今月も田舎のお地蔵さんにお参りできませんでしたので、我が家から比較的近い「幟町公園」
の「宝昌地蔵尊」にお参りしました。
”おんかかか びさんまえい そわか”

ここからは、歩いて10分もかからない「名勝 縮景園」に向かいました。
国の名勝、「日本の歴史公園100選」、施設は県が管理しています。

元和6年(1620)広島藩浅野氏初代藩主である浅野長晟が命じて造らせた藩主の別邸
(大名庭園)が起源であり、1940年(昭和15年)広島県に寄贈し現在に至る。
最初の作庭は上田宗箇による。
入ってすぐ目に付くのが、「灌花井」です。
この井戸枠と石橋は、12代藩主浅野長勲(あさのながこと)の時代に江戸屋敷より持ち帰ったものと言われています。

流川 かって、濯瀴池(たくえいち)から流れ出た水はまっすぐ南に流れ、流川を通り広島湾に
出ていました。
現在は流川は埋め立てられ、繁華街となりましたが、名前のみ残っています。

赤い橋は結婚式の前撮りで有名です。

いよいよ「梅林」に入りました。
沢山の種類の梅林は、風も無く大勢の観客で穏やかな陽に鮮やかに咲いていました。

「楊貴妃」です、満開でした。



幼稚園児のお散歩にもなっています。

「月影」(青軸系)

「
「玉掛枝垂れ」

「八重寒紅梅」


いろいろ見て回りました、皆さん梅をバックに撮影をしたり、良い香りに皆さん笑顔でした。
そんな中、大きな筒のカメラを持ったカメラマンがカメラ女子が目立つ光景です。
私のデジカメでは無理のようです。
満開の梅の木には「めじろ」が数羽飛び交っているのです。
当然私も挑戦しました。
以下は私の今日の「傑作集」です。






約、一時間の結果です。
タイミングを待つ間の、つぐみだ! と思わず言ったら「「しろはら」よ、と通りかかった 人が教えてくれました。


草の繁みに居た「ジョウビタキ」です。

帰りの、松林で見た「むくどり」でしょうか?



こんなに近くで見た野鳥でしたが、私のコンテジでは、これ以上は望めないとデジカメの
液晶を見ていたのでしたが、大きい筒のカメラの人が高速連写でないと無理だと言われてましたので、PCの画像はまあまあの出来でした!!!
の「宝昌地蔵尊」にお参りしました。
”おんかかか びさんまえい そわか”

ここからは、歩いて10分もかからない「名勝 縮景園」に向かいました。
国の名勝、「日本の歴史公園100選」、施設は県が管理しています。

元和6年(1620)広島藩浅野氏初代藩主である浅野長晟が命じて造らせた藩主の別邸
(大名庭園)が起源であり、1940年(昭和15年)広島県に寄贈し現在に至る。
最初の作庭は上田宗箇による。
入ってすぐ目に付くのが、「灌花井」です。
この井戸枠と石橋は、12代藩主浅野長勲(あさのながこと)の時代に江戸屋敷より持ち帰ったものと言われています。

流川 かって、濯瀴池(たくえいち)から流れ出た水はまっすぐ南に流れ、流川を通り広島湾に
出ていました。
現在は流川は埋め立てられ、繁華街となりましたが、名前のみ残っています。

赤い橋は結婚式の前撮りで有名です。

いよいよ「梅林」に入りました。
沢山の種類の梅林は、風も無く大勢の観客で穏やかな陽に鮮やかに咲いていました。

「楊貴妃」です、満開でした。



幼稚園児のお散歩にもなっています。

「月影」(青軸系)

「
「玉掛枝垂れ」

「八重寒紅梅」


いろいろ見て回りました、皆さん梅をバックに撮影をしたり、良い香りに皆さん笑顔でした。
そんな中、大きな筒のカメラを持ったカメラマンがカメラ女子が目立つ光景です。
私のデジカメでは無理のようです。
満開の梅の木には「めじろ」が数羽飛び交っているのです。
当然私も挑戦しました。
以下は私の今日の「傑作集」です。






約、一時間の結果です。
タイミングを待つ間の、つぐみだ! と思わず言ったら「「しろはら」よ、と通りかかった 人が教えてくれました。


草の繁みに居た「ジョウビタキ」です。

帰りの、松林で見た「むくどり」でしょうか?



こんなに近くで見た野鳥でしたが、私のコンテジでは、これ以上は望めないとデジカメの
液晶を見ていたのでしたが、大きい筒のカメラの人が高速連写でないと無理だと言われてましたので、PCの画像はまあまあの出来でした!!!