが好天気でした。
前回の路傍のお地蔵さんにお参りしての出発です。

付近の民家が雰囲気があります。

◎ 公開空地
有効容積に応じて、容積割増や高さ制限の緩和が可能になる。
木製の遊具が有り・・・


◎ 草津梅林跡碑 (草津病院)
江戸時代から梅の名所として有名であった。
八木梅林とともに広島近郊の梅林は団地造成で失われた。
明治時代に作られた山陽線唱歌の38番に
「己斐の松原、五日市おるれば草津の梅林、宮島駅の海上に建てる鳥居は厳島」
と(大和田建樹作詞)と歌になるほどです。

病院の敷地内の紅梅、白梅がわずかに残っています。



草津病院創設者の碑、
当病院の創設者「佐藤皐一氏」の記念碑
「和顔愛語」 昭和55年6月 広島県知事 宮沢弘書

何故か「うさぎ」が沢山いました。

◎ 広電荒手車庫遠望
車庫内の敷石は被爆したものを保存。
三篠神社や三滝観音などの参道に敷かれている。

◎ 大石餅跡 かっては広島の定番のお土産
名前は邸ないの大石に因む。

(↑ 大石餅店画像はネットから)

民家の垣根の「あおき」に赤い実が付いていました。

◎ 正一位腹満稲荷とお地蔵さん
ご祭神:宇迦之御魂命
旧魚市場北に有ったものを戦後ここに移転された。

地蔵は宮島の相撲取りのお守り本尊との説がある

西部埋立第八公園

(この公園で朝、毎日ラジオ体操が盛んにおこなわれて、今日の参加者もラジオ体操をしてきたと言われていました。)
◎ 追悼碑
草津南町国民義勇隊追悼碑 昭和55年8月建立
国民義勇隊の皆さんが小網町(爆心地から600m)へ建物疎開作業に出動し、157名が犠牲となりました。

◎ 漁民会館
魚介藻類供養塔、安芸国養蛎の碑
明治31年当時の牡蠣仲間により草津港岸に建てられたが昭和58年現在地に写された



「おおしまざくら」
ソメイヨシノはこの大島桜とエドヒガンとの交配種。

◎ 住吉神社
ご祭神:表筒男命 中筒男命 底筒男命
享禄年間(1528~32)のころ、毛利の御船大将であった児玉周防守が草津城主で
あった時、海上安全と城の鎮護を願って祀られたと伝えられる。
昭和40年代頃から始まった西部開発埋立事業で海が遠のい、昔の面影はなくなった。


手水鉢の水が凍っていました。

おたふく南天が赤く鮮やかです。

◎ 岬の灯台
現在は西部埋立第七公園のアクセントとなっている
元草津漁港(草津漁港の船だまりであった)岬の灯台。
草津漁港が漁港として整備されたのは文政6年(1823)の事。


◎ 泉美術館
地場のスーパー”イズミ”が設立。
本日は「中国新聞 読者の写真展が開催中
年間賞・月間賞が展示されていましたが撮影禁止で画像はありません。

※ ここで、12時前、今日の散策は終了でした。
前回回った所もありましたが、新井口周辺(商工センター)の散策でした。
天気も良くて風が冷たい位でしたがゆっくりの4700歩、2,8kmのスマホの歩数計です。
途中、立木も沢山あり、野鳥も見ましたが撮影には至りませんでした。

解散後は希望者でアルパークの「出雲そば」やで天ぷらそばを頂いての帰広でした。
お疲れ様でした。 END